Level.061 本音の在り処
九十分の滞在時間が経過した事で、近衛と一条よりも先に退店する事になった鹿謳院。
注文してから時間が経ち過ぎてすっかり冷めていたり、生暖かくなってしまった料理をちゃんと全部食べた彼女は、鞄で顔を隠しながら二人の横を通り過ぎると、どうにかバレる事なく撤退に成功。
すると、店の外に出ると同時に護衛の男女が何処からともなく出現。
彼女の前後左右を付かず離れずの距離で歩きながら車まで護衛をした所で、帰宅となる。
「(雫のエヴェリーナ、可愛かったですね。どうやら、今回は副会長の命令で橘君の為にアイテムコードを集めている様子ですが、本当は御自身の為に使いたいでしょうに。健気な子です)」
車の外を見ながらぼんやりと考えるのは一条の事ばかり。
「(確かに雫との仲は良好です。けれど、美月のようにプライベートで会う程の関係ではありません。今回は運命に導かれるがまま遭遇に至りましたが、夏休みの間はもうプライベートで会う事はないのでしょうね)」
セレナの中の人が同じ聖桜学園に通う生徒であると判明して、早数ヶ月。
それまでは中の人物に対して一切の興味が無かったと言うのに、その人が身近に居ると分かった途端、心境は一転。
自分の事を探られないように、自分の中身が知られないように。
もしバレてしまった時の為にも相手の中身を先に見つけて、変な脅しをかけられないように弱みを握ってしまおう。
「(なんて、ね。……その気持ちが全くの嘘とは言いません。それでも、それが全てかと言われると──)」
車の窓の向こう側に流れていく景色を見ながら、鹿謳院が物思いに耽っていた頃。
近衛と一条は少し早めに退店をして、顔色一つ変える事なく会話をしていた。
「本当にその格好で帰るつもりか」
「ご安心下さい。日本にはタクシーが御座います」
「そんなもの日本に限らずあるわ」
「流石は鋼鉄様です。博識でおられます」
「馬鹿にしているのであれば、その耳毛を引き抜いてやっても構わんのだぞ」
エヴェリーナのコスプレをしている一条の、耳の辺りに装飾された青い鳥の羽。
それを指さした近衛がそんな事を言えば、当然一条が返事をする。
「どうぞ、よろしくお願い致します。それがお望みとあらば、御要望には全力でお応えします」
「うるさいわ。わかったからさっさと帰れ」
「いえ、鋼鉄様はいずこに?」
「俺は少し寄る所がある」
「お供致します」
「不要だ。……そもそも、そんな恰好でついて来ようとするな。貴様は阿呆か?」
近衛に限らず、コスプレした従者を連れ歩くなど羞恥プレイも良い所だろう。
尤も、仮にコスプレをしていなかったとしても近衛は一条を連れて歩こうとはしないが。
「ですが、あまり御一人になられるのは危険かと。貴方様はいつも──」
「そら、便利なタクシーとやらが来たようだぞ。さっさと帰れ、そして着替えろ。──いいな、これは命令だ」
「……畏まりました」
何か言いたそうな一条も命令されたら従わざるを得ないようで、渋々タクシーに乗り込む。
そうして、彼女を乗せたタクシーが消えていくのを見届けた所で、近衛も歩き出した。
「(恐らく、一条はダリちゃんではないだろう。可能性は捨てきれぬが、ダリちゃんであればもう少し反応を見せるはずだ。楽園の庭についてある程度の知識はあるようだ、それでも初心者に毛が生えた程度の知識。……いや、俺が何も知らぬと言う体裁を保っているが故に、こちらに合わせた話題を提供したとも考えられるか。やはり、現時点では保留するしかないな)」
ポケットに手を入れた近衛が歩き出せば、ただの歩道は彼の独擅場。
ただの歩道はランウェイに様変わり、道行く人は観客となる。
「(ダリちゃんが聖桜学園の生徒である事は、確定して良いだろう。或いはOBと言う線も捨てきれぬが、その割には現役世代でなければ知り得ぬであろう情報を持ち過ぎている。問題は統苑会の誰かであると、そこを確定しても良いものかどうかと言う点。限りなく濃厚な線に思えたが、性急に選択肢を狭め過ぎたかもしれん)」
近衛の移動手段は基本が徒歩で、極稀に自転車を利用して、遠出の時は公共交通機関を利用する。
この国を裏から牛耳るフィクサーたる近衛家の人間にしては、中々の庶民派感覚の持ち主である。
「(そうだな、統苑会について詳し過ぎるからと言って、関係者であると決めつけた事は早計だったかもしれん。──だが、それでも、鹿謳院を中心に構築された円の中に隠れている可能性は高い。一条は現状では保留として、夏期休暇中は派手に動かぬ方が賢明か。アクションを増やせば隙が増えるからな。そも、奸計とは日常に溶け込ませてこそ隙がつけると言うものだ)」
夏期休暇中に統苑会のメンバー全員に接触する事は容易である。
鹿謳院や近衛に呼び出しを食らって断る人間は聖桜学園には存在しないので、接触自体は非常に簡単。
しかし、今まで誰とも遊ばなかったような人間がいきなり知人との接触回数を増やす事は、誰の目から見ても明らかな不自然を生み出してしまう。
それ故、鹿謳院も近衛も夏期休暇の動きについては、必然的に緩慢にならざるを得ない。
仮に一条雫がマンダリナ or セレナであったとしても、そうじゃなかったとしても。
夏期休暇中に不自然に動き過ぎると、統苑会に所属する人間、或いは近しい人間であればその情報が何処からか漏洩する事も有り得る。
そうなれば、自分は碌な情報を得ていないにもかかわらず、相手だけ情報をキャッチし続けると言う不利益な状況が発生し続ける。
鹿謳院も近衛も、それだけは避けたいと考えていた。
「(しかし、こちらが動かなければあちらも動きようがない事に変わりはない。やはり、夏期休暇の間は大人しくしている事が得策だろうな。今は束の間の休戦といこうではないか。夏期休暇があければ学校行事が増える。本格的に動くのはそこからで問題なかろう)」
自分が動かなければ相手が動く事もないのだから、何も慌てる必要はない。
それ所か、こんなに必死になってマンダリナの中身を探す必要が無い事も、近衛は理解している。
「(セレナの中身が俺だったからと言って、ダリちゃんが脅しをかけて来るような男ではない事は理解している。きっと、何も言わずに関係を継続してくれるだろうよ。俺だってダリちゃんの中の人間を脅そうとは考えていない。だから……そうだな。これは、ただ、そう言う事なんだろう──)」
ふと、真夏の空を見上げた近衛が溜息を吐き出していた頃。
「(セレナの中の人はきっとマンダリナに、いいえ、誰にも中身を知られたいとは思っておられないでしょう。それに、恐らくマンダリナの中身が私だと分かったからと言って、脅すような真似もされないでしょう。夫ですもの、それはわかります。ですから、無理に探す必要なんて無くて、探さない方がきっと良くて……それでも──)」
屋敷に到着した鹿謳院が車から降りて、近衛と同じように空を見上げていた。
「(なんだかんだと理由を付けてはいるが……結局俺は、マンダリナの中の人間が誰であるのか、ただそれが知りたいだけなのだろうな)」
「(色々と言い訳をしておりますが……私はただ、セレナの中の方がどなたなのか、それが知りたいだけなのでしょうね)」
結局、本音はそこにあるのかもしれない。
たとえば、初めから性別を偽らずに遊んでいれば。
たとえば、鹿謳院と近衛が一般家庭に生まれた人間であれば。
「(自分の中身を知られたくはない癖に、相手の中身だけを知りたがるとは。近衛の人間ともあろう者が、なんと臆病な事か。卑怯な真似は、するべきではないのだがな……)」
「(正々堂々と打ち明けて、それから相手の気持ちを受け止めれば良いだけの話だと言いますのに。鹿謳院の人間たる者が、なんと狭量な器でしょうか……)」
たとえば、二人にもう少しだけ勇気があれば。
もしかすると、今のようなややこしい関係にはなっていなかったのかもしれないし、結局はなっていたのかもしれない。
とは言え、その辺のタラレバは考えても仕方のない話。
「(──考えていても仕方あるまい)」
「(──今更の話しですね)」
ウジウジしていても何も始まらないのは事実。
鹿謳院も近衛も自身の未熟さを見つめながら、それぞれの日常へ戻っていく。