Level.089 意外な来園者
先日楽園の庭でマンダリナと会話していた時に、聖桜学園にある庭園について話した事もあってか。
久しく訪れていなかった庭園へと向かう事にした近衛。
きゃー、近衛様が歩いておられますわ!
「(それは歩くだろ。俺の移動は基本的に徒歩だからな)」
鉄の副会長様が俺達の校舎を歩いている!
「(校舎も歩くし校舎以外も歩くわ。普段どうやって生活していると思っている)」
副会長が校舎の外へ行きましたわ!
「(いや行くだろ。俺は校舎の外に出たら死ぬ病気にでも罹患しているのか?)」
普段足を運ばない校舎や施設に移動するだけで、周囲からは途切れることなく黄色い声が聞こえてくる。
「(これだから、執務室以外ではあまり行動したくはないんだよ。人の事を珍獣か何かと勘違いしているのではあるまいな)」
周囲から聞こえてくる声に心の中で突っ込み、心の中でだけ溜息を溢す近衛。
もちろん現実世界でそのような無様を晒す真似はしないので、肩で風を切って歩く近衛の姿に、聖桜の生徒はただ感動して道を譲るだけ。
とは言え、校外でも大体こんな感じなので、近衛もあんまり気にはしてはいない様子。
「(ダリちゃんが好きだと言う『ローズガーデン』は名前の通り薔薇の庭園だが……。ローズガーデンの美しさのピークは春から夏にかけて。十月に入って秋薔薇が咲く頃にまた生徒が増えるとは思うが、ただ暑いだけのこの時期に足を運ぶ物好きは少ないだろうな)」
厳しい残暑が残る九月。それも昼休みと言う時間帯。
そんな時期にわざわざ庭に足を運ぶ物好きは少ない。
しかし、何を隠そう近衛はその物好きの一人。
彼は中等部の頃、春夏秋冬の殆ど全ての時間を庭園で過ごしていたいので、その頃の事を思い出したのか、ふっと鼻から抜けるような笑いを溢しながら歩いていた。
聖桜学園の中等部と高等部がある敷地は、それとなく広い。
広いと言っても東京ドーム五個から八個分くらいしかないが、それでもそれなりに広い。
毎朝お車でお登校されるお生徒もお多く、お駐車スペースがお余分にお確保されている。
とか、そう言う次元の話ではない。
生徒を学校に送り届けた使用人が、そのまま放課後まで子息令嬢を待っている為の休憩所と言う名の交流所もある。
生徒一人につき二人までは付き添いを許可されているので、そんな使用人達が快適な仕事が出来るようにと、ワークスペースも用意されていて、使用人も安心安全に業務を遂行出来るようになっている。
もちろん、聖桜生徒の安全を守る為に選りすぐりのガードマンが昼夜問わずに何十人も敷地を循環していたり、草木の手入れをする業者さんも出入りしているので、それらすべての人達を受け入れる為にも敷地はとても広い。
幼稚舎と初等部の敷地はまた別で、聖桜大学の敷地もまた別だが、中等部と高等部の敷地はそんな感じ。
敷地内には生徒が利用しない施設も多数点在しているので、どれがなんの施設なのかを正確に把握している生徒はそこまで多くない。
知る必要がない上に、知っていても何かの役に立つわけでも無いから。
もちろん、鹿謳院や近衛を始めとした統苑会の面々(橘を除く)は、敷地内にある全ての施設に足を運んで、きっちりと把握している。
そして、そんな意味不明な施設が数多くある敷地の中で、近衛が特に気に入っていた場所が『ブルーガーデン』。
しかし、庭園の場所が中等部校舎の近くにあると言う事で、高等部に上がってからは一度も行かなくなってしまった。
そんな中、近衛が今回訪れたのは『ローズガーデン』。
ローズガーデンの美しさのピークは、確かに春から夏にかけてとなっているが、だからと言って今美しくないと言う訳ではなければ薔薇が咲いていないなんて事も無い。
「(この時期に足を運ぶのは初めてだが、四季咲の薔薇も十分に美しいではないか。しかし、そうか、今は丁度夏剪定が終わった直後だから、すっきりと見やすいのかもしれんな)」
ローズガーデンに足を踏み入れた近衛は、ふわりと香る花々の息を吸い込み、視界を彩る儚くも美しい命の輝きに満足しながら、庭の中をゆっくりと歩き出した。
各庭園は聖桜基準で言えばそれほど大きくはないが、サッカーコートの半分程度の大きさはある。
五十メートル×五十メートル前後の限られた空間に各庭園のテーマを閉じ込めて、優秀な庭師によって徹底して管理されている庭園は『聖桜五名園』と呼ばれ、夏休みの間だけ一般開放されている。
西洋式庭園の『ブルーガーデン』と『ローズガーデン』と『ハーブガーデン』。
日本庭園の『枯山水庭園』と『池泉庭園』。
以上の五つを名園とするが、残念ながらイギリス式の風景庭園は聖桜的には名園に含まれないらしい。
「善き仕事だ。存分に励むがよい」
ローズガーデンを歩いていれば、殆ど利用者が居ないこのクソ暑い時期でも手入れをしている庭師さんがチラホラ。
見てくれる人があまりいない時期の、そんないまいちモチベの上がらない庭師さん達も、近衛に声を掛けられた事でヤル気スイッチオン・ザ・ガーデンになって、笑顔を浮かべながら仕事に邁進する。
「(個人的にはブルーガーデンが最良だが、どの庭園も甲乙つけがたいのは事実。ダリちゃんが足を運ぶと言うから来てみたが、この時期であれば生徒も少ない。執務室だけではなく庭園での休息も視野にいれるか。デメリットは移動に時間が掛かる点か)」
マンダリナと会話をした事で久しぶりに足を運んだ庭園。
じりじりと肌を焦がす夏の視線に見守られながら、適当に一周回って帰るだけの静かな時間──。
「む」
「あら?」
……静かな時間だったはずなのだが。
「近衛君ではありませんか! 何と言う奇遇、何と言う運命。わかりますわ、わたくしの美しさに惹かれ、この地に足を運ばれたのですよね。さあ、お掛けになって下さいませ」
近衛が庭を進んだ先に一人、この炎天下の気温を更に上昇させるやかましいのが居た。
ローズガーデンの広場には白川桜花がいて、ベンチに腰かけている彼女の隣には日傘を持ったメイドさんが佇み、近衛に軽く会釈をしていた。
「奇遇である点は同意するが、それ以外は不正解だ。こんな所で何をやっている」
「何もしておりません。わたくしはただこの場所に居ただけで、気が付けば周囲が美しい庭園になっていただけですわ」
「それはただの怪奇現象ではないか。領域でも展開したのか」
近衛に気付くまでは姿勢を正して座っていた白川だったが、彼に気付くや否や立ち上がり、動きがうるさくなり始める。
どうしたものかと悩んだ近衛も、他に行く場所があるわけでもない。
と言う事で、軽く溜息を吐き出した彼は渋々彼女の隣に腰かけて、会話を続ける事にした。
「それで、昼はよくここにいるのか」
「時々、ですわね」
「暑いのにご苦労な事だ」
地獄のような真夏日が続く九月初旬。
涼しくなれば生徒で溢れる庭も、今は近衛と白川(と、彼女のメイドさん)だけ。
広場の中央にある池には美しい女性の像が立っていて、彼女の持った水瓶から溢れる水を眺める二人は、清らかに流れる水を見て涼を取る事にした。




