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Level.058 有り得ざる王手


 遡る事、三十分前。


 使用人に天使の羽休めの前までお車で送って貰った鹿謳院氷美佳は、一条と近衛より前に入店。


 建物の周囲は三十名からなる鹿謳院家の手勢が人知れず固めており、店内にも氷美佳お嬢様には内緒で数名の護衛が客に扮しているのだが、その辺を知らないお嬢様は目を輝かせていた。


 楽園の庭の世界観を忠実に再現された店内の雰囲気を楽しみつつ、運ばれて来るお料理と飲物をゆっくり食べながら過ごす土曜日の昼下がり、至福の時間。


 しかし、そんな時間は長くは続かなかった。


 え、なにあれ。うわすご。


 店内に溢れていたカップルや友人同士と思われる人達の話し声の中に、感嘆やどよめきのような声が混ざり始めた事で、鹿謳院氷美佳の初めてのコンカフェは終わりを告げる事となる。


 自分が入店した時も無遠慮にチラチラと見られたりはしたけど、その比ではない謎の熱気。


 誰か有名な人でも来たのだろうか、或いは何かしらの事件だろうか。


 鹿謳院氷美佳とて人の子。


 欠片程とは言え多少の野次馬根性は持ち合わせており、何があったのだろうと思って視線を動かす程度の事はする。


「エヴェリーナっ──はっ」


 そんな彼女の視線の先に居たのは、そのまんま楽園の庭に登場する人気キャラクターの一人エヴェリーナそのもの。


 セレナの大好きなキャラクターと言う事で、いつの間にか自分も好きになったキャラクター。


 視線の先に居たのは、蒼鵠そうこくのエヴェリーナに扮した可愛らしい女性だった。


 生まれて初めて、生でコスプレイヤーと言う生物に遭遇した鹿謳院の口から思わず声が漏れてしまい、それに気付いた彼女は慌てて両手で口を抑えて視線を外したのだが──。


「──っ?!」


 ──視線を外す前に、エヴェリーナのすぐ隣を歩く生物に気が付いて、思わずむせてしまう。


「お、お客様、大丈夫ですか?」


 突然咽た鹿謳院に店員が駆け寄るが、それを手で制止。


 変装の為に用意しておいたマスクとサングラスを慌てて着用して、脱いだはずの帽子を被り直し、木で出来たメニュー表を両手で持てば、かくれんぼの開始。


「(何でここに近衛君が……! そ、その人は誰ですか? どう言う事ですか?)」


 後は、少しばかり離れた席に座った二人の様子を窺いながら、聞き耳を立てるだけの簡単なお仕事。


 セレナの為にアイテムコードを貰いにいこう!


 みたいな事を考えていたが、それは本音であり建て前でもある。


 本音を言えばこのお店に来てみたかっただけで、凄く興味があったからと言う理由が大部分を占めていたのだが、それでも、これまでは足を運ぶ理由に欠けていた。


 どんなレストランや料亭でも叶わない美味しい料理が提供される、そんな環境に身を置く鹿謳院にとって、わざわざ外食をする意味も理由も全く存在しないからである。


 それが、今回のアイテムコード配布イベントのお陰で、自分を納得させる丁度良い理由が出来た為、喜び勇んで来店したと言う訳である。


けれども、折角楽しみにしていた料理の味はもうわからない、と言うかそれどころではない様子。


「(……もし、もしあの男にこのようなお店に足を運んでいた事が露見するような事になれば、一体何を言われるか。想像するだけでも恐ろしい話です。とにかく今は身を隠す事と、エヴェリーナと近衛君の会話を窃取する事だけを考えましょう)」


 楽しみにしていた料理の味も、お店の雰囲気も、何もかもぶち壊れしまったが、それでも鹿謳院はそれ以上に思考を加速させていた。


「(全くの無警戒ではありましたが、ここに足を運ぶと言う事は副会長も天使に違いありません。もちろん、私の可愛いセレナとこの男が同一人物である可能性は万に一つもありません。けれど、副会長が楽園の庭を遊んでいると言う事実は、これから統苑会の者に探りを入れる際に、きっと役に立つ手札となりましょう)」


 鉄の副会長が楽園の庭を遊んでいる。


 この手札があれば、統苑会に隠れているセレナを炙り出す事も容易になるかもしれない。


 鹿謳院はなにやら強力な手札を手にしたと考えているが、何が何でも近衛とセレナを結びつけようとしない痛恨のミス──。


「(……ですが、可能性は可能性。万が一にもあり得ずとも、億が一、兆が一、極が一の可能性もあります。即ち、近衛鋼鉄がセレナであると言う可能性も有り得ると言う至極単純な話です。宇宙創成の可能性よりも低い確率と言えども、ゼロではありません。……無意識に選択肢から除外しておりましたが、彼とて、セレナの候補として一応当てはまるではありませんか)」


 痛恨のミスかと思いきや、ここは意外にも冷静。


 鹿謳院の頭がイヤイヤ回転した結果、彼女は近衛よりも早くその可能性に辿り着いてしまった。


「(……仮に、セレナの中身が副会長であれば、私はもう二度とセレナの前で笑う事も、副会長を直視する事も出来なくなる恐れがあります。……で、ですが、そうです。そうでしたね。確かにこの男も、これまで積み重ねた情報を軸とするのであれば、セレナの条件に当てはまります。当てはまってしまいます)」


 考えたくなくても考えざるを得ない。


 偏見や先入観で思考を歪ませる事だけはあってはならない。


 そうじゃければいいと言う個人的な願望と、それでもその可能性もあると考えざるを得ない。


 それら相反する二つの思考が頭の中で高速でぶつかる鹿謳院の頭は、真夏なのに湯気が出るほどに加熱、脳内でビッグバンが連発していた。


「(いけません。いけません。いけません。考えれば考える程に副会長とセレナの条件が一致してしまいます。そんなはずがないではありませんか。私の頭はどうにかなってしまったのでしょうか。いいえ、けれど、論理的な思考を絶やしてはなりません)」


 ダーリちゃん! と呼ぶ、楽園の庭での可愛いセレナ。


 うるさいぞ、鹿謳院。と言う、執務室での傲岸な近衛鋼鉄。


 セレナと近衛がぶつかり合う鹿謳院の頭は益々熱を放ち、彼女の頭から発せられる知恵熱で店内の室温が気持ち上昇する……ような気がするだけで、それは鹿謳院の主観。


 イヤだイヤだと思いながらも、天才の頭脳はどうしても正解を導いてしまう。


「(そんな、いいえ、いいえ……。まさか、そのような。そのような事が。セレナの中身が副会長である可能性は──)」


 極めて高い。


 その結果、夫婦特定ゲームで常に一歩リードしていたはずの近衛鋼鉄よりも先に、鹿謳院氷美佳の頭脳が、遂にその結論に到達してしまう。


 一体どうなってしまうのか、このまま決着がついてしまうのか、決着がつかないのか!


 様々な感情に胸中をかき回されて顔を赤く染めた鹿謳院は、目をぐるぐると回しながらも、遂に夫婦特定ゲームに王手をかけた。

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