第1話
黒い白鳥は、白鳥に交じらないと自分の異常性に気が付かない。真っ白な翼に囲まれて初めて、自分が『他と違う』ということを悟るのだ。
斑目菖蒲が『他と違う』ことに気付いたのは、『不可侵の医師団』の制服に袖を通した後だった。医療従事者の証拠である、清潔感に溢れる真っ白な制服。少しでも汚れたらすぐ目立つような、髪飾りから靴に至るまで全身純白の意匠。同じ制服に身を包む少女達と一緒にいると、まるで白鳥の群れのようだった。白の少女達に囲まれながら、菖蒲は期待に目を輝かせ、将来に胸を高鳴らせていた。志を共にする仲間達とともに、沢山の人達を救ってみせるのだと意気込んでいた。菖蒲は精力的に救護活動に勤しんだ。そして日が経つにつれて、気が付いた。自分は周りの人達のように頭が良くない。周りの人達のように要領が良くない。周りの人達のように物覚えが良くない。周りの人達のように努力が出来ない。周りの人達のように情熱を抱けない。菖蒲は悟った。自分は、落ちこぼれなのだと。白鳥達に迷い込んだ、黒鳥だったのだと。ならば他の少女達に近づけるように、人一倍頑張ろう。そう思い励んでも、意気込む熱量と比例してミスが増えるだけだった。『不可侵の医師団』の仕事は人の命を預かるものであり、つまりミスをするということはその分救えた命を散らしてしまったということだ。今の世では抗争は日常茶飯事、人の命も儚く消えていくのが常。それでも自分が手を尽くしておきながら患者の心臓が止まってしまうのは、何度経験しても心の中で罪悪感と失望感が燻った。結局、黒鳥はどうあがいても白鳥にはなれない。輝いていた目の光は消え、周りに追い付こうとする意思は霧散し、菖蒲は努力をしなくなった。自分は白鳥にはなれない。ならば白鳥としてではなく、黒鳥として生きていくべきだ。菖蒲はそれとなく救護活動の手を抜くようになった。遅刻し、サボるようになった。その方が、患者のためだから。自分が担当するよりも、代わりに他の仲間が治療する方が、患者の命が助かるから。菖蒲は教本を読み返すことを止め、よく後輩を観察するようになった。優秀な人を見つけ出しておいて、いざという時に自分の代わりに治療を任せる方が患者のためになるから。菖蒲は治療の時になるべく人を避け、普段は元気に挨拶をし、愛想を良くするようになった。治療が下手なところを隠して普段からいい印象を与えておけば、足を引っ張っても迫害されないから。黒鳥には、黒鳥らしい生き方がある。白鳥になろうなんて高望みはしない。だって、黒鳥が白くなることなんて、有り得ないのだから。
***
『じゃあ、乾杯しましょうか~』
のほほんとした声が響き、その後に「乾杯!」という数多の声が続いた。『不可侵の医師団』の寮の中でも一番広いこの部屋は、少女達の賑やかな声で埋まっていた。
菖蒲は用意された簡易椅子に腰かけ、手にした紙コップの中身をごくごくと飲んだ。新人歓迎会もこれで四度目だ。慣れたもの……というより、少々飽き始めていた。毎年毎年代わり映えしない光景なのだから、そうなるのも無理はないと思う。
「いい飲みっぷりだね~、乾杯で……」
横から呆れた声がして、菖蒲は空になった紙コップを机へと戻した。横を振り向けば、いつもの顔が視界に現れた。『不可侵の医師団』に入った頃からの同僚にして仲間にして友達、霞だ。
「喉乾いてたんだもの」
菖蒲は黄色の液体が入る二リットルペットボトルを持ち上げ、空になった紙コップにトクトクと注いだ。ちなみに中身はオレンジジュースだ。『不可侵の医師団』は医療集団であり、いつ招集がかかるかわからない。半数以上の同時飲酒は基本的に御法度だ。と言っても、普段から『不可侵の医師団』で酒を嗜むような者は滅多にいない。皆医療従事者としての誇りを持っているため、すぐに現場に行けるように体調を整えている。そもそも未成年の身体に酒は良くないと、充分すぎるほどに理解している。そのため『不可侵の医師団』で酒を飲むのは、せいぜい菖蒲くらいだろう。……現場招集をサボる口実に丁度いいのだ。
「ホラ霞も飲んだ飲んだ」
霞の返事もきかず、霞の紙コップに勝手にオレンジジュースを追加した。「あっ?」という声が横から聞こえてきたが、止められはしなかった。縁ギリギリまで並々と注ぎ、菖蒲は満足したようにキャップを閉めた。色とりどりの料理が所狭しと並んでいる中へ、ペットボトルを戻す。すぐに他から手が伸びて、置いたばかりのペットボトルの姿は消えてしまった。賑やかな少女達の声が、四方八方から耳に入る。食欲を誘ういい匂いが鼻に舞い込み、腹がくうと小さく鳴った。
「ちょっと入れ過ぎでしょー、どうやって飲むのさコレ」
霞は自身の紙コップを見下ろして辟易すると、こちらへ恨むような視線を向けてきた。
「ドレーン持ってこーい、霞ドレナージ上手いじゃん」
ケラケラと一人で笑っていると、霞は「酔ってる……? オレンジジュースで……?」とじっとりとした胡乱な目を向けてきた。別に菖蒲は酔っていない。いつも通りである。笑みを引っ込め、菖蒲は仕方ないなとため息を漏らした。そして自身の紙コップを霞の前へと置いた。
「じゃあコップ交換するかー」
菖蒲は霞の方へ身体を寄せた。そして躊躇いなく顔を机へ近づけ、並々と注がれたジュースをそのまま吸った。横から「はしたな……」と引いた声がきこえてきたが無視した。飲み方で味が変わるわけではないのだから、どう飲もうが別にいいだろう。オレンジの爽やかな濃い酸っぱさが口に広がる。……美味しい。
「あーっ菖蒲さん、新入生の前でそんなことして~……」
「ちょっとせんぱーい、止めてくださいよー」
同僚や先輩たちが菖蒲の行動に気付き、茶化すように囃し立てた。菖蒲は元気な笑顔を向け、えへへと後頭部を掻いた。
「このジュース、美味しいですよ! 買い出し係は審美眼が鋭い人だったんでしょうね~、誰誰?」
「へっ? あ、私です……」
菖蒲の大きな声に反応したのは、普段菖蒲とはあまり会話をしない一年後輩の少女だった。大人しい印象の彼女は、自分の話題が突然出てきてビックリしているようだった。菖蒲はにこやかな顔を彼女に向け、頷いてみせた。
「ああっ、ちせちゃんだったんだ! さっすが、レントゲンの女王! お目が高い!」
「れ、れんとげんのじょうおう……?」
ちせと呼ばれた少女は困惑したように菖蒲の言葉を繰り返した。
「病気の発見率ナンバーワンじゃん!」
びし、と人差し指を突き付けると、彼女は困ったようにあわあわとしていた。それがなんだか面白くて、菖蒲は楽しそうに笑い声をあげた。周りからは褒める声や、「そうだったんだ」と感心する声がきこえてきていた。
「な、ナンバーワンかはわかりませんが。……先輩方の治療するお姿を見て、勉強させていただいているお陰です。先輩方のこと、本当に尊敬しているんです」
少女はそう言って、輝く目を周りの組織員達へと向けた。『先輩』達も悪い気はしないようで、尊敬する眼差しの前で照れたように顔を見合わせていた。
(……真面目だなあ)
菖蒲はそんな彼女を、他人事のように眺めていた。彼女の尊敬する『先輩』に、自分は入っていない。それを誰よりも自覚しているからなのかもしれない。
集まっていた先輩や同僚は、恥ずかしさからか各々席へ戻ったり、新人のもとへ行ったりして場を離れた。『レントゲンの女王』も友達の姿を見つけたらしく、菖蒲に一度お辞儀をすると他のテーブルへと向かっていった。菖蒲は八分目程に減った紙コップを持ち上げ、中身を口へと流し込んだ。
「ちせちゃんってレントゲン上手いんだ」
隣から霞の呟きがきこえ、菖蒲は顔を横へと向けた。霞は他のテーブルへ視線を向けていた。視線の先は、ちせの背中だ。
「うん、上手いよ。撮る方より診断する方が上手い」
「ふーん、さっすが、よく知ってるね。人のレントゲンなんていつ盗み見てるの」
遠くを見ていた霞の視線が、菖蒲へと戻ってきた。菖蒲は彼女の泣きぼくろへ視線を吸われながら、再び紙コップを傾けて喉を潤した。
「……隙を見せる方が悪いからね」
「なあに、それ。……ねね、新人達の腕前ももう知ってるの? 菖蒲的に有望そうな子はいた?」




