Level.032 命拾い
セレナ:副会長さんは先週まるまる学校に居なかったらしいですよね?
マンダリナ:あー、そうらしいな。俺は全然違うクラスだから詳しくないんだけど
セレナ:それで広報さんも先週は学校に全然いなかったから、二人して遊んでたとか言われたりしてたら可哀相だなーって。二人とも仕事してたって、知らない生徒さんもいそうですし
マンダリナ:それなー。いくつかの仕事を並行してやってたってのは聞いたよな
セレナ:あ! それ私も聞きましたよ! 修学旅行の話だったかなー?
マンダリナ:そうそうあれだよな、修学旅行の候補地絞ってパンフレット作ってるとかって
セレナ:うんうん! 遊んでたんじゃないと思うんですよね!
先週、副会長と共に学校を休んで各地を転々と移動していた美月。
そんな彼女が、周囲の生徒からの評価を気にして溢してしまった愚痴。
「(あらあら……迂闊ですよ、美月。その話はまだ統苑会の者のみで共有している事案。生徒へのサプライズを演出する為にも秘密であると、そう言ったのは貴女ではありませんか)」
一度ロックされた思考は物事を正しく判断出来なくなるようで、それは鹿謳院氷美佳のような天才的ひらめきを持つ頭脳も同じ事。
いくつかの条件の一致により、セレナの中身を柳沢美月であると断定した鹿謳院。
彼女は、今の話を旅行疲れでポロリと口を滑らせてしまった柳沢のうっかりであると判断したようで、彼女のおっちょこちょいを優しく笑った。
時間が経ち、再度考えれば矛盾や違和感を見つける事は可能であるが、直前に下した決断を容易に覆せる程に人間の脳に柔軟性は無い。
平時であれば即座に閃く、稲光の如く鋭く早い思考力を持つ鹿謳院の頭脳も、考えようともしていない今の状態ではどうしようもなかった。
「──やはりそうか」
そして、鹿謳院がセレナの中身を美月であると断定したように、ゲーム画面を眺めながらそっと呟いた近衛もまた、マンダリナの中身を絞り込むことに成功していた。
「(修学旅行の候補地探しについては、柳沢から直前に言われた内容で知る者は少ない。それこそ俺の口からは一条にすら話していない。なんせ、当の柳沢から誰にも言うなと釘を刺されたからな。知っているのは俺と鹿謳院と柳沢の三人、或いは今日あいつらが話している内容が少し耳に入った可能性のある橘だけだ。そのうちの誰か一人。セレナの話を聞いて乗って来るかは半分賭けだったがな)」
「人数は絞れたが──」
口元を左手で隠すように覆い、神妙な面持ちを浮かべる近衛。
「(橘蓮、鹿謳院氷美佳、柳沢美月。この三人の中の誰かがダリちゃんであると絞り込んで問題はないだろう。候補者を絞り込めた事は前進と言える。……だが、ダリちゃんの中の人物がこの話題に乗って来たと言う事は、相手もまたセレナの中身に目星をつけていると脅しをかけてきている事を意味する。だが許す。ここまでは許す。ここまでは予定通りだ。故に、問題はこの先)
「いいや、何も問題など無い」
「(まさか同じ学校で更には統苑会に所属する程の人物だったとは正直驚いたよ、ダリちゃん。今の返しで確信したが、どうやらそちらも俺の中身を探っていたようだな。よもや探りを入れられているとは気付かなかったぞ。俺に悟られる事なく、俺本人に探りを入れるその胆力。……素晴らしい。素晴らしいぞ、ダリちゃん。それでこそ我が夫だ)」
「だが、このチキンレースに勝つのはこの俺だ」
統苑会の話題を何食わぬ顔で終了。
そして、ゲーム画面で楽しそうに他の話題を繰り広げているセレナとマンダリナのチャット欄を眺めた近衛は、その口を弓のように撓らせて笑顔を浮かべる。
今まさに、天才的な頭脳がマンダリナの中身へ王手を掛けようとしてた。
「(鹿謳院、柳沢、橘。現時点で排除可能な者がいるとすれば──鹿謳院か)」
と思われたのだが、想像していたよりも天才的な頭脳ではなかったのかもしれない。
「(もしダリちゃんの中身があの女であれば、先のセレナの話題に乗ってくる事は有り得ない。少なくとも俺なら絶対に乗らないだろう。何も知らぬ振りをして相手を泳がせ、情報だけを搾り取る。あの場でセレナの話題に乗るのは後先考えずに会話をする馬鹿か、或いは愛すべき妻が提供した話題だから乗ってあげないと可哀相とでも考えた雰囲気に流されやすい者か。どちらも鹿謳院には当てはまらん)」
近衛の思考に想定外のミスが生じた理由は、やはり、後先考えない雰囲気に流されやすい馬鹿こと鹿謳院氷美佳の思考にある。
近衛鋼鉄が高く評価する天才の頭脳は、セレナの中身が柳沢美月であると断定してしまっており、これ以上セレナの中身を探ろうとする意志も意味も無くなっていた為。
その事が偶然にも近衛の思考を乱していた結果、鹿謳院は命拾いをしていた。
「(柳沢と橘。普通に考えれば男であるマンダリナの中身は橘で確定する。……と、普通は考えるのかもしれないが、ネットゲームの場合はゲーム内のキャラクターと現実の性別が必ずしも一致しているとは限らない。現に俺がそうだからな)」
「橘か、柳沢か」
と、そこで一度思考を区切った近衛がゆっくりと長い溜息を吐き出す。
「(いや、ここまで絞れたのであれば今は十分だ。後はここで考えても答えが出る問題ではないのだから、探りを入れるのはここまでにしようではないか)」
マンダリナに探りを入れている後ろめたさもあるのか、近衛は紅茶を一口飲んだ近衛は気持ちを入れ替える事にした。
セレナ:ダーリちゃん!
マンダリナ:はいはい、どうした?
セレナ:まだ時間に余裕あるなら少しダンジョン回らない?
マンダリナ:いいぞ。てか、セレナ新コンテンツ殆ど触ってないんじゃないのか?
セレナ:あんまりー、でももうちょっとしたら夏休みだしー
マンダリナ:ゲーム漬けの生活だけはやめとけよw
セレナ:そこは気を付ける! 体型崩れたら嫌だしねw
そうして、マンダリナとの二人だけの仲睦まじい会話もそこそこに、ゲームのフレンド数名と共に新しい冒険の旅へと繰り出すセレナの顔は晴れやかだった。
「現実とは、中々に難しいな」
けれど、ゲームの中で楽しそうに笑うセレナとは対照的に、少し悲しそうな表情を浮かべた近衛はそう呟いた。