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Level.033 珍しいお説教


 セレナの中身を柳沢美月であると断定して、その判断を疑わない鹿謳院氷美佳。


 マンダリナの中身を柳沢美月か橘蓮のどちらかまで絞り込んだ、近衛鋼鉄。


 そんな二人が今。


「副会長」


「読書中だ」


 いつも通り、昼休みの統苑会の執務室で会話をしていた。


 鹿謳院氷美佳は、周囲からそうは思われていない上に本人も極力隠しているが、とてもお喋りが好きである。


 とは言え、誰彼構わず会話をするタイプと言うわけでもなければ、同程度の会話偏差値を持つ者とだけしか雑談をしようとしない。


 たとえばそれは親族であったり、たとえばそれは統苑会の役員であったり。


 たとえばそれは、近衛鋼鉄であったりもする。


「美月と共に行って下さった修学旅行候補地での撮影ですが、どの写真に写る副会長もあまり楽しそうではありませんね」


「何を言うかと思えば、当前だ。楽しくなかったのだからな」


「ですが、その割には美月に付き合って各地で衣装替えまでなさっているご様子。もう少し楽しそうな表情を浮かべるようにとお願いはされなかったのでしょうか」


「さあな、柳沢からは目線とポーズの指示しか受けなかったからそれに従ったまでだ」


「それでは、美月が笑顔を求めたら応じられたのですか?」


「広報は柳沢の権限だからな。それが必要だとあいつが判断したのであれば従うまでだ。役割とはそういうものだ」


 左手に持った本を読み、その内容にツッコミを入れつつ右手で紅茶を飲み、ついでに鹿謳院と会話をする近衛。


 緑茶の入った湯呑を両手で持ち、窓外を見ながらのんびりと話す鹿謳院。


 代わり映えのしない統苑会執務室の二人は、今日も今日とてマイペース。


「それでは私が統苑会の会長として求めれば、副会長は笑顔になるのですか?」


「なるか、戯け。何事にも理由は必要だ。笑顔を浮かべるに足る理由もなしに命令されて笑顔になるほど俺は暇ではない」


 笑顔を浮かべる事に忙しいも暇もないでしょう、と。


 そう思いながらも鹿謳院は言葉を重ねる。


「それでは副会長が考えられる笑顔を浮かべるに足る理由とは、具体的にどのような場面を指されるのでしょうか? 時折読書中に笑顔を浮かべられている事は御座いますが、読書は笑顔の理由になるのですか?」


「人の顔をまじまじと観察するな、鬱陶しい。人間誰しも楽しいと思う事があれば自然と笑顔を浮かべる事もあるだろうよ。読書中も然り。痛快な文章を目の当たりにすれば俺とて笑う事もある、それだけだ」


「納得です。近衛副会長にも楽しみを感じる感情を持ち合わせておられたと知り安心致しました」


「俺をどんな生物だと思っている。では逆に聞くが、そう言う鹿謳院こそどうなんだ」


「どう、とは?」


「察しの悪い奴だ。鹿謳院はどのような時に笑顔を浮かべるのかと聞いている」


 会話中に本から視線を外そうともしない近衛。


 そんな男から放たれるいちいちムカツク言葉を受けた鹿謳院は、誰からも見られる事のない机の下でペタペタと足踏みをするように苛立ちを表現する。


「(そうですね、将来私が鹿謳院家の頭首となった暁には、まず手始めに土下座をするこの男の頭を踏みつけて『笑いなさい』と言いたいですね)」


 頭の中でえげつない事を考えながらも、静かにお茶を飲む鹿謳院が口を開く。


「私は常に笑顔を浮かべる事を心掛けております。笑う門には福来るとも言いますし、アズイフの法則と呼ばれる心理的行動もありますからね。笑顔は素晴らしいと思っておりますよ」


 アズイフの法則とは!


『As if の法則』は行動と感情の因果を逆転させて考える理論。


 多くの人は『楽しい“から”笑う』と言うように、先に『楽しいと言う感情』が先行しその次に『笑うと言う行動』に繋がると考えるが、それを逆に捉える理論である。


 人生を楽しんでいる人は楽しいから笑っているのではない。


 彼らはいつも笑っているから楽しい人生を送れるのだ、笑うと言う『行動』を先にするから『感情』が楽しくなるのだ、と言う考え方である。


「笑う門には福来る? アズイフの法則? 下らん考えだ。そも、アズイフの法則は反証実験すらある似非心理学ではないか。本心を欺く感情労働が人体に与える影響は想像を絶する。辛い時に無理に笑顔を浮かべる人間は簡単に壊れてしまう。鹿謳院家の人間ともあろう者が、危険思想は即刻辞めろ」


 しかし、珍しく本から視線をズラした近衛は、鹿謳院に強い視線を向けると同時に、彼女の言葉を真っ向から否定した。


 感情労働とは!


 顧客に合わせて自身の感情を大きくコントロールする必要がある対人職。


 肉体労働とも頭脳労働とも違う、三つ目の労働カテゴリとして近年ようやく認識され始めた労働の事。


 普通に働いていても職場の同僚との対人関係に悩む事はあるが、感情労働の場合は顧客を相手に自身の感情を切り売りして仕事をする為、メンタルヘルス問題が発生する事が多々ある、高ストレス労働でもある。


「危険思想とは……。それはあんまりな言葉ではありませんか」


「笑顔を浮かべる事は素晴らしい、それは認めてやる。だが、行動を先行しそこに感情を付随させる、などと言う考え方はあってはならない。人は楽しいから笑うべきであり、笑った先に楽しさを見出してはならない。この因果だけは絶対に逆転させてはならない。もし無理に笑うような事があるなら、そんな事は今すぐに辞めろ」


 珍しく目を見て話す近衛の言葉を受けた鹿謳院は何度か瞬きをして、仕方ないとばかりに小さく頷く。


「そうですね。私は無理に笑うような真似は致しませんが、気を付けると致しましょう」


「そうしろ。鹿謳院が何を偽って生きる事を善しとしたとしても、感情にだけは嘘を吐くな。そこに嘘を吐いたら最後、いずれ貴様は貴様でなくなってしまうだろう。無理に笑うような真似だけはするな。気を付けろ」


「はい。御忠告痛み入ります」


「ふん」


 近衛の中にある何かに触れてしまったようで、珍しくガチ説教をされた鹿謳院は仕方なく聞き入れる事に。


 そして、そんなしおらしい鹿謳院の様子を見た後、居心地の悪い空気を吹き飛ばすように鼻息を吐き出した近衛は、何事も無かったかのように読書を再開する。


「(適当に聞き流せば良いものを、俺とした事がこんな女を相手に何をムキになっているのだか。毎回読書中に話しかけて来るお喋り女めが)」


「(軽い話題のつもりでしたが、まさか怒られてしまうとは。ですが、そうですね。感情労働が人に与える影響は無視し難いものですからね)」


 ついつい本気で説教をしてしまった近衛と、珍しく本気で怒られてしまった鹿謳院。


 二人の間にはしばしの沈黙が流れた。

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