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ブラックスワンは白くならない  作者: 小屋隅 南斎


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第11話

 菖蒲が険しい表情を浮かべた瞬間、突然轟音が鳴り響いた。重い音は辺りに響き、僅かに地面が揺れた。菖蒲もたまかも驚きに目を見開く。身体の小さいたまかが少しよろけ、そしてすぐに音のした方へと顔を向けた。菖蒲も即座に顔をあげる。その先は、『ブルー』の少女が向かった建物だった。黒い煙が濛々と立ち上がり、割れた窓ガラスから物や瓦礫が吹き飛んでいる。……爆発だ。

「……!」

 菖蒲は顔を強張らせた。新たに爆弾が爆発したのだろう。……あそこには、『ブルー』の少女が向かったばかりだ。同じことを思ったのか、たまかが瞬時に建物へ身体を向け、力強く足を踏み出した。菖蒲は咄嗟にその腕を掴んだ。なんとかたまかが走り出すのを繋ぎ止める。

「い……行かないと!」

 たまかは叫んだ。視線は今も黒い煙が立ち上がる建物へ向けられたままだ。

「お、落ち着いて、たまかちゃん」

「でも! あそこに患者さんが向かったんですよね? 今爆発があったってことは、感圧式の爆弾が起動したのだと思います。間違いなく、彼女が被害にあっています!」

 ……確かに、冷静に考えてみればそうなのかもしれない。時限式なら最初の爆発から一時間以上タイミングをずらす理由がないし、遠隔式なら『ブルー』の少女がこのタイミングで戻ったことを知りようがない。不発で生きていた感圧式の爆弾を、救護に専念していた『ブルー』の少女が起動してしまったと考えるのが自然だ。つまり、彼女が爆発に巻き込まれたとみて間違いない……しかし、問題はそこではない。

「たまかちゃん! 習ったよね、CBAUMシーバーム災害のゾーニング! ホット! ホットもホットだよあそこは!」

CBRNEシーバーンです! ……そんなことはわかっています、でも、あそこには傷ついている患者さんがいるんです!」

 必死に走り出そうとするたまかの身体を、片手では抑えきれずに両手を使ってなんとか引き止める。その小さな身体のどこからそんな力が出て来るのだろうか。懸命にたまかの腕を握る菖蒲の手は、力を込め過ぎて震えていた。

「あそこは危険、危険なんだよ! 見た通り、生きている爆弾がある可能性が高い! 安全第一だよたまかちゃん!」

「目の前にいる傷ついた人を救えなくて、何が医療従事者ですか!」

 たまかは力の限り叫んで、菖蒲を振り返った。その大きな二つの瞳は、揺るぎない意志を宿した、力強い視線を向けていて。思わず、菖蒲は視線を奪われた。

「私がこの制服に袖を通している以上、助けを求めている人を死なせはしません!」

(……ああ)

 ——眩しい。意志の強さ、純粋な心、崇高な決意。全てが宝石のように煌めいて、炎のように燃えている。彼女の制服の白さに劣らない、純白の輝きだ。黒鳥にはただ、それを眺める事しか出来ない。

「私が傷ついた人を治療してきます。先輩方は待機をお願いします!」

 菖蒲の手が緩んだ隙をついて、たまかは菖蒲の拘束を振りほどいた。そして、脇目も振らずに建物へと駆けて行った。菖蒲は呆けたようにその背中を見つめて突っ立っていた。

「……」

 遠くなる背中、その奥でもくもくと上がり続ける黒い煙。菖蒲は振りほどかれた手を宙に浮かしたまま、動けないでいた。

「……ああ、もう……」

 金縛りが解けたようにそう呟くと、菖蒲はわしわしと頭を掻いた。深いため息を漏らす。『ブルー』の少女も、たまかも。誰も菖蒲の思い通りには動いてくれない。彼女達は助けたい人目掛けて、一直線にひた走る。愚直に、けれど真っ直ぐと。

(あの自由さ……まるで『ラビット』みたい)

 『ラビット』は楽しいことを求める愉悦組織で、メンバーは皆各々好き勝手にやりたい放題している。自分達の欲求に正直で、いつも自由でいつも笑顔。あの自分の道をひた走るところと自分の気持ちに正直なところは、『ラビット』のメンバーに通ずるものがある。

「とんでもない子を同行させちゃったな」

 大人しくて、従順で、素直な子だと思っていたのに。菖蒲は途方に暮れたように横たわる少女を見下ろした。その足には、綺麗な縫合跡が残っている。丁寧で、緻密で、患者のことを想って縫ったことがよくわかる。菖蒲ではとても出来ない縫い方だ。……菖蒲の目に、狂いはなかった。たまかは慎重で、丁寧で、患者のことを想った治療が出来る人間だった。細かいところに気付き、作業は的確でミスは少なく、手際も悪くない。さらに菖蒲の治療を代わってくれる優しさも備えている。全て見立て通りだ。しかし彼女は、患者のことを想い『過ぎる』人間だった。まだ経験した現場が少ない彼女は、患者を見捨てることがどうしても出来ないのだろう。

「……」

 菖蒲は目を伏せた。眉間に深い皺を作る。たまか、そして『ブルー』の少女の顔を脳裏に描いた。

「……腹、括るか」

 重々しく呟き、目を開く。見据えるは、煙を吐く黒焦げの建物だった。

 白鳥が白鳥らしからぬ行動を取った時、きっと傍にいてやれるのは黒鳥だけなのだろうと思う。黒鳥は白鳥のようにはなれないし、なろうとも思わないけれど。だからこそ、白鳥では出来ないことをやれるのは、きっと黒鳥だけなのだ。




 建物に辿り着くと、中から断続的に音がするのが耳に届いた。パチパチという音、ポタリという音、ガタッという音……時折大きな音も響いてくる。間近で見上げると、どうやら爆発があったのは三階のようだった。割れた窓から黒い煙が立ち上り、周辺が黒く煤けていた。菖蒲は確認を終えると、崩れて鉄筋が剝き出しになっている場所へと向かい、そこから中へと侵入した。内部は照明が消えていて、薄暗かった。辺りはどこも黒く煤けている。床は崩れた天井や壁、瓦礫や砂で埋もれており、それらを踏み越えるようにして建物へと入った。その先に続く廊下の奥に動く白が見えて、菖蒲は足を止めた。小さな背中、真っ白な制服。……たまかだ。まだそこまで奥には行っていなかったようだ。

「たまかちゃん!」

 両手を口に当てて叫ぶと、たまかはびくりと震えて菖蒲へと振り返った。彼女は驚いた顔をしていた。菖蒲は瓦礫を踏み、さらに進んだ。たまかの近くは爆発を免れたらしく、壁も天井も僅かに煤けているだけだった。恐らく菖蒲の侵入した付近に爆弾が仕掛けられていて、その辺りは特に崩壊が酷かったのだろう。たまかのもとまでくると、彼女は焦ったような表情をしていた。

「……せ、先輩……」

 その顔には、どうして、と書いてあった。菖蒲は小さく息を吐き出し、両手を腰に当てた。眉を吊り上げる。

「怒りに来たんだよ、たまかちゃん」

 たまかは眉を下げ、反射的に身体を縮めた。まるで怯える小動物のように思えた。少しやりにくい。

「患者のことが心配な気持ちはよくわかる。でもね、少し足を止めて、今から言うことをよくきいて」

 菖蒲は小さく息を吸った。

「まずね、救命現場は連帯責任なの。一人だけ勝手な行動を取ったらいけない。何があろうともね。きちんと指示役の言う事を聞かないと、周りに迷惑を掛ける。たまかちゃんは自分だけが危険地帯に向かったつもりだろうけどね、実際は違う。たまかちゃんを危険に晒したあたし達は、待機なんてしてられないんだよ。たまかちゃんがホットゾーンへ向かうことで、あたし達はその対応に追われる。充分迷惑を掛けられてるの」

 たまかが謝罪の言葉を口にしようとしかけたのを見て、さらに捲し立てる。

「それから、たまかちゃんが命を落としたら、あたし達の責任なの。たまかちゃんは患者のために命を投げ打つ覚悟があるのかもしれないけど、たまかちゃんの命はたまかちゃんのものだけじゃない。それにたまかちゃん一人で何人もの命を救えるんだから、その人達の命も一緒に捨てることになるってちゃんと自覚しなきゃ」

「……すみません……」

 たまかはしゅんと肩を落とし、俯いてそう言った。

「迷惑を掛けたことは、大変申し訳なく思っています。それに私の行動が正しくないということもわかっています。……でも……」

 たまかは、僅かに顔をあげた。じっと見上げる大きな瞳。

「傷ついた人が目の前にいるのに、この手で救えるかもしれないのに、黙っているわけにはいかないんです……!」

 真剣な表情。真っ直ぐな視線。きつく結ばれた唇。意志は折れていないらしい。菖蒲はそれを見て、ふっと口元を緩めた。

「……うん。そう言うと思ったんだよね」

 菖蒲は小さくため息をついた。しかしその目は穏やかだ。

「だからついてきたの」

 たまかは、菖蒲の見立て通りの少女だった。患者を救いたいという気持ちが、行動に表れるタイプ。それも、かなりの熱意を持って。そんなたまかなら、ここで引き下がれるわけがない。

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