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後編

学園の渡り廊下は、夕陽で茜色に染まり心地よい風が吹いている。


愚かにも魔王に支配されていた俺は、友人たちの力により解放された。

罪人として裁かれることを覚悟していたが、操られていたということで罪が公にされることもなく、たった数ヶ月の謹慎処分が下っただけだった。


それが数ヶ月前のこと。明日から学園に復帰するための手続きを終えたあと、友人たちにも挨拶しようと中庭に向かっていたところ、木の皮で編まれた椅子に車輪がついた――車椅子で渡り廊下を進む、小柄な女生徒の姿が見えた。

リリアーヌ・クルタシア、俺の元婚約者だ。車椅子で移動する彼女の姿に、例の一件から足が動かせなくなったと聞かされた事を思い出して、胸が痛む。


魔王の一件の後、彼女との婚約は解消された。

迷惑をかけたなんてものじゃない。魔王に支配されていたとはいえ脅し従わせた挙句、一生歩けない身にしてしまった。償おうにも償いきれない事をしてしまったのだから、当然だろう。


俺の顔を見て嫌な事を思い出させてはいけないと、踵を返そうとした瞬間、渡り廊下と中庭の境目にある段差に近づいていたらしい、リリアーヌの車椅子がガクンと傾く。


「きゃっ……!?」

悲鳴が聞こえた瞬間、気付いた時には魔力で瞬発力を限界まで上げて駆け寄り、車椅子を支えていた。

いきなり全力疾走したせいで息が全く整わないし、急な魔力放出で軽く眩暈もする。それでも意地でも車椅子から手を離さず、ゆっくり安全な場所まで移動させた。


ぜいはぁと激しい自分の呼吸音の合間に、鈴を転がすような声が飛び込んでくる。

「……でりくさま……?」

ハッとして顔を上げると、可憐な少女と目が合った。

相変わらずの綺麗な翡翠色の瞳をまんまるにして、俺を見つめていたかと思うと、みるみるうちに涙で翡翠が滲む。


しまった、急に現れた俺に怯えているのかもしれない。

そう思って慌てて離れようとした瞬間、彼女は心底嬉しそうに破顔した。

「お、おかえりなさいませ、デリク様!よ、よかったぁ、よかったぁ……!」


俺の姿を泣いて喜び、迎える言葉を告げる。

そんな彼女の顔にも声色にも、嘘偽りなんて無くて。あんな目に合わせたのに、俺に対して負の感情を全く感じないことに、たまらない気持ちになる。


「……すまなかった、リリアーヌ。本当に、君には沢山のことをしてしまった。何から謝ればいいのか分からないくらいに……」

改めてリリアーヌの前に移動し膝をつき、誠心誠意謝罪し、ハンカチで小さな頬に伝う涙を拭う。

本当にこの子を喪わなくて良かったと、心から思った。


涙がひとしきり落ち着くと、リリアーヌは少し落ち着かない様子を見せ始めた。どうしたのかと思っていたら急に車椅子を操り移動し始める。


「リリアーヌ?どこへ……?」

「あの、殿下たちでしたら最近は屋内で歓談しておられるのでご案内します!」

俺があそこにいた理由もお見通しだったらしい。リリアーヌに急かされるように茶会用のエリアに向かうと、見慣れた姿が目に飛び込んできた。

入口で警護をしていたアルベルト殿もすぐに俺に気付き、声をかけてくださる。


「デリク殿!?よく戻られました!明日からの復帰では?」

「明日からに向けて、事務手続きに来たんです。アルベルト殿、この度は……」

アルベルト殿の友好的な様子に、申し訳なさと有り難さが込み上げる。


「デリク!?!?」

話し声が聞こえたのか、扉の音を立てながら殿下が飛び出してきた。

その顔は泰然とした王太子殿下としてのものではなく、少年らしい、見慣れた乳母弟としてのものだった。


続いてミュゼリア達も出てきて、廊下が賑やかになる。

以前は毎日の様に顔を合わせていた面々なのに、謹慎処分中は会う事も手紙のやりとりも禁じられていたからか、ひどく懐かしく感じる。


俺が弱かったばかりに、迷惑をかけてしまった皆。

謝っても謝り足りない。特に王太子である乳母弟には立太子後の難しい時期に、なんという苦労をかけてしまったのか。


彼だけでなく、その場に居る全員にまず頭を下げた。

罪人として謝罪しようとしたが嗜められたので、友人として真摯に謝罪する。


本当にありがたい事に、皆んな俺が戻ってきたことを喜んでくれている。目の前では、ミュゼリアと聖女ユリア様が目に涙を浮かべながら嬉しそうに微笑んでくれている。


ミュゼリア……殿下と乳母兄弟の俺にとっては、彼の幼い頃からの婚約者である彼女も幼馴染だ。

知り合った当初は高飛車で苦手だったが、次第に聡明さが増し、国母として相応しい包容力を感じさせることが増え、どんどん魅力的になっていった。

相変わらず美しく、豊かな金髪と燃えるような紅の瞳が輝いてすら見える。


ミュゼリアの目尻に滲む涙を見て、先程泣きじゃくっていた元婚約者の姿が思い浮かび、ハッとする。

慌てて周囲を確かめるとリリアーヌの姿はなかった。

大丈夫だろうか、慣れない車椅子で、また転びかけてはいないだろうか。

俺のせいで歩く事も出来ない彼女が心配だったが、目の前の面々も決してないがしろには出来ないくらい、迷惑をかけた仲間達。


また、すぐに見つけて改めて話をしよう。そう思っていたのに、それからしばらくリリアーヌには会えなかった。


リリアーヌの教室は知っているが、昼休みなど長休憩の時、彼女はあまり教室にいないようだった。小休憩の時では落ち着かないので長休憩や放課後にリリアーヌを探しているのだが、探し場所が思いつかない。

結局、教室と別棟への渡り廊下、そのまま図書室あたりを見たあとは勘で探すしかなかった。


「……そういえば、リリアーヌは俺を見つけるのが上手かったな」


思わず呟いてしまう。

婚約中、リリアーヌは話し掛けやすく、でも近過ぎないところによく居てくれた。いかにあの小柄な婚約者に甘えていたか、実感する。

……これは、落ち着かないとか言っている場合じゃないな。


授業が終わり、小休憩の鐘が鳴ったと同時に階下へ向かう。どうか居てくれと祈りながら教室を覗くと、小さい頭が見えた。



「あの、デリク様。最近どうなさったんですか?た、助けてくださるのはありがたいですが……。もし、責任を感じていらっしゃるのでしたら、あの、本当に大丈夫ですので……」

リリアーヌが眉根を下げて俺に告げる。

歳は一つしか違わないはずなのに、途方に暮れた様は、まるで迷子になった子どものようだ。


最近の俺は、リリアーヌを構い倒していた。

暇さえあればそばに居て、車椅子を押したり高いところのものを取ったり食堂で席まで食事を運んだり。

婚約者だった頃だってこんなに一緒にはいなかっただろう。彼女が戸惑うのも無理はなかった。


「リリアーヌは嫌だった?」

「え?」

「俺が助けたくて君を助けてる。そう言ったらどうする?」

この言葉は偽りでもなんでもない。

リリアーヌを助けたくて傍にいるのだから。


もともと彼女の傍は居心地が良かった。婚約者として定期的に会っているときだって、不快な思いをした事も、会話の程度を下げるなど気を使う羽目になったことも無い。

王太子の側仕えとして教育を受けていた俺相手に、程度を下げる事なく会話を成立させることは、簡単なことではない。リリアーヌの努力の賜物だったのだろう。


本当に、婚約者の鑑のような女性だったと思う。ただ、その小柄な外見から、当時はどうしても妹の様な感覚から抜け出せず、異性として見れずにいたが。


そんな彼女が、嫌でなければせめて手助けぐらいはさせてほしい。


そんなことを考えていたら、リリアーヌの目からポロポロと涙が溢れ始め、心臓が冷える。

やはり、あんな目に合わせた俺が傍にいるのは彼女にとって負担なのだろうか。


「リリアーヌ?どうし――」

「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

ぐいっと自分で涙を拭い、俺を真っ直ぐ見てくるリリアーヌ。翡翠の瞳が潤んで綺羅綺羅していて、綺麗だなと思う。


「貴方を……まだ、お慕いしております。

だから、きっとこのままだと、ご迷惑をおかけしてしまいます。だから……どうか放っておいて、あなたを諦めさせて……お願いですから……」


謝罪の内容と意味がわからず一瞬呆けた。


まず前提として、俺たちは婚約を解消した。

俺に懸想するのは、解消された婚約関係を引きずっているようなもので、確かに世間一般的には褒められたことではない。……が、いま気にするべきところはそこではない。


……リリアーヌが、俺を??

婚約者のくせに他の女に惚れた挙句、そのせいで魔王につけ込まれ、騙して脅して傷つけた、俺を???


「……ま、待ってくれリリアーヌ!頼む、話を聞いて!」

思わず彼女の両肩に手を置くと、驚いたのかリリアーヌが目を見開く。

「リリアーヌ、君は、君は俺をまだ好ましいと思ってくれている?本当に??」

「……はい……申し訳ございません」


グズグズと鼻を啜り、眉尻を下げて答えるリリアーヌがあまりにも可愛らしくて、思わず腕の中に抱き込む。

小さな彼女は、俺の腕の中で、顔を真っ赤にして固まってしまった。

「――――!?!」

「君をとんでもない目に合わせたから、愛想を尽かされたと思っていたよ」


ポツリポツリ、とそのまま言葉を重ねていく。

「あの時、魔王に感情を増幅されていた俺は、周りが見えていなかった。でも、アルベルト殿の叱責を受けて気が付いたんだ。……誰よりも傍にいて、俺を支えてくれたのは誰だったのか」


少しだけ体が離し、そっと彼女の手を取る。

「学園に戻ってきて、君を改めて見ていた。婚約者として君がどれだけ俺のために動いてくれていたのか思い知ったよ。……都合のいい話と思うかもしれないけど、俺は君に応えたい」


信じられなそうに戸惑う彼女の手をしっかり掴み、甲に口付ける。

「リリアーヌ、こんな愚かな俺で許されるなら、どうか俺にも想いを返させて」


リリアーヌが驚きのあまり、ぽかんとした顔をする。

「デリク様……でも、私はミュゼリア様みたいに美しくありませんし、足だって……」

「そんなこと!足だって、そもそもの原因は俺だろう」

「でも、でもっ……」


弱りきったリリアーヌの可愛い口から、聞き捨てならない言葉が飛び出した。

「お、お父様から……その……新しい婚約者の方が決まりそうだって……」

「…………は?誰?」


リリアーヌから聞かされた名前に、心底悪寒がした。

社交界ではあまり知られていないが、紳士倶楽部では有名な、女児趣味の変態野郎じゃないか!?

リリアーヌの童顔で背の低い容姿が目当てなのは、火を見るより明らかだった。


「デ、デリク様……?」

不安そうなリリアーヌを安心させるよう、にっこり笑顔を浮かべ――そのまま車椅子を勝手に押す。


「デリク様?どちらへ?」

「俺の家」

「…………え、ええっ?!」


本当に馬車寄せに向かっているのが分かったのだろう、リリアーヌが本気で狼狽え始める。

「ま、待ってください、ど、どうされるおつもりですか!?」

「父に土下座でも何でもして、君を婚約者に戻してもらう」

「え、う、嘘!?本気ですかっ?」

「本気」

「え、あの、えぇっ?!」


完全に混乱しているらしい。真っ赤になって、半泣きのリリアーヌ。

……くそ、可愛いな。こんなに可愛い子が隣にいたのに、俺は本当に何してたんだ。


一生懸命後ろを向いて、車椅子を押す俺を見てくるリリアーヌ。その翡翠色の瞳をしっかり見据える。


「都合のいい事を言ってる自覚はある。けど……今更、君を他の男になんて、渡すわけないだろ」


今まで散々傷つけた俺だけど、だからこそ、どうか俺に、君を幸せにさせてほしい。

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