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Level.008 聖桜学園


 カタカタとキーボードを叩く音だけが響く統苑会の執務室。


 永遠に続くかと思われた鹿謳院と近衛の二人だけの静かな世界は、けれど、実際にはいつも二人と言うわけではない。


 と言うより、二人で居る時間の方がずっと短い。


 聖桜学園以外の学校にある、生徒会と呼ばれる組織がそうであるように。


 他の学校で言う所の生徒会に該当するっぽいような、しないっぽいような、そんな感じの組織である統苑会にも、会長と副会長以外の役職が存在している。


 そんな訳で、黙々と作業をする会長と副会長だけの室内に、ドアを叩くコンコンと言う控えめな音が響いた。


「どうぞ」


 来客の対応は下の役職の務めである。


 と言う事で、ノックの音など聞こえていないかのように自分の作業を進める鹿謳院ではなく、そんな彼女を軽く睨んだ近衛が静かに対応するわけだが……。


「失礼します! ──おーはようございまーすっ!」


 近衛の声を聴いた直後。


 ゆっくりと開かれたドアの向こうから現れたのは、教師ではなく生徒。


 見ているだけで元気を貰えそうな溌溂とした笑顔に、ハキハキとした喋り口。


「おはよう、美月みつき


「おはようついでにさっさとドアを閉めろ、柳沢やなぎさわ


「もおー、すぐ閉めますってばー」


 聖桜に通う生徒であれば普通は、近衛の冷たい声を聞けば怯むか、最悪泣き出す事もある。


 だが、たった今入室してきた柳沢美月と呼ばれた少女はケロリと笑って受け流すと、見るからに高そうなソファーにドーンと腰かけた。


「あ、そうでした」


 と思ったが、腰かけた直後に再び立ち上がると、近衛が執務室に常備している紅茶へと手を伸ばした。


「私も紅茶貰っていいですか? ありがとうございます!」


「許可する前に取るな。茶を飲みに来ただけなら帰れ」


「えー、副会長つめたー」


 常人であれば居竦んでしまいかねない近衛の視線を笑顔で受け流すと、女生徒は何事も無かったかのように食器棚からマイカップを取り出す。


「美月、落ち着きがありませんよ」


「はい! でも、あーあ……。二人の無茶振りで日々あっちへ行ったりこっちへ行ったりしてるのに、ぜーんぜん労いの言葉をくれませんよねー」


「もちろん、美月の尽力に感謝はしています。いつもありがとう、助かっていますよ」


「感謝と問題の指摘は別だ。仮にも柳沢グループの令嬢であるなら少しは落ち着きを持て」


「仮じゃなくて本物ですー」


 カップを持つ手を近衛の居る方向に突き出して、もう片方の手を腰の手を当てた女生徒。


 柳沢美月はそう言うとカップを近衛の執務机に置いて、くるりとその場で回転。


 先程ソファーの上に置いた鞄の中に手を突っ込んだ。


「えー、うそー! 私ってばこの短期間で学園近くの公道使用許可証貰ってきちゃいましたよー」


「早くそれを寄越せ」


「それでは、私に労いの言葉を掛けてくださった会長閣下にはこちらをー!」


「ありがとう、美月。いつも仕事が早くて助かっていますよ」


 ニコリと笑った柳沢がファイルに挟まれた一枚の紙を会長へ手渡すと、受け取った鹿謳院もまた柔らかい笑みを浮かべる。


「それでは私はこれでお暇するとしますかー。ミカちゃんはまた後でねー!」


「はい。また後程教室で」


 そうして、同じクラスに所属する二人は軽く挨拶を交わして、もう用事は済んだとばかりに執務室を後にしようとする柳沢美月。


「おい待て」


 しかし、そんな柳沢を呼び止めた近衛鋼鉄は、顔を引きつらせていた。


「え、待って……何か聞こえませんでした? うそ、この部屋オバケ居ます?」


 すると、右手を右耳の後ろにあてた柳沢がとぼけた顔でそんな事を言う。


「居ないわ、全く、面倒な奴だ。──はぁ……。いいだろう。わかった、仕方あるまい。よくやった、柳沢美月。褒めて遣わす」


「あ、副会長じゃないですか。良いところで会いましたねー! これ頼まれていた許可証でーす」


 柳沢が差し出したファイルを分捕った近衛はどっと疲れたようで、深いため息を吐いてから作業を再開した。


 私立聖桜学園。


 聖桜学園自体は、1877年に日本の中心を担う華族を教育する場として創立された聖桜大学が始まりとなっているが、厳密には『桜下塾おうかじゅく』と呼ばれる学び舎が起源。


 そんな聖桜大学も時代と共に変化。


 大学附属高校として聖桜高等学部が作られ、次に附属中学として中等部が、やがては初等部と幼稚舎に至るまで。


 今日では国内各地の御曹司、御令嬢が集う金持ちの学校として有名であるが、そんな聖桜学園の中には更に、『純血組』と呼ばれる一般生徒と区別される存在が居る。


 主に聖桜幼稚舎、或いは初等部からの内部進学者を指す言葉ではあるが、そんな純血組の中には、桁違いの家格を備えた生徒が多数存在して居るとか居ないとか。


 たとえば、起源を辿れば平安時代まで遡る政治の名家である近衛家。


 今でこそ表の世界でその名を目にする事はなくなったが、それは表社会の人間がその名を聞かなくなっただけに過ぎない。


 今日でも日本政治の裏舞台を整えるキングメーカーとして活躍する絶大な力を持つ家であり、そんな近衛家の次男である──近衛鋼鉄。


 たとえば、古くは歌人として、芸術家として栄華を極めた鹿謳院家も。


 一般の者がその名を目にする事はなくとも、京都を始めとした歴史ある寺社へ多大な影響力を持つ歴史ある大家であり、そんな鹿謳院家の長女であり次期頭首候補筆頭として目される──鹿謳院氷美佳。


 たとえば、日本最大手にして世界で大成功を収めているアパレルブランド。


 斬新なデザインから手堅いスーツまで幅広い衣服を扱う『UNLOOK YOU』の代表取締役を父に持ち、本人自身もSNSで100万人以上のフォロワーを持つ有名インフルエンサーである──柳沢美月、等々。


 聖桜学園の『純血組』には、単に金を持っているだけでは決して辿り着けない、弩級どきゅうの子息令嬢が多数在籍している。


 そして、そんな弩級の家柄の子供たちが小さな頃より同じ学び舎で仲良く育つ事で、彼らは親の思惑通りに、それが自分たちの意思であると錯覚したままその絆をより強固に深める。


 こうして、金持ちの金持ちによる強固なネットワークが形成されて行き、聖桜学園の力は何処までも増していくわけだが、それはまた別のお話。


 そんなわけで、幼稚舎から聖桜学園に通う純血組である柳沢美月もまた、鹿謳院氷美佳と同じように近衛鋼鉄と言う男について色々と知っている人間の一人。


 本来なら恐怖で縮こまるような言葉や視線を受けても平気なように、ある程度の関係性を築いている。


 当然ながら、近衛鋼鉄が性格の捻じれ狂った口が悪く愛想のない男であると言う事を知っている彼女は、それと同じくらいに近衛が面白い男であると知っていたりもする。


 所謂、腐れ縁と言う存在。


 友達と言い換えてもギリギリ成立する、そう言う関係。


 ファイルを分捕った近衛を見つめる柳沢は、楽しそうに笑っていた。

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