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Level.053 尋常ならざる主従関係


 一条いちじょうしずく


 代々近衛家に従う忠臣の一族『一条家』の三女としてこの世に生を受けた、容姿端麗にして一目十行いちもくじゅうぎょうの才女。


 近衛鋼鉄に与えられたただ一人の従者にして、彼を主君と仰ぎ身命を賭して仕える忠臣の中の忠臣。


 そんな彼女は今──。


「え、それは普通に無理です」


「一条貴様、この俺の命令に従えぬと言うのか」


 そんな彼女は今、主に向かってNOを突き付けていた。


 場所は近衛行きつけの静かな喫茶店。


 本格的な紅茶が比較的安価で楽しめる、知る人ぞ知る隠れた名店。


 安価と言ってもそれなりに値は張るので、学生が来る事は少ないそんなお店。


 そんな店の入り口から一番奥にあるテーブル席は、近衛の為に常に空席になっていて、周囲の雑音が聞こえる事のないその席には今、見目麗しい男女が向かい合って座っていた。


「もっと他に命令はないのですか。ここ数年、外出時は行き先も告げられず。最近の命令と言えば庶務の教育に関する内容ばかり。もっと私の力を信頼して下さいませ。御命令頂ければ敵の一人や二人屠ってみせますよ」


「貴様はいつの時代の人間だ」


「令和に生きる鋼鉄はがね様の忠実なる下婢かひに御座います。どうぞ可愛がって下さいませ」


「そう言うなら貴様が所有するスマホを全て見せろ。俺の命令で人を消せる人間が何故スマホを見せる程度の事を渋る」


「スマホは個人情報の塊です。お言葉ですが、鋼鉄様は本当に乙女の秘密を覗く覚悟がおありなのですか」


「何を大袈裟な事を。少し確認したい事があるだけだ」


「(楽園の庭をプレイしているかどうかを聞いても構わんのだが、橘と柳沢に比べれば一条の頭は些かキレが良すぎる。些細な質問をしたが最後、気が付けばこちらの喉元に剣が突き立てられていた、なんて事にもなりかねん)」


 これまで集めた情報から、マンダリナの中の人間が統苑会に所属するいずれかの人間であると、結論付けている近衛。


 しかし、橘蓮でも柳沢美月でも無い場合、残る選択肢はかなり絞られる。


 と言うよりも一人しか居ない、即ち一条雫以外にはあり得ない、と。


 残念ながら、彼の頭の中には鹿謳院氷美佳の名前は欠片ほども存在せず、初めから正解が除去された問題を馬鹿みたいに延々と考え続けていた。


「(夏期休暇中、一条は常に自宅待機している事になっている。供する事を拒否して以降、いついかなる時にこの俺の命令が下されても動けるようにと、精神統一をして過ごしていると言っていたが、そんな人間が存在するはずが無い。空いた時間を遊興に当てている事は容易く想像出来る)」


 と! 考える近衛鋼鉄だが、事実は小説より奇なり。


「(夏休みに入って早十日。或いは夏休みの間、ただの一言も御命令を頂けないと考えておりましたが、一日の内の十二時間を瞑想に費やした甲斐がありました。私のイデアが集合的無意識を通じて鋼鉄様に伝わったのでしょう。ですが、何故なにゆえにスマホなのでしょうか。それ以外であれば何でもお見せするのですが)」


 近衛が存在するはずが無いと考えていた人間は普通に居た。目の前に。


 この春から聖桜学園に在籍する事になった橘蓮。


 そんな彼を痛く気に入っている近衛の命令によって、学校に居る間の殆ど全ての時間を彼の教育に費やす一条の内心は複雑。


 今まで身命を賭して王様に仕えていた騎士が、ある日突然平民の家庭教師を任される感覚。


 フラストレーションはひとしおで、軽く凹む日々を送っていた彼女は今、ポジティブシンキングを身につける為にマインドフルネス、つまり瞑想を習得している最中だとか。


 そんな彼女がスマホを見せたがらない理由には、色々あるのだが──。


「私にスマホの提示を求めるのであれば、鋼鉄様のスマホもお見せ下さいませ。それが絶対条件です」


「断る。スマホは個人情報の塊だと言ったのは一条、貴様だろう」


「はい。御理解いただけたようで何よりです」


「だが貴様は俺の従者だ。この俺の命令には絶対服従するのが筋だろう」


「命令に背く事には忸怩じくじっておりますが、お見せしたくないものはお見せしたくありません」


「本当にそう思っている奴は、忸怩っている等と言う台詞は吐かぬと思うが。まあ、いい」


「ですが、もちろん、鋼鉄様がどうしてもと仰られるのであればお見せ致します」


「では、どうしてもだ」


「畏まりました。そこまで御覚悟があるのであれば、私も喜んでお見せ致します」


「面倒臭い奴だ。最初から黙って見せればいい。おい、何をやっている。早くスマホを渡せ」


 承諾を得た事でテーブルに置かれた一条のスマホに手を伸ばした近衛。


 だったのだが、彼が手に取るよりも前に彼女がスっと取り上げて胸の前に抱えてしまう。


 何やってんだこいつと思いながらも、一条が変なのは昔からなので特に気にする事も無いと思った近衛は、スマホを奪おうとその手をぐっと伸ばした。


 だが、彼は見誤っていた。一条雫と言う生物の異常性を。


「もちろんお見せ致しますが、その前に鋼鉄様の御覚悟をお見せ下さい」


「覚悟だと? 俺のスマホは見せん」


「そのような物に興味は御座いません」


「……貴様はちょいちょい失礼だな。覚悟とは何を見せれば良い、勿体ぶらずにさっさと言え」


「大和男児が見せる覚悟など今昔こんじゃく通じて唯一つ。どうぞ、この身を鋼鉄様の色に染め上げて下さいませ」


「ふむ」


「スマホは個人情報の塊では御座いますが、それも私が個と言う存在に縛られているが故。この身が個を捨て去り心身ともに鋼鉄様の物となりましたら、スマホもまた自然と鋼鉄様の物となりましょう。さあ、私を貴方色に染めて下さいませ」


「なるほど」


 一条に伸ばしていた右手をゆっくりと戻して、そのまま自分の顎に触れた近衛は静かに呟き頷いた。


「(……どうこんなになるまで放っておいたんだ。一体いつの間にこんな事になった)」


 一条雫と過ごした幼き日々の思い出。


 近衛家の次男、鋼鉄。一条家の三女、雫。


『今日からソレはお前のモノだ。好きに使え』


 と言われた鋼鉄も。


『今日から雫は鋼鉄様のモノです。その為だけに生きて死になさい』


 と言われた雫も。


 両名共に、初対面の時には自分達の関係が普通ではないと理解していた。


 しかし、物心がついたばかりの子供の頭で全てを理解出来るはずもなく。


 外界との接触を断たれ、屋敷の中で近衛家の教育を施されていた鋼鉄にとって、唯一接触を許された兄以外の子供に心惹かれるのも仕方のない話。


 幼き日々、仲睦まじい兄妹のように過ごした思い出は今も近衛の中にある。


『ふつつかではありますが、よろしくおねがいします。はがね様』


 初めて会った日の事は今でも忘れられない。


『着付けの手伝いを致します、鋼鉄様』


 主従のなんたるかを雫から教えられた日々。


『主の背中を流すのは従者の務めです、鋼鉄様』


 自分の知らない事を知っている雫には、いつも驚かされるばかり。


『布団を温めておきました。さっさと布団から出ろ、ですか? どうぞお気になさらず。私の事は湯たんぽとでも思って御就寝下さい。高性能ですよ、鋼鉄様』


 何度距離を置こうとしても気が付けば近くに居る存在。


『保健体育であればお任せ下さい。教材であればこちらに非売品の一点ものが御座います、鋼鉄様』


 幼き日々、仲睦まじい兄妹のように過ごした思い出。


「(──……と思ったが、昔からこうだったな。俺とした事が、この数ヶ月一条から解放された快適ライフを送っていたせいで、多少驚いてしまった。だが、全くもって平常運転だったな)」


 よくよく思い返せば、一条は昔からこんな感じだったと気付いた近衛は、さっさと思考を切り替える。


「(強気に女をアピールする事で自身の心を守る。一条のこれは自己防衛から来る行動だ。生まれた直後から近衛の従者として心身を捧げる役目を背負わされた事で、せめて心が壊れないようにと。自分から望んで俺に手を出させるように仕向ける。そうする事で、全ては自分が望んでいる事であると、そう思い込まなければ生きて行けないのだろう)」


 昔から事ある毎に勝手に風呂に入ろうとしたり、布団に潜り込もうとしたり。


 中学に上がって近衛鋼鉄が第二次成長期を迎えたあたりからは、更に急激に増え始めた一条雫のアピール。


 それを自己防衛から来る行動であると考える近衛だが──。


「(スマホの検索履歴や、鋼鉄様のマル秘盗撮写真を見られてしまう事には些かの抵抗感はあります。けれど、その代わりに、私は鋼鉄様からの御寵愛を賜れて嬉しい、鋼鉄様は私のスマホを見れて嬉しい。──まさしくWin-Winの取引。やったね、雫。今日は寵愛記念日よ)」


 何と言う事は無い、この女バリバリでノリノリである。


 一条雫にとって、近衛鋼鉄は自身の命よりも優先すべき対象。


 故に、忠誠よりも狂信に近い感情を鋼鉄に向ける恐るべき従者にとって、身も心も主の物になる事は何にも勝る幸福であり、いつでもウェルカム状態だった。

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