Level.054 計算を狂わせる異分子
「昔からお城のような建物に興味があったのです。ご安心ください、こんな事もあろうかと偽造した身分証であればこちらに。あれらの建物の内情には詳しくありませんが、仮に年齢確認をされても押し通れます」
「即刻破棄しろ。そもそも年齢確認はされん」
※身分証の偽造は公文書偽造罪や偽造公文書行使罪などの犯罪に問われます。
「流石は鋼鉄様です。よくご存知で」
「ただの常識だ」
「しかし、そうなりますとどちらで? 私とて初めては屋内が好ましいです。ですがもちろん、鋼鉄様がどうしてもと仰られるのであれば屋外──」
「そこから離れろ、鬱陶しい。一条は少し黙っていろ」
ヤル気満々な様子の一条を無視した近衛は思案に暮れる。
「(これだから一条とは外出したくないんだよ。鹿謳院とはまた違った面倒臭さがある。ダリちゃんであればこのような──いや、待て。ダリちゃん……だと? この女が? 正気か俺は? 一度落ち着け、思考を整理しろ)」
最早、一条雫以外にはあり得ない。
そう考えたが故に彼女と接触した近衛だったが、流石の彼も冷静になる。
「(コレが? コレがダリちゃん、だと? いや、俺とて楽園の庭では多少のイメチェンをしているからな。全く有り得ん話ではないが……。だが、仮にこの女が我が夫マンダリナであれば、俺は今後ダリちゃんと楽しく遊ぶ事が出来るだろうか)」
下ネタの話など一度もした事が無い、爽やかナイスガイな夫。
周りに人目が無く二人きりになった瞬間、自分を抱けと催促してくる従者。
この二人が同一人物などと、果たしてそんな事があり得るのだろうか。
顎に手を当てたままの近衛が思案に暮れていると、対面の席から移動した一条が彼の隣に移動して距離を詰めようとする。
迫りくる変態を左手で押し返しながら、何をどうすれば今すぐに否定材料が見つかるかと考える近衛だったが、解決策はあっさりと見つかる。
「──おお……そうだな。って、鬱陶しいわ! さっさとそっちの席に戻れ」
「はい。畏まりました」
思考の海から解決策を掘り出した近衛が意識を浮上させると、すぐ隣にいる一条を無意識に左手で押し返していた事に気付き、命令する。
基本的には命令に逆らう事がないので、一条も二つ返事で了承。
「(余りにも単純過ぎるが故に見落としていたが、この方法を使えば下手な騙し合いをする必要すらなくなる。相手が目の前に居るだけで成立する。実に単純な証明があるではないか。俺とした事が、この程度の事に気付けんとは。いいや、余りにも幼稚過ぎて見落とすのも無理はないか)」
黙って目の前の座った一条を見た近衛、スマホを取り出し一つのアプリを起動する。
そう、楽園の旅人である。
「(今ここでダリちゃんにチャットを送れば全て解決する。目の前の人物がスマホに触れていないのに返事が来たら、その時点でダリちゃんである可能性は排除出来るではないか。全くもって、実に単純な話だった。人前でスマホを触る習慣がなかったせいで完全に見落としていたぞ)」
初めこそ楽園の旅人にハマっていた事もあったが、それも一過性。
橘蓮にやり過ぎは良くないと言われた事で反省して以降は、少し控えめに。
毎朝の挨拶やお昼ご飯の話程度にとどめて、後はゲームの中で楽しく遊ぶだけの関係に戻っていたが、別に楽園の旅人アプリを使わなくなったわけではない。
セレナ:お外暑いー! 助けてダリちゃんー!w
多くの人間が反応に困る、クッソどうでも良い日常の報告チャットを打ちこみ送信。
こんな単純な事がどうして思いつかなかったのか、と。
常識的に考えて、一条雫がダリちゃんのはずが無いではないか、と。
自身の思考が迷走していた事を理解した近衛は左手でスマホを操作しながら、余りのバカバカしさに右手で口許を覆い隠すと軽く笑い、ダリちゃんからの返信を待つ。
マンダリナ:溶ける前に家に逃げ込んだ方がいいぞw
そうして、マンダリナから返信が来たのを確認した近衛が顔を上げると。
「(──この女、いつの間に?)」
チャットを送る前まではテーブルの上に置いてあったはずのスマホを、嬉しそうな表情を浮かべた一条雫が両手で持って、指を動かしている光景がそこにはあった。
しかし、それも一瞬で近衛に見られている事に気付いた彼女はすぐにスマホを置く。
「如何なさいましたか、鋼鉄様」
「……いや、何でもない」
じろじろ見ている近衛を不思議に思ったのか、首を傾げた一条から意識を逸らす。
そんなはずはない。そんな事があって良いはずがない。
たまたまの偶然に過ぎない。
そう思った近衛は再びアプリを起動してチャットを送信する。
セレナ:溶けると言えば、アイスでも買って帰ろうかな!
マンダリナ:食べ過ぎてお腹壊さないようにな?
チャットを送れば返事は一瞬。
死ぬ程どうでも良いチャットだと言うのに、それでもすぐに反応してくれて、自分の事を気遣ってくれる優しい夫マンダリナ。
彼の温かさに感動した近衛が、再びスマホから視線を持ち上げる。
「(──な、なん……だと……?!)」
そこにはやはり、先程と同じく嬉しそうな表情を浮かべる一条が両手でスマホを持ち、忙しなく指を動かしている光景があった。
まさか、本当に……? 貴様がダリちゃんなのか……?
一度は有り得ないと言う結論に至ったはずの近衛の脳が、有り得ざる可能性を再び検討し始めてしまう。
偶然とは恐ろしいもので、それが重なってしまうと人は簡単に騙されてしまう。
とは言え、最も厄介なのはこれが偶然ではないと言う点にあるかもしれない。
一見完璧にして単純な証明手順に思われた、アプリを使った本人特定方法。
しかし、今回の相手に限って言えばそれは最悪手。
「(微笑みながらスマホを触る鋼鉄様、貴重な一枚です。なんとお美しい。何か良い報告でもあったのでしょうか)」
アプリを開き、マンダリナに対してどんなチャットを送ろうかと考えている時、思わず優しい表情を浮かべてしまう近衛。
そんな近衛を見た一条はすかさずスマホを手に取り、カメラアプリを起動。
後は親指を連打するだけの簡単なお仕事となっている。
彼女が嬉しそうな顔を浮かべているのは、普段殆ど笑わない敬愛する主が優しい表情を浮かべているからで、それが自分の事のように嬉しくてついつい釣られて笑顔になっているだけの話。
つまり、近衛がマンダリナにチャットを送り続ける限り、一条は彼を一生盗撮し続ける。
と言う事で、近衛が思いついた完璧な証明手段は、今回の相手に限って言えば最悪手だったと言わざるを得ない。
その後、数回チャットを繰り返すも同じ結果に陥った近衛は帰宅。
『そんな馬鹿な』と頭を悩ませた近衛に対して、鋼鉄様フォルダに大量の写真が追加された一条は『やったぜ!』と満足そうに呟いてから、瞑想を再開した。