Level.051 視野を広げる重要性
途中で鹿謳院が帰宅するアクシデントに見舞われた旅行も無事に終了。
帰宅すれば日常が戻って来る。
休みの最中であろうが旅行の最中だろうが試験中だろうがインフルエンザだろうが骨折中だろうが、トレーニングを怠る事の無い近衛は陽が昇る前に起床してランニングをするので、それはこの日も変わらず。
旅行中にスマホを確認する事こそ叶わなかったが、九割以上の確率でマンダリナの中身が柳沢美月であると確信している近衛は、日課のトレーニングに勤しみ、朝食を取り、少し勉強をした所で──。
「さて」
そそくさと家を出る。
「(長期休暇は嫌いではないが、休みの間は一族が顔を出す事も多い。家の中に留まり続けるなど正気の沙汰ではない。今は海外に居るとは言え、仮に兄上と遭遇でもすれば何を言われるか堪ったものではないからな)」
近衛鋼鉄には一条雫以外の家臣が一人も居ないので、行動は割と自由。
何処に行こうが何をしようが特に気にされる事もない為、夏休みの間も日中は家に居る事が殆ど無い。
では、クソ暑い夏の毎日を一体何処で過ごしているのかと。
「(やはりネカフェは落ち着く。マルチモニターでは無い点と、家のPCに比べるとマシンスペックが少々足りない点はマイナスだが、それも楽園の庭をプレイするだけであれば何の問題もない。施錠可能な個室を利用すれば周囲の目を気にする事も無い。紅茶はまずいが飲み放題と言う点を加味すれば妥当な線だろう)」
それはもちろん、ネットカフェ。
夏休みに入ってからは時間が許す限り入り浸っている、近衛鋼鉄の第二の故郷。
「(大型アプデ直後の今、ネカフェ特典の経験値ブーストも有難い。平時は学園に通うせいでネカフェを利用する時間も確保出来んからな。夏期休暇のこの機会に存分に利用してやろうではないか)」
近衛がネカフェを利用している理由はいくつかある。
単純に家に居たくないと言う点が一番大きいが、次点でネットカフェから楽園の庭にログインする事で得られるいくつかの特典が欲しいと言う事もある。
セレナ:おはよー! 朝早いね、ダリちゃんw
マンダリナ:おはよ、セレナ。とりあえず早くストーリー終わらせたいしな
セレナ:うんうん。今回は私の方が少しだけストーリー進行早いから、お手伝いできるよー!
マンダリナ:じゃあダンジョンとレイドはお手伝い頼もうかな?
セレナ:任せて!
楽園の庭にログインすればすぐに合流する仲良し夫婦。
夏休みと言う事もあって、今まで以上に一緒に居る時間が長くなったセレナとマンダリナ、もとい近衛と鹿謳院。
「(嗚呼。今日のセレナも何と可愛い事でしょうか。何を言わずとも手伝いを申し出る慈愛に満ちた心。貴女に毎日会えるのであれば、このまま毎日が夏休みでも構いません)」
鹿謳院の都内邸宅。
京都本家に比べればミジンコ程度の大きさしかないお屋敷だが、それでも一般人からすればちょっと引く程に広大な、ちっちゃなお城みたいな邸宅の一室。
もう十時を過ぎているのに寝巻のまま着替えもせず、姿勢を正した鹿謳院氷美佳が口角を持ち上げながらパソコンに向かう。
「(先日旅行先で私が倒れたと聞いて、いくつかの予定を取り消して下さった事には感謝しております。けれども、しばらくは屋敷から出る事を許さないだなどと言って。これで軟禁状態ではありませんか。鹿謳院家の過保護にも困ったものです。ええ、全く困ったものです)」
つい先日、学友との小旅行にて軽度の熱中症で倒れた鹿謳院。
そもそも、泊りの旅行について渋っていた鹿謳院家の人間は案の定、体調不良で倒れてしまった氷美佳を即座に帰宅させ、以降は謹慎と言う名目で屋敷に閉じ込めて経過観察をしている最中。
その結果、鹿謳院氷美佳は旅行から帰宅して以降まるまる一週間以上、今現在に至るまで屋敷の外に出る事を許されていない。
折角の夏休み。
遊び盛りのうら若い女子高生は一族の過保護さ故に屋敷の中に押し込められ『困った困ったー、これはとても困ったー』と心の中で呟きつつ、目を細めながらパソコン画面を眺める毎日を送っている。
ネカフェに入り浸る近衛鋼鉄と、自室に籠ってネトゲ三昧の鹿謳院氷美佳。
ある意味でお似合いのカップルは、今日も楽しく楽園の庭で仲良く遊ぶ。
「(しかし、旅行からこっち柳沢と接触する機会がないな。わざわざ夏休みに会う理由がないから当然と言えば当然だが、こうも毎日楽園の庭にログインしているくらいだ。時間的な余裕はあるのだろう)」
マンダリナの中身が柳沢美月であると考えている近衛鋼鉄。
彼はただ漫然の楽園の庭で遊んでいるわけではない。
ネカフェのPCはゲーム用に使っているが、持参したノートパソコンとスマホでは常に別の作業をしており、当然ながらマンダリナの中身を特定する手を緩めてはいない。
「(ふむ。リットリンクでは日々誰かしらと遊んでいる内容が投稿されているが、どうなんだろうな。以前柳沢は、投稿する内容は実際の時間とズラしていると言っていた。リアルタイムで投稿をすればそこに誰かが押しかけて来る事があるから、絶対に時間はズラすと言っていたが──)」
だとしても、毎日大量に投稿されている柳沢のリットリンクには酷い違和感を覚えている様子。
ファッション関連であれば日付の縛りは無い。
三日前に撮影したものでも十日前に撮影したものでも、一月前に撮影したものでも。
そこに日付は全く関係ない。
「(柳沢の投稿はその八割がファッション関連。新作が発売される前に全部着て、発売されるタイミングに合わせて投稿していると言っていたから、そこは問題ない。……だが、遊びの投稿はどうだ)」
海に行った話や、誰かとプールに行った話。
何処で何を食べて何が美味しかったのかと言う話もそうだが、旅行以降も柳沢のリットリンクには常にそう言った内容が投稿され続けている。
「(仮にダリちゃんが柳沢であれば、この投稿内容は全てブラフ。これらは夏休みに入ってから体験したものではなく、事前に撮り貯めた内容を逐次投入していると言う事になる。だが、本当にそうか?)」
普通そこまでするのだろうかと考える近衛は、ここ数日投稿された柳沢のリットリンクを全て洗い出す。
「(撮り貯めた内容を投稿している線もゼロではない。だがそれは、ダリちゃんが毎日俺と遊んでいるのだからこんな投稿など出来るはずが無い、と言う願望ありきの結論だ。柳沢とダリちゃんが同一人物であると言う前提で展開された、欠点だらけの推論でしかない。推測の上に築かれた思考には何の意味もないか)」
柳沢美月が夏休みに入ってから投稿した内容。
ファッション関連を全て除外すれば、プライベート投稿はそこまで多いわけではない。
と言う事で、近衛はそれらを一つ一つ検証して、日付を特定できる情報を調べていく事にした。