Level.081 帰ってきた日常
二学期制を採用している聖桜学園では、夏休みが開けた後もまだ一学期。
四月から十月中旬までが一学期、十月中旬から三月末までが二学期となっている。
夏はちゃんと夏休みがあるし、一学期と二学期の間には秋休みと言って、三学期制には存在しないちょっとした休暇もあれば、冬休みだってしっかりある。
その為、学生の大部分が気にすると思われるお休み問題は解決されているが、テストに関しては回数が減るかわりに出題範囲が増える。
なので、勉強が苦手な者は、学期末テストで苦悩する可能性が無きにしも非ず、と言った所。
そんな聖桜学園の一学期も夏期休暇が明けた事で、後半戦が開始──。
「副会長」
「読書中だ」
尤も、後半戦が開始したからと言って何かが大きく変わるわけではない。
長期休暇明けには最初に生徒総会が開かれるが、それまで暇なので執務室で過ごしている鹿謳院氷美佳と、近衛鋼鉄の二人。
椅子に座った近衛は右腕で頬杖をつきながら、左手に持った本を器用に読み進め。
そんな近衛に、ノートパソコンで作業をしている鹿謳院が話しかける、いつもの統苑会執務室。
「副会長はこの夏、どのようにお過ごしになられたのですか」
「読書中だと言っている。……まあよい。どのようにと言う質問が曖昧過ぎて返答できんとだけ言っておいてやる」
「これは失礼。大変おモテになると聞き及んでおりますので、どなたか素敵な異性と遊びに行かれたりはしなかったのかと思いまして」
「さてな。俺が世間一般で言う所のモテる人間である事は事実だが、時間を割くに相応しい女が居ない事もまた事実だ。これでいいか」
「はい。ありがとうございます」
今日の一冊『誰でも行ける宇宙旅行。それってウソ? ホント?』と言う、低年齢層向けと思われる本を淡々と読み進めている近衛。
そんな彼をチラリと見た鹿謳院は、すぐに視線を戻す。
「(やはり、雫と行った楽園の庭のコンセプトカフェ“天使の羽休め”について話す気はないようですね。とは言いましても、副会長からプライベートの話を聞き出す事は困難を極めますから、特に期待はしておりませんでしたが……。ですが、どうにかして雫の情報を聞き出したい所です)」
「(相変わらずお喋りな女だが、今鹿謳院はどうでもいい。今俺が考えるべきはダリちゃんの事。聖桜学園に通う生徒か、その関係者である事は間違いない。一度はチャットを基に統苑会、或いは鹿謳院に近しい者であると推測したが……。今にして思えば、あれらの推理には感情が乗り過ぎていた。全てをリセットしなければなるまい)」
いつも通り、頭の中はセレナとマンダリナの事ばかりな二人。
自分の判断を信じて疑わない鹿謳院と、自分すらも疑う誰も信じない近衛。
一学期の後半戦。互いに切り口を変えながら、パートナーの中身の特定に至ろうとする仲良し夫婦。
「モテると言えば、鹿謳院こそどうなんだ。男の一人や二人は囲っているのだろう。やはり夏はそいつらと親交を深めたのか」
「囲っているはずがないでしょう。副会長は私の事をどのような目で見られているのですか」
「どのようなも何も無い。鹿謳院も容姿だけは美しいからな。であれば、男の一人や二人囲っていて当然であろうと考えたまでだ」
「……お褒めに預かり光栄ですが、生憎と男を囲う趣味は御座いません」
呼吸でもするようにサラリと褒められた事で、何度か瞬きをした鹿謳院がパソコン画面から視線を持ち上げる。
しかし、視線の先には左手に持った本を興味なさげに読み耽る近衛が居るだけで、相変わらず自分を見ようともしない男に気が付いた彼女は、イラっとしながらパソコン画面に視線を戻す。
「誘蛾の香りに惹かれる者も多い事だろう。丁度、貴様の家臣にも一人良い男がいるではないか」
「良い男? ……ああ。彼を男性と思った事は一度もありませんが、そう言う意味では副会長の従者にも一人、美しい女性がいるではありませんか」
「生憎と俺の従者に美しい女は存在せん。風変わりな女なら存在するがな」
「ですが、そう仰られる割にはその方と共によくお出掛けになられますよね。噂によりますと、この夏の間も幾度か逢引をしたとか。詳しくは存じませんが、いずこかの風変わりなカフェにも足を運ばれたのでしょう?」
「……その噂の出所は何処だ」
「それはお答えできません。けれど、確かな筋からの情報です。とだけ」
鹿謳院の台詞を受けてようやく本から視線を上げた近衛と、そんな彼に余裕の笑みを浮かべる鹿謳院。
「(もちろん情報源は私なのですが、それは言えませんからね。しかし、よい具合に話が転びました。上手く会話を運べば、もう少し探る事も可能かもしれません。問題はどのように話題を運ぶか、ここは慎重にいきましょう)」
「(無論、天使の羽休めは往来の多い好立地にあるからな。誰かに見られる可能性は考慮していた。故に、敢えて変装も何もせずに来店したと言うのもある。橘と言う言い訳がある以上、変に隠れる方が不審だからな。……だが、それは俺だけの話だ。果たして、あのコスプレ女を見て一条をだと思う奴が存在するのか?)」
鹿謳院がセレナに至る為の会話を脳内で組み立てている一方で、近衛は彼女が話した情報源とやらに強い興味を持ち始める。
「ふむ。その話については特に隠し立てする事でもないから、話してやっても構わんぞ」
左手に持った本をパタンと閉じると、身体を鹿謳院の方へと向ける近衛。
「どうぞ。話したいのであればご自由にお話し下さい。従者の方との逢瀬について、何か言い訳でもあるのでしたらお聞き致しますよ」
思いの外簡単に話して貰える事に、心の中で手をグーにして喜ぶ鹿謳院。
「(そう難しく考える必要もありませんでしたね。この男であれば変に隠し立てするよりも堂々と話すに違いありません。さて、後はどのような情報を聞き出せるか、──いえ、ですが、難しいですね。雫について聞く事は出来ましても、この状況で楽園の庭について話しを聞く事は不自然が過ぎます。これは、どうしましょうか)」
しかし、喜んだのも束の間、この状況では碌な事が聞けないと言う事に今更になって気付いてしまう。
「ただし、話す前に誰が俺を目撃したのかだけ教えろ。そいつに興味がある」
「それはお話しできません」
「では、この話は終わりだ」
「はい」
と言う事で、この話はここであっさりお仕舞。
まさか自分が見ていたと言えるはずもない鹿謳院は急激にこの話題への興味を失くしてしまい、近衛もまた情報源を探る事が出来なくて終了。
両者引き分け──。
「(誰だ? コンセプトカフェで俺と一条を目撃した人物は。……或いは、そいつがダリちゃんである可能性もある)」
──なんて事にはなっていなかった。




