Level.041 いつもの夫婦喧嘩
前期の中盤、夏季休暇に突入する直前。
大型の休みに入る事で羽目を外す生徒が出て来る事がない様にと、生徒の規律を今一度正す為に統苑会主導の生徒総会が開催された。
割と直近に男女交際についての是非を問い、聖桜の在り方を説いた特別生徒総会が開催されたばかりであるが、講堂に集められた生徒の中に不平不満を口にする生徒は一人として存在しない。
生徒総会で講堂に集まった生徒は、壇上で語る鹿謳院氷美佳とその横に佇む近衛鋼鉄を堂々と拝む事が出来るので、皆が大満足。
感覚的にはアイドルのコンサートや有名人のトークショーに近い。
「──それでは皆様、良き休日をお過ごし下さい」
ふわりと笑う鹿謳院氷美佳が静かに頭を下げれば、その美しさに多くの者が心の中で涙を流し。
「無道であれ疑獄であれ、この俺の手間となり得る雑事は許さん。──だが、それさえ守るのであれば諸君らの休暇だ。好きに使い、大いに楽しめ」
会長の後に壇上のマイクを手に取った近衛鋼鉄が言いたい事を言えば、多くの生徒が既に伸ばされた背筋を更に伸ばして、心の中で頷く。
同じ世代に生まれた二人のカリスマが互いに鎬を削る聖桜学園は常に規律と情熱に包まれ、氷鉄の統苑会の背中を見た者達は今よりも上を目指す。
生徒の模範であり、生徒の目標であり、生徒の人生を導く。
そんな二人の天才は、今──。
「ふざけるなよ、鹿謳院」
「私は常に真剣です。副会長こそ、どうか愚かなお考えを捨てて下さいませ」
執務室に戻ってきた二人は今、何かよくわからないけど揉めていた。
「先に橘と柳沢を休暇に誘ったのは俺だ。それを割り込みなどと。鹿謳院家の人間が随分とみっともない真似をするではないか」
「いいえ、橘君は別にしても美月を誘ったのは私の方が先です。副会長には庶務を差し上げますのでどうぞ私と美月にはお構いなく願います」
全校生徒の憧れである鹿謳院と近衛の二人はなんと、夏期休暇に誰と遊ぶかと言う、幼稚園や小学生の間でのみ発生するような恐ろしい程に下らない内容で揉めていた。
「いやいや、私は別にいつでも遊べるんですけどね? ミカちゃんも副会長もどっちか日にちズラせないんですか?」
「あ、僕もいつでも大丈夫ですよ、近衛先輩。遊ぶ相手もいないので」
執務室の中央に置いてあるソファーに座る柳沢と、近衛のすぐ側に立つ橘。
内心『また何か始まったわー』と思いながらも、定位置についた二人は特に気にする事もなく会話に参加する。
「──だそうだ、鹿謳院。次の週末は予定通り俺がこの二人と休暇を過ごす事になった」
「何故私が予定をズラす前提で話を進められているのですか。副会長が延期なされば宜しいではありませんか」
「俺は忙しい。遊びに割ける時間は限られている、道を譲れ」
否、クソ暇である。
近衛鋼鉄の夏休みの予定表は九割方白紙であり、残りの一割も忙しいと言う程の予定ではない。
今週末に橘と柳沢を泊まりの遊びに誘ったのも、罠を張り巡らせた決戦フィールドに二人を誘い込む事でマンダリナとの決着を付ける事が目的だが、もちろんそれだけではない。
来週の木曜日に実装される『楽園の庭』の大型アップデートを夏季休暇中に遊び尽くす気満々なので、面倒事はどうしても今週末に終わらせておきたかったのである。
だがそれは、当然ながら近衛に限った話ではない。
「私は多忙を極めます。美月と遊べる機会はこの週末をおいて他にはないでしょう。遊びに割ける日が他にあるのであればそちらにズラして下さいませ。時には近衛副会長の器の大きさをお見せ下さい」
もちろん、全然忙しくはない。大嘘である。
鹿謳院家の京都本家に戻って親族会議に参加したりと、所々本当に外せない予定があるのは確かではある。
しかし、近衛同様に鹿謳院氷美佳の夏休みの予定表も、八割方が白紙となっている。
そんな彼女もまた、セレナとの決着を付けるべく必勝の策を練り上げているようで、どうしても美月と一緒にお泊り会をしたがっていた。
それと、近衛同様に来週木曜に来る『楽園の庭』の大型アップデートを楽しみたいと思っているので、来週以降に予定がズレる事はどうしても避けたかった。
大型アプデが来た直後の土日なんてネトゲプレイヤーが最も盛り上がる時期なので、そんな一番盛り上がる時間をセレナと共有する為にも、今回ばかりは折れるわけにはいかないのである。
「勘違いするな、鹿謳院。この俺の器は無辺を飲み込んで余りあるが、それでも不可能な事は不可能だと言っている」
「副会長の器の大きさには驚かされてばかりです。余りの大きさに何も見えない点が辛い所ではありますが」
「戯けが。自らの視野の狭さを嘆け、俺はただ休暇をズラせと言っているだけだ」
「でしたら副会長がリスケなされば宜しいはないではありませんか。御自身を棚に上げて、私を狭量と責める理由はないのでは」
「自分が遊びたいと言う理由で他者に融通を求めるなど、癇癪を起した子供ではあるまい。鹿謳院はいつから幼子になった、頭でも撫でてやろうか」
お互いに自分の席、会長と副会長の椅子に腰かけながら話す二人。
両手の指を軽く交差させて口許に持ってきた鹿謳院が鋭い視線を浴びせれば、机の上に右肘を立て、頬杖をついた近衛が冷ややかな目で睨み返す。
「(まあ確かに、鹿謳院家次期頭首と目される女だ。夏期休暇中も忙しいのだろうよ。だが、俺の知った事ではない。この女と俺とでは背負っているものが違う。ただの遊びであれば日程をズラすのは貴様だ、鹿謳院)」
「(口うるさいだけのこの男も、こう見えて近衛家の者ですからね。日頃からさぞ多忙を極めておられるのでしょうが、それはそれ、これはこれです。私と副会長では休みの重要性がまるで違うのです。帰れば筋トレばかりしているであろうこの男と違い、私には愛すべき妻が待っているのです)」
あれやこれやと考えているが、夏休みの間はセレナ(マンダリナ)と沢山ゲームがしたいと考えているだけの、いつも通りな二人。
もちろん、夏休みに遊びたいと考えること自体は年相応と言える。
しかし、氷鉄の統苑会を神聖視している聖桜の生徒が、もし今の二人の頭の中を覗いたりでもすれば、普段とのギャップに混乱してゲロを吐くであろう事は想像に難くない。