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Level.031 時に信頼は思考を停止させる


 学校が終わり帰宅した近衛はいつも通りにパソコンを起動させ、すぐにゲームを起動する。


 MMORPG『楽園の庭(エデンズガーデン)』にログインした近衛。


 ログイン画面には薄い青色を基調とした愛らしい衣服を身に纏う、これまた愛らしい顔立ちの女の子が立っていて、セレナと名付けられた愛らしいキャラクターは今日も静かにゲームの世界に降り立った。


「ふぅ……」


 いつも姿勢を正して椅子に腰かける近衛にしては珍しく。


 背もたれにどっしりと体重を預けた彼は、大きな溜息を吐きながら考え事をしていた。


「(ダリちゃんがログインしてくるまでの間に全ての会話をシミュレートするつもりでいけ。今日は楽しく遊ぶ為ではなく、マンダリナの中の人物へ少しでも近づく為に行動を共にする。許せ、ダリちゃん。橘であればそれが一番なのだが、仮に違ったとしても橘とダリちゃんに対する信頼は何一つして傷付く事は無い)」


 顔も名前も声すらもわからない、ネットゲーム世界での夫婦。


 信頼によって成り立っているセレナとマンダリナの関係。


 それを崩してしまうかもしれない行動を取る事に後ろめたさを感じながらも、誰一人として信じる事のない近衛の頭は勝手に考えを纏め始める。


 セレナ:こんばんは!

 マンダリナ:おーっす、こんばんは~


 しばらくするとセレナとマンダリナが合流し、仲良しの二人は現実を忘れた楽しい冒険へと旅立つ。


 いつもと変わらない穏やかな会話。


 いつもと変わらない楽しい冒険。


 そうして、いつも通りを装いながらマンダリナの会話を誘導していく事に強いストレスを感じているようで、近衛は何度となく溜息を溢しながらゲームをプレイした。


 マンダリナ:そう言えば、話変わるんだけどさ

 セレナ:うんうん、なに?

 マンダリナ:いや、マジで全然関係ないんだけど、統苑会の人達が夏服になってたなーって思って驚いちゃったよw

 セレナ:私も見たよー!


 来た、と。近衛は内心で呟く。


 話が変わると前置きをしたマンダリナであるが、もちろんそんな事は無い。


 彼の口からその話題が飛び出すように、近衛が会話を組み立て続けていただけである。


「(会話の主導権、話題の提供元が俺であってはならない。こちらが探りを入れていると勘付かれるわけにはいかないから、全てはダリちゃんが自分の意思で話さなければならない。もしかすると今日は無理かもしれないと思ったが、上手く統苑会の話に繋げられたか。後はその話題に乗りながら情報を聞き出すだけだ)」


 マンダリナ:会長さんと広報の人が夏服になってるの見て、あれーって思ったんだよな

 セレナ:うんうん、私も廊下でたまたますれ違っただけだけど驚いちゃった

 マンダリナ:統苑会の人達って冬服のイメージしかなかったしなー

 セレナ:会長さんも副会長さんも他の人達も、いつも冬服だったもんねーw

 マンダリナ:なー。でも、夏服になっても桜のブローチはやっぱりつけてたなw

 セレナ:あれって統苑会の役員が昔から付けてるっぽいから、それは外せないのかもね?


「(会長と広報。鹿謳院と柳沢の夏服を見たと言う事は、やはりダリちゃんの中の人間はあいつらと同じ二年二組の男子生徒である可能性が高い、か? 或いは廊下ですれ違った可能性や、遠目に映った可能性も考えられるが……。どちらにせよ、殆どの時間を執務室と教室で過ごす鹿謳院と遭遇出来る者は限られている)」


 ダリちゃんの発言を受けた近衛が、ゲーム画面に表示されているのとは別のPCモニターに視線を移すと、そこには聖桜学園高等部の構内図が表示されていた。


「二組から執務室への動線を見るに、こちらの教室は排除していい」


 そうして、マウスを操作した近衛が構内図に大きくバツ印をつけていた、一方その頃。


「やはり、そうでしたか」


 ──鹿謳院もまたセレナのチャットを見て呟いていた。


「(油断しましたね、美月。……いいえ、セレナ。私が夏服に着替えていたのは統苑会執務室の中だけの話です。それ以外の全ての時間をブレザーで過ごした私を廊下で見ただけで、一体どうして夏服に着替えていたと気付けたのでしょうね。つまり、今ここで貴女が言うべき言葉は『気付かなかった』以外には存在しなかったのですよ、セレナ)」


 近衛鋼鉄が罠を張り巡らせるよりも前に、鹿謳院氷美佳は既にいくつかの罠を張っていた。


「(セレナが副会長に近しい者である事は明らかでしたが、わかるのはそこまででした。ですが、ここに来て統苑会の服装規約の改定です。これを使わぬ手はないと思い、至極単純な手段を取らせて頂きましたが……。まさか、こうも簡単に引っかかるとは思いませんでしたね)」


 ニコリと優しい笑みを浮かべた鹿謳院がゲーム画面を見る。


「(副会長に近しい女子の誰か。元より考えられる候補者は五本の指で数えられる程でしたが、そこから先を絞るのがどうしても困難でした。ですが、今の貴女の発言でより深く的確に絞り込む事が出来ましたよ)」


 セレナは今日、統苑会の執務室に足を運び、私の夏服姿を見た者のうちの誰か。


「(そして、その誰かは美月しか居ない。少し本気を出すだけで簡単に特定に至ってしまった事は寂しく感じますが、今はセレナが美月で良かったと言う気持ちの方が強いので善しと致しましょう)」


 セレナの中身を特定するに至った、と。


 そう考えた鹿謳院が僅かに口角を持ち上げ、今も尚楽しそうにチャットをしているゲーム内のセレナへ優しい眼差しを向ける。


 セレナ:──だよねw

 マンダリナ:──わかるわw


 だから、両者に差があるとすれば、それは自分以外の人間に対する信頼と言うこの一点だけだったのかもしれない。


 鹿謳院とて、頭の片隅ではまだ完全な特定に至ったとは考えていない。


 それでも、セレナの誠実さや柳沢の純粋さを信じて、彼女を愛し彼女を受け入れているが故に、一時的に思考を停止させてしまった。

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