第18話
「……話を戻すけど、どこか変なところ、痛むところ、苦しいところはある?」
代わりに身体の確認を行う。『ブルー』の少女は怒りに吊り上げていた眉を戻し、自身の身体へ視線を向けようと顔の角度を僅かに変えた。
「なんか、頭がぼんやりする。あと、肩と腕がなんか違和感ある」
「ぼんやりするのは全身麻酔のせいだね。吐き気はどう?」
「少しだけ……」
「なら様子見かな、悪化したら教えて。声を聴くに喉も大丈夫そうだね。肩と腕の違和感はどんな感じ?」
「痛いのと、上手く言えないけどなんか……砂利が入っているような感覚がある」
「砂利い? 入れてないよそんなの」
「わかってる、そういう感覚ってだけ」
「ふーん? 痛いのは鎮痛剤出すから誤魔化していこう。貴方、腕が千切れてたんだよ。たぶん痛みはしばらく続くと思う」
「は? 千切れ……!?」
『ブルー』の少女はその顔を青くした。意識を失う前に腕を失ったことを認識してはいなかったらしい。
「あと違和感だけど……感染症や神経損傷の類とは違いそうだから、それも様子見かな」
「わかった。それと肩の他にも、顔と腹になんか変な感覚がある。痛いんだけど、それより熱くて、少し痒い」
「火傷だね。そっちはここでの治療は難しいから、『不可侵の医師団』の建物で治療するしかない。建物についたら、適当な人捕まえて治療してもらって」
「……雑だな。お前は治療してくれないのか……?」
『ブルー』の少女は困惑した様子で菖蒲を見上げた。縋るような瞳としおらしい態度がなんだか珍しくて、菖蒲はくすりと小さく笑みを零した。
「これは貴方のために言ってるんだよ? ……おすすめはね、小柄で内巻きのショートカットヘアーの小動物みたいな子」
後ろから小さく物音がして、菖蒲は崩れた壁の奥を振り返った。そこには真っ白な制服に身を包んだ、小さな少女が立っていた。丁度治療が終わり、帰って来たようだ。その姿を確認し、菖蒲は患者へと顔を戻した。
「ほら、あの顔。よく覚えといたほうがいいよ」
「戻りました……。……? なんでしょう?」
室内の二人にじっと見つめて迎えられ、たまかは居心地悪そうに乾いた笑みを浮かべた。しかし二人は見つめるばかりで答えなかったため、たまかはそれ以上追及することをやめたらしい。代わりに患者へと顔を向けて、その表情を明るくした。
「意識、戻られたのですね。命を落とすことがなくて、良かったです」
たまかは横たわった少女の元へと歩きながら、心底ほっとしたようにそう言った。菖蒲は『ブルー』の少女へひそひそ話をするように顔を寄せた。
「貴方、彼女に感謝した方がいいよ。貴方の命が助かったのは、たまかちゃんのお陰なんだから」
「そう、なのか……?」
『ブルー』の少女は、たまかへと救世主へ向けるような視線を投げた。
「いえ、手術を担当されたのは先輩ですよ」
たまかは『ブルー』の少女へ笑みを浮かべ、ふるふると首を横へと振ってみせた。
「感謝の言葉は、ぜひ先輩へ」
たまかは、患者の命が無事であるかどうかにしか興味がないのだろう。感謝や名声や見返りなど、全く求めていない。患者が生きている、それだけが彼女にとっての全て。本当に、眩しいくらいの心の白さだ。
「それじゃあ、たまかちゃんも戻ってきたしここを出ようか。カーテンで簡易担架を作ろう」
「はい」
手術をした患者の意識が戻り、建物内の患者の確認も終わったとなればここに残る理由はない。菖蒲の提案に、たまかは素直に頷いた。やり取りを聞いていた『ブルー』の少女が、小さく眉を顰める。
「……自分で歩けるぞ」
「五月蠅いな、患者は寝ときな」
「……ずっと思ってたけど、お前、本当に『不可侵の医師団』の奴か?」
『ブルー』の少女は苦い顔でそう言った。『不可侵の医師団』の白鳥達は、治療のためには多少強引なところもあるが、基本的には皆患者に丁寧に接する。こんな言葉を投げるのは恐らく菖蒲くらいだ。『ブルー』の少女の感想も尤もだった。
「あの、全身麻酔の影響でふらつくと思いますので、怪我をしないためにもまだ安静にしていた方がいいと思います」
たまかがカーテンの切れ端をくるくると巻きながら、そっとフォローを入れた。患者の立場に立った、丁寧な説明だ。菖蒲はそう思いながら、「そういうことだから」と便乗して『ブルー』の少女へ雑に言い放った。『ブルー』の少女は苦い顔のままだったが、反対する言葉は口から出ては来なかった。
担架に患者を乗せ、菖蒲の号令に合わせて二人で運んで建物を出た。爆弾が爆発することもなく、三人とも無事にホットゾーンを去る事が出来た。車を停めた場所へ戻ると、車は忽然と消えていた。霞の姿もない。菖蒲の頭に、怒らせて置き去りにされたのかという考えが一瞬過る。しかし外にいたA群の患者達の姿もなくなっていることからして、どうやら一度『不可侵の医師団』まで患者を乗せて運びに行ったらしい。菖蒲とたまかは辺りの安全を確認し、一度患者を下ろした。二人は車が帰ってくるのを待って、見晴らしのいい場所で荒れた道路の先を見守った。こちらに向かってくる車の影は、なかなか現れなかった。
「建物の中に倒れていた患者さんなのですが……」
道の先を見るのにも飽きてきた頃、隣から暗い声が掛かった。横を見下ろせば、たまかは悲し気な表情で俯いていた。
「あの方以外は全員、既に亡くなられていました」
「そっか。……時間的にも厳しかったからね、仕方ないよ。本来なら手術した子だってあたし達は手出し出来ないはずだった。あの子を救えただけでも儲けものって思わなきゃ」
菖蒲は表情を変えないままそう言って、再び道路の先を監視する作業へと戻った。しかしたまかは落ち込んでいるようで、足元に視線を下ろしたままだった。
「……もっと早く建物の中に入れていたら、救えたでしょうか。傷つく人が一人でも減っていたのでしょうか……」
その声には、後悔や歯痒さが滲んでいた。菖蒲は目の上へ翳していた片手を下ろし、たまかへと顔を向けた。
「あんまり真面目過ぎると、心を壊すよ。現場に駆け付けただけで偉い、くらいに思わなきゃ。これは先輩からのアドバイス」
たまかは俯いていた顔をあげ、菖蒲を見上げた。上目遣いの大きな瞳が現れる。
「……先輩の話ですか?」
「いや、周りの話ね。完璧主義っていうのかなあ、そういう子程現場を経験する度に心を病んでいくの。そういう子って優秀で手術も上手いから、ちゃんと人命救助に貢献して何人も救っているのに、一人死んじゃったらそればっかり気にしちゃってさ。勿体ないよね、あたしなんか一人も救えないことざらだったのに」
笑いどころを作ったつもりだったが、たまかは微塵も笑わなかった。
「たまかちゃんはちょっとその気質がある気がする。今のうちから意識して変えていかなきゃ駄目だよ。たまかちゃんは患者を救いたいって想いが強くて、それを行動する力に変えられている。それはとても素晴らしくて美点ではあるんだけど、それで自滅しちゃったら元も子もないからね」
たまかは悲しそうにしていた顔を真剣な表情に変えていた。真面目に菖蒲の話を咀嚼しているようだ。
「死んでしまった子の数を数えるより、命を救えた子の数を数えた方がいい。少なくともそこに横になってる子はたまかちゃんが救ったんだから、自信持って」
笑みを作って励ます。たまかはそれをじっと見つめたあと、視線を泳がせた。少し言いにくそうに口を開く。
「先輩も……」
「ん?」
「……いえ」
何やら言いかけた言葉を結局飲み込み、彼女は首を横へと振った。それから少し間を置いて、たまかは再び口を開いた。




