Level.042 夫婦喧嘩は橘しか食わない
こうして、両者一歩も譲らない膠着状態に突入するかに思われたが、しかし──。
「会長も近衛先輩もそんなに忙しいなら、一緒に遊んでしまえば良いんじゃないですか? あ、でも行く場所が全然違うんですっけ」
遊ぶ予定が被ってしまったのなら、皆で遊べばいいんじゃないですか?
と言う、橘蓮のめちゃくちゃ普通の提案。
「副会長は海辺の別荘で、ミカちゃんは山の方の別荘だよね?」
「そうだ、俺は海を眺めるのが好きだからな──」
「そうですね、私は自然に囲まれる事に癒しを感じますので──」
橘の提案に一瞬驚いてしまったものの、海と山では全然違う。
鹿謳院も近衛も、と言うか柳沢もそう思っていた。
「あ、二人とも別荘で遊びたいんですか? それなら丁度同じで良かったですね」
だがこの執務室には若干一名、変な男子が紛れ込んでいた。
「(別荘かー。クラスの人達も海外行くとか別荘行くとかそんな話ばっかりしてたけど、やっぱり近衛先輩も会長も聖桜の生徒だからお金持ちなんだよね。近衛先輩はいつもお昼ご飯はエナジーバー食べるか、ゼリー飲んでるだけだから、あんまりお金ないのかなとかも思ったけど。やっぱりみんな別荘あるんだー)」
聖桜学園に入学して数ヶ月が経過して、その間過度なストレスにさらされ続けた橘蓮。
そんな彼も初めこそ死にかけていた聖桜の日常だったのだが、今では順応し始めているようで、もはや別荘を持っている程度の事では驚かなくなっていた。
逆に今は、鹿謳院、近衛、柳沢の三人の方が、橘が発した言葉の意味が全く理解出来ていないようで、思考を乱している様子。
別荘で遊びたいなら丁度同じで良かった。
「(橘君は、何を言っているのでしょうか。別荘は遊ぶ場所ではなく宿泊する場所ですよ)」
「(橘め、また難解な事を言いおる。別荘で遊びたい? 丁度同じで良かった? 何を言っているのかまるでわからん。どう言う意味だ?)」
「(やっぱりレンレンってちょっと変わった子だよね。いや、言いたい意味も私は何となくわかるんだけど、別荘に遊びに行くって感覚は多分ミカちゃんと副会長には伝わってないと思うよ)」
住む世界が違えば常識は異なる。
「うちは賃貸のマンションなので家が二つあるのってよくわからないんですけど、旅行でホテルに泊まったりすると楽しいですもんね。会長も近衛先輩も別荘に遊びに行くなら目的は一致してますし、一緒に遊んでしまえばいいんじゃないん……ですか? え、あれ?」
言葉の真意を探ろうと黙り込む二人を見た橘も、ようやくなんか変な事を言ってしまったのかもしれないと感じ始める。
「いや、えっと、そもそも僕はあんまりそういう、なんていうか、別荘に遊びに行くとかって言うのもよくわかっていなくてですね! 皆さんのお邪魔になるようでしたら先輩方三人で遊んできて貰った方が──」
よく言えば純粋で、悪く言えば空気が読めない善良な一般人である橘蓮。
彼は『僕、また何かやっちゃいました?』を地で行く青年であり、そのせいで近衛に目を付けらr──気に入られた過去を持っているわけだが、初めこそ戸惑った柳沢も彼の言葉に乗る事にした。
「いやいやー、レンレンの言う通りですよー。海と山どっちも見える立地に建ってる別荘ならうちにもありますから、週末までにそっち用意するように言っときますねー?」
そう言うと、ソファーから立ち上がった柳沢が橘の近くへ移動する。
「何を。勝手に話を進めるな、柳沢」
「そ、そうですよ、美月? 私はこの男と休暇を過ごしたいわけではありません」
「ミカちゃんも副会長も何言ってるんですか? 私もレンレンも誘われただけであって断る選択肢だってあるんですからねー?」
「え? あ、いえ、僕は──んわも」
「へいへーい! どうするんですかお二人さん?」
「ふん。この俺の誘いを断るだなどと、馬鹿も休み休み──」
「ですから私は──」
何事かを言おうとする橘は、柳沢に両頬を引っ張られて何も言えず。
そんな二人のやり取りを見た鹿謳院と近衛が、尚も我を通そうと口を開いた、その結果。
「じゃあいいですよもー。そんなに皆で一緒に遊びたくないなら、次の週末はレンレンと二人で買い物でも行って過ごすんでー」
「──よし、別荘の手配は頼んだぞ、柳沢。思えば柳沢の招きに応じるのも中学二年以来か。最近は優月にも会えていなかったからな。丁度良い機会だ、あいつもつれて来るがいい。俺は寛大な男だからな、大人数での遊興にも余裕で応じるつもりだ」
「──時には親睦を深める催しも必要でしょう。これまで副会長と橘君とはプライベートで出会う機会にも恵まれなかったですものね。今から楽しみですね、副会長。此度の同席の許可、心より感謝いたします」
「なに、気にするような事ではない。思えば鹿謳院とプライベートで交わる事はなかったからな、これも良い機会だろう」
「ええ、全くです」
遊びそのものが消滅しかけた事で、不機嫌に曲げていた眉を逆方向に曲げた二人は笑顔で互いを褒める事となった。
「(……おのれ、やってくれたな柳沢。いやしかし、誰かを除け者にするくらいなら皆で楽しく遊びたいと、その発想は実にダリちゃん的思考だ。仮に柳沢がダリちゃんであるとするならば、この結果は初めから決まっていたのかもしれない。貴重な夏休みの序盤でこのような五月蠅い女の相手をするとは流石は我が夫、その器の大きさはこの俺に匹敵するやもしれんな)」
「(……何だかよくわからない事になってしまいましたね。私は美月とだけ遊びたくて色々と準備をしたのですが。いえ、けれど、セレナであればこの行動も必然だったのかもしれませんね。我が妻セレナは諸人へその愛を注ぎますから、たとえそれが非礼、亡状、推参千万たるこの男が相手であっても、その愛を絶やす事はないでしょう。であればこそ、この結果は必然だったのかもしれませんね)」
もちろん、笑顔の裏では同一人物を褒めたり罵ったりと大変忙しい感情が働いているが、それを誰かに悟られる事はない。
誰からも見えない執務机の下で両足をパタパタと動かし不機嫌を表す鹿謳院。
拳を握りしめて腕に血管を浮き上がらせている近衛。
橘蓮の両頬を引っ張りながら遊ぶ柳沢。
別荘ってどんな所だろうと考える橘。
全ての聖桜生徒から尊敬を集める『氷鉄の統苑会』が支配する、夏休み直前の統苑会執務室。
どんなに格好良く見える業界の現実も、裏側は大体こんな感じである。