Level.005 人類の調和の象徴
大人気MMORPG『楽園の庭』で結婚したキャラクターの中の人間が、同じ学校に通っていると言う衝撃的な事実が判明した“セレナ”こと近衛鋼鉄と“マンダリナ”こと鹿謳院氷美佳。
自分の結婚した相手の中身を探し出そうと知恵を絞る二人は、今日も今日とて朝一の緊張感あふれる静かな統苑会執務室で読書に耽っていた。
「毎朝無理に執務室に来る必要はないぞ、鹿謳院。読書であれば教室や図書室でも出来るだろう」
「その言葉、そっくりそのまま返させて頂きます」
そして、毎度の如くどちらからともなく話しかける事で、しょーもない言い合いが始まっていた。
「俺はここで毎朝飲む紅茶が日課になっているだけだ」
「でしたら私もお茶を飲むのが日課になっているだけです」
「教室に居場所がないからここに逃げてきているだけかと思っていたが、そうでもなかったのか」
「あら? 頭にブーメランが刺さっておられますよ、副会長。血が出ていないか見て差し上げましょうか」
「何とでも言え。近衛の人間が教室に居ては空気が重かろうと思っての俺なりの配慮だ」
「副会長は随分とお優しいのですね」
鹿謳院の言葉は、周りの方へ配慮をするなんて優しい人ですね、と言う意味ではない。
お前そんなに優しい奴だっけ、自意識過剰なんじゃねーのー? と言う意味である。
鹿謳院の言葉は必ずしも言葉通りの意味を持たないので、それを知らない者は大変苦労するとかしないとか。
しかし、初等部から同じ学校に通っていて、中等部以降毎日のように顔を合わせる近衛には慣れたもの、難解な彼女の言葉を読解する事など朝飯前。
鹿謳院が今発した言葉の意味も理解出来ているようで、無視する事にしたのだが……。
「──と言いたい所ではありますが、気持ちは理解出来ます」
「だろうな」
鹿謳院氷美佳と近衛鋼鉄。
互いに歴史ある名家の生まれであるが故に、柵と世間体に雁字搦めにされる気持ちが理解出来るのだろう。
ふっと鼻から息を吐きだすような軽い笑いを溢した近衛に、鹿謳院がほうと溜息で返事をした。
互いに競い合い反発し合い争ってはいるが、鹿謳院も近衛も何も、お互いの事を憎しみ合っていると言うわけではない。
寧ろ似たような境遇の者同士、その他大勢の生徒よりもずっとシンパシーを感じているとも言える。
無論、どちらもお家の為に頂点を目指しているので、その一点において譲り合う事は出来ないけれど、それはそれとして、長年の好敵手として誰よりも互いの実力を認めているのも事実。
「まあ、どちらにせよ朝に茶を飲む神経はわからんがな」
「可哀相に。和の心を忘れた西洋かぶれに、緑茶の奥深さは理解出来ないのでしょう」
「それを言うのであれば、不発酵茶葉を使う緑茶ではなく完全発酵させた紅茶にこそ深みが宿るのではないか。奥深さと言うのであれば紅茶に軍配が上がるはずだ」
「ミルクや砂糖を始めとした不純物を入れる事を善しとする不完全な飲物と、ただ茶葉の香りを楽しむ緑茶では完成度に大きな差がありましょう」
「それに関しては、ミルクや砂糖を不純物と捉える事がそもそもの間違えだ。何故あれらを不純物と思う。どちらも人類が完成させた嗜好だ。それらを掛け合わせた事で完成する紅茶こそが、人類の調和の象徴であり歴史を表しているとは思えんのか。狭量な奴め」
「緑茶に比べて遥かに歴史の浅い紅茶に人類を見出されましても、困ってしまいます。私の見る世界は、副会長のお考えになられる世界よりも深く長いのです。……そもそも、ミルクは人類が作った物ではなく乳牛が作った物ではありませんか」
難書を片手に、ああ言えばこう言うくだらない言い合い。
どちらも本から視線を外す事のない言い合いをしながら、統苑会執務室ではいつも通りの日常が経過していく。
学友の事を煩わしいと思う事はないものの、胡麻すりや持ち上げ、過度の期待等々。
付き合っていると疲れてしまう事が多い二人は、統苑会の人間以外が殆ど立ち寄る事のない統苑会執務室で、静かな時を過ごす事が多い。
時々言い合いをする事はあるけれど、殆どの時間は互いに黙って過ごしているので、毎日静かに学校生活を終える。
マンダリナ:──みたいな事があってさ、てかどっちでもいいよな、マジで
セレナ:うんうん! 好きな物を飲めばいいですよねー
マンダリナ:そりゃお茶の方が好きっちゃ好きだけど、俺だって紅茶も飲むしコーヒーも飲むって
セレナ:私はどちらかと言うと紅茶派ですけど、お茶もいいですよね。和菓子に合うのはやっぱりお茶ですもん!
そして、そんな二人が帰宅すれば、すぐさま楽園の庭にログイーン。
最近は夫婦の中身を探る為に、学校であった出来事をそれとなく話す事も増えている仲良し夫婦。
もちろん、身バレを回避する為にもありのままの全てを話すのではく、多少の虚偽を交えたエピソードトークを織り交ぜながら話す──ようにみせかけて、割とダイレクトに愚痴っている。
「……ふむ」
紅茶の方が美味いと言う気持ちは共感出来なくはないが、人が飲んでいる物にいちいちケチをつけるような奴がいるとはな。
聖桜に通っている癖に了見の狭い奴だ。しかし、なるほど。
ダリちゃんは普段はお茶をよく飲んでいるのか。
とは言え、お茶を飲む生徒だけでは絞りようがないな。
もう少し特定に至る何かがないだろうか。
そんな事を考えながら、PCデスクに置いた紅茶の入ったマグカップを手にした近衛鋼鉄。
そんな彼の見つめるPC画面の向こう側でも、やはり──。
マンダリナ:俺もお茶ばっか飲んでるわけじゃないけど、チーズケーキなんかは紅茶とかミルクティーの方があったりするしさ。普通飲物は食べ物に合わせて変わるよな
セレナ:ですね! ダリちゃんがいつも飲んでるお茶とかおススメの茶葉みたいなのってあるんですか? 私もお茶のお勉強してみようかなー?
マンダリナ:お、いいな。お茶の事なら何でも聞いてくれていいよ、結構詳しい方だから。あ、じゃあ逆に俺はセレナが普段飲んでる紅茶知りたいかも?
セレナ:もちろんいいですよ! えっとですね──
「……ふむ」
身バレに繋がる情報を提供するリスクはありますが、対価としてセレナの情報を受け取れるのであれば差し引きはゼロ。
紅茶の銘柄には詳しくありませんが、仮に特徴的な銘柄の紅茶を愛飲されていれば、セレナを探り出す好機となりましょう。
そんな事を考えた鹿謳院が、湯呑に入ったお茶に軽く口を付けて、小さく喉を鳴らした。