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ブラックスワンは白くならない  作者: 小屋隅 南斎


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第17話

 自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきて、菖蒲は顔をあげた。反響している。外からだ。菖蒲は立ち上がり、そろそろと窓辺に近づいた。一応この部屋にも爆弾が残っている可能性があるため、一歩一歩を慎重に踏み締めていく。窓辺に立つとガラスの残っていない窓枠から風が入ってきて、菖蒲の前髪と制服の裾を揺らした。菖蒲は窓枠の外を見下ろした。一面爆発の影響で黒く煤けている。その中で、菖蒲の名前を呼び続ける真っ白な制服の少女が見えた。霞だ。

「霞!」

 部屋の中から叫ぶ。霞は一度辺りをきょろきょろと見渡したあと、建物の上階にいる菖蒲に気付いて顔をあげた。

「菖蒲? もう、探したんだよ。なんでそんなところにいるの?」

 霞は腰に両手をあて、じっとりと目を細めた。

「ごめん、この中にも患者がいたんだ。たまかちゃんも一緒。……あ、ここホットゾーンだから近づいちゃ駄目」

 建物に入ろうと足を踏み出した霞を止めるように、上から声を張り上げる。霞は足を止め、眉を顰めた。

「……ホットゾーン?」

「爆弾、この建物にも仕掛けられていたの。さっきの爆発、霞も見たでしょ」

「なんでホットゾーンに足を踏み入れてるの。たまかちゃんも一緒って、全く……大丈夫?」

 呆れたように尋ねる霞へ、菖蒲は頷いてみせた。

「うん、今患者の治療が終わったところで、たまかちゃんは他の患者の確認に行ってる。たまかちゃんが帰ってきたらすぐ戻るから、霞は外で待ってて」

「はいはい。もー、怖い物知らずだね……」

 霞はやれやれといったように首を左右に振った。本当に怖いもの知らずなのはたまかの方なのだが、彼女は菖蒲がたまかを連れてきたと思い込んでいるらしかった。

「あんまり新人を怖がらせちゃだめだよ?」

 霞は最後にそう言い残し、菖蒲へ背を向けた。そのまま建物から遠ざかっていく。患者の元へ戻るのだろう。あっさりと一言二言で済ませてしまうのは、友達ゆえの信頼感からなのか、はたまた面倒事に巻き込まれたくなかっただけなのか。

「納得いかないなあ……」

 霞の最後の言葉に口を尖らせる。振り回されているのは、どちらかといえば菖蒲の方なのに。完全に普段の行いのせいで誤解されているようだった。小さな背中を睨んで見送っていると、後ろから小さな呻き声が聞こえてきた。はっとして振り返る。すぐさま『ブルー』の少女の元へ駆け寄ると、彼女の睫毛がふるふると震えていた。そして、瞼が薄っすらと開く。菖蒲は思わず顔を晴らした。

「あ、あたしがわかりますか?」

 上擦った声に、少女は数回瞬きを挟み、辺りを見渡した。彼女の瞳には焦げた天井と頬が紅潮した菖蒲の顔が映っているのだろう。

「……。……誰、だ?」

「『不可侵の医師団』の者です。貴方は爆発に巻き込まれ、全身麻酔、および手術を受けました」

「……『不可侵、の』……」

 『ブルー』の少女は掠れた声で途中までそう繰り返した後、口を閉じた。段々と爆発前の記憶を思い出してきたようだ。しかし麻酔が抜けきっていないようで、その表情はぼんやりとしたものだった。

「……スズ、は?」

 記憶の戻った彼女の、第一声はそれだった。

「……スズ?」

「……彼岸花、の……」

 菖蒲は僅かに目を見開いたあと、そっと横へと視線を向けた。青白い顔で横たわる、彼岸花の簪を挿した少女。

「……。……残念ながら……」

「……蘇生は? 試したのか……?」

 顔を伏せた菖蒲へ、『ブルー』の少女は僅かに力強さを取り戻した声で問いかけた。菖蒲は俯いた下で、一度視線を横へと逸らした。

「……ええ。人工呼吸、胸部圧迫並びにAEDをはじめとして、試せるものは全部試した。でもどれも、無駄だったわ」

 救命現場では、トリアージの原則から基本的に心肺蘇生は行わない。限られた医療資源を有効的に活用し、最大数の命を救うことを優先するためだ。一人に対して割ける労力は限られており、当然、彼岸花の簪を挿す少女に対しても蘇生は行っていない。しかし『ブルー』の少女には知りようのないことで、嘘を見抜くことは出来ないだろう。これは白鳥では絶対につかないし、つけない嘘だ。それでも、黒鳥である菖蒲は平気で嘘をつく。こうでも言わないと、目の前の『ブルー』の少女はいつまでも彼女の死を受け入れられないだろうから。

「……」

 『ブルー』の少女は、絶望したように呆けた。そしてその顔を、悲痛に歪めた。

「……なんで、私だけ……」

「生きてるんだろう、って思った? ……それはね、貴方が彼岸花の簪の子を弔ってやるためだよ」

「弔う……?」

「そう。あたしはそのために貴方の手術をした。……迷惑だった?」

 じっと『ブルー』の少女の顔を見下ろす。火傷の広がる顔は、時が止まったかのように菖蒲を見上げていた。やがて瞳が揺れ、口が開かれ、言葉が発されることなく閉じられた。唇を一度噛み、彼女は小さく首を横へと振った。

「いや。……せっかく助けてくれたのに、悪かった」

「……貴方は優しいね」

 お前のせいであいつは死んだと暴れる患者も、救命など頼んでいないと怒鳴る患者も、一人生きるくらいなら死なせて欲しかったと嘆く患者も山ほど見てきた。

「別にこれくらい慣れてるよ」

 菖蒲は気にする素振りもなくそう言って、患者を覗き込んでいた上体を起こした。菖蒲達がいくら必死に手を尽くそうが、それを当人が望まない場合も往々にある。なんとか命を救えたのに嘆かれたり責められたりするのは悲しいが、彼女達の絶望も痛い程良く分かるため怒る気にはならない。ただ、この世で最も悲しいボタンの掛け違いだというだけだ。しかし目の前の『ブルー』の少女は、菖蒲が自分を必死に助けてくれたであろうことに思い至る想像力と、菖蒲の気持ちを慮って気遣うだけの優しさを持ち合わせているようだった。

 会話が途切れ、窓枠から風が入る音だけが小さく部屋に響いた。菖蒲は駆け寄ったままだった姿勢を解き、その場できちんと座り直した。

「……夢を、見たんだ」

「夢?」

 菖蒲はぽつりとした呟きに顔をあげた。『ブルー』の少女は、天井を見上げて遠い目をしていた。その光景を思い出しているのか、彼女の表情はどこか柔らかなように感じた。

「辺りは彼岸花だらけで、そこにはスズがいた。向こう岸へ渡ろうとしていたから一緒に行こうとしたのに、あいつは断って一人で行っちまって……」

「……」

「でも、スズはそれを望んでいるように見えたんだ。……なんでかな」

 悲しそうに眉を下げる患者を見下ろし、菖蒲は口を開いた。

「あたしが貴方達を引き裂いちゃったのかも」

 天井に向けられていた『ブルー』の少女の瞳が、菖蒲を捉える。菖蒲は申し訳なさそうに小さく笑んでいた。

「いつものあたしだったら一緒にいさせてあげられたと思うんだけど、今日はちょっと……白さにあてられちゃって」

「白?」

「まあつまり、あたしのせい。ごめんね」

 たはは、と苦笑いする菖蒲の前で、『ブルー』の少女はゆっくりと瞼を伏せた。

「そう、なのか。でも、私は命を救ってもらったことには感謝してる。……ありがとう」

 菖蒲はその言葉に驚いたように固まったあと、小さく相好を崩した。この手で救った患者から言われる感謝の言葉ほど、嬉しいものはない。

「うん、じゃあ早く元気になって、彼岸花の簪の子を弔ってあげよう」

「……ああ。それと、『レッド』の奴らもぶっ殺してやらなきゃ気が収まらない。必ず仇を取ってやる」

 『ブルー』の少女はその瞳に怒りを湛え、憎々し気に天井を睨みつけた。その顔を見下ろしながら、菖蒲は内心でため息を漏らした。『ブルー』によって原形を留めていない程殴られて殺された『レッド』の無残な亡骸を、菖蒲はこれまでに数え切れない程見てきた。菖蒲に言わせれば、どっちもどっちだ。

「……患者を増やさないで欲しいんだけどなあ」

「うるせえ」

 小さな抗議の声は、力強い声によって掻き消された。『ブルー』が仲間意識の強い組織だということは充分理解しているし、そもそも抗争をしている組織はどこもこんな感じである。『不可侵の医師団』の者に争いを止めるような力はない。菖蒲はそれ以上口を挟むことをやめ、肩を竦めてみせた。

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