Level.027 複雑な意思疎通
統苑会の役員は季節に関わらず聖桜学園の冬の制服を身に纏う。
理由はいくつかあるものの、統苑会に代々受け継がれている桜の花びらをモチーフにした小さなブローチを付ける事になっているのが、主な原因かもしれない。
ブローチを留める為には厚手の生地である冬服が良いとか、夏服よりも冬服の方が見栄えが良いとか。そんな所。
「おはようございます、副会長」
「うむ。……相変わらず朝の早い奴だ」
早朝の統苑会執務室。
近衛が扉を開けると、そこには既に自身の執務机に向かう鹿謳院の姿があった。
いつも通りの朝の時間ではあるが、そんな二人にはいつもと違う所もある。
「今日から私も夏服での登校になりましたからね。支度に多少のゆとりが生まれたのでしょう」
「夏と冬の支度でそこまでの差は出んだろうが」
どっちが先に登校するか、などと言う小学生でもやらないようなしょぼい競争を毎日する二人。
けれど、先週まで冬服で登校していた二人の装いは、冬の制服から夏の制服へと変わっていた。
しかし、鹿謳院氷美佳が夏服になろうが近衛鋼鉄が夏服になろうが、お互いに何の興味もない様子。
近衛は早々に自分の席に着いたかと思うといつも通りに読書を開始して、鹿謳院もパソコン画面へと視線を戻してしまった。
「(今まで冬服でしたので気付きませんでしたが、半袖から覗く副会長の腕は中々の筋肉質なのですね)」
「(これまでは冬服だったから気が付かなかったが、そうか。──なるほど、よい乳だ)」
とは言え、身近な異性が普段と違う装いをしていれば誰だって多少は気になる。
鹿謳院はいつも通りに読書をする近衛の左腕をチラリと見て、セクハラおやじのような感想を浮かべる近衛は鹿謳院の身体の主に胸部を中心に見ていた。
尤も、そんな興味も一瞬で終息してしまうようで、十秒もすればお互いに何も感じなくなっていた。
「副会長」
「読書中だ」
「いえ、統苑会の服装規定の撤廃に感謝をと思いまして」
「知らん、丁度冬服に飽きていただけだ。鹿謳院の命令に従ったわけではない」
「それは失礼致しました」
会話と言っていいのかわからない短い会話。
鹿謳院はともかくとしても、近衛鋼鉄はたとえ親族相手であっても誰に対しても心を開かない。
なので、二人の関係が知り合いから友達にシフトする事は、余程の事でもなければ有り得ないのが現状。
「(鹿謳院のせいで先週は殆ど楽園の庭にログイン出来なかった。統苑会の規約改定がどれだけ面倒なのかわかっているのか、この女。この俺でなければ一年は掛かる大仕事だぞ)」
聖桜学園の大学まで足を運び前会長と話をしたり、OBに会いに行ったり理事に会いに行ったりと。
普段着を冬服から夏服に変えるだけだと言うのに、統苑会の伝統を変えるのは中々に大変なようで、近衛は一週間ほど日本全国のあちこちへと足を運んでいた。
「(しかし、会えない時間が二人の絆を深めると言う話は古今東西に溢れかえっている。セレナとマンダリナの二人にも、時にはこういう時間があっても良いのかもしれんな)」
そんな近衛が久々にマンダリナと会える事を楽しみにしているように。
「(先週はこの男が美月を秘書代わりに連れまわしたせいで、全くセレナと会えませんでしたが、それもようやく終わりです。可哀相なセレナ、あんな男と長時間行動を共にするなど。私は慣れましたが可愛いセレナはさぞや心を痛めている事でしょう)」
そんな事を考えている鹿謳院ではあるが、実際には少し違う。
「えー! 副会長旅行に行くんですか? 私も広報としてついて行きますよー!」
「遊びに行くわけでは無い、いちいちついてくるな」
「それじゃあ早速会いに行くOBの方々の住所を中心に予定表を立てて、効率よく観光地を回りたいですね!」
「ふざけるなよ、柳沢」
「観光地に合わせて旅先でコーデ変えて写真撮るんで、何処に行くかは最初に決めちゃいますか」
「話を聞け」
面倒事をさっさと終わらせようと考えた近衛が一週間休学をして事に当たろうとした際、それを聞きつけた柳沢美月が強引に同行したのが正解。
普段は他人の話しを聞かずに物事を進める近衛ではあるが、実は自分と同じように話を聞かない手合いやぐいぐいと押して来る相手は苦手だったりする。
いくらでも対処は可能であるものの、それすら面倒になった場合は案外あっさりと折れる事もあるとかないとか。
もちろん、最低限の好感度を持ち合わせた相手に限るが。
そんな事を知ってか知らずか、鹿謳院は近衛への不満を募らせ、同時にセレナへ想いを馳せる。
「(旅先での美月の苦労を想うと胸が痛みますね)」
実際に振り回されていたのは近衛の方だったのだが、近衛がそんな話を口にするはずもなく。
観光地でポーズを取った副会長の写真が柳沢から送られてくる度に、鹿謳院は心の中で舌打ちをしていた。
「(美月の家の者が程同行していたと聞いておりますから、そう言った間違いは起きないでしょうけれど。何故、行く必要のない北海道まで足を運んでいるのですか。アレではただの旅行ではありませんか)」
机の下で両足をペタペタと動かす鹿謳院は静かに苛立ち、早くセレナと遊びたいと考える。
その一方で、静かに読書をする近衛もまた多少の苛立ちを覚えていた。
「(俺が学園から離れていた間、指導と称して橘を執務室に連れ込んでいたらしいが、どうだかな。この俺が手ずから面倒を見ているあいつを誑かしていたのではないだろうな)」
日本社会の上澄みだけが入学を許される聖桜学園。
その聖桜学園の中高を束ねる統苑会のOBとは、即ち日本の政財界に居座る重鎮達である。
近衛はたかだか統苑会の服装規定を変えるだけの為に、日本各地のお偉いさんに挨拶をして回ったわけだが……。
そんな彼のスマホには、自分の代わりに執務室で仕事をさせられている橘の写真が時々送られてきていた。
「(橘には将来俺の秘書として、未来永劫子々孫々まで仕える権利を与えている。それを知ってか知らずか、俺からダリちゃんを奪おうとしてはいないだろうな。この女であれば有り得る。唐突に統苑会の服装規定を変えろと言って来たのも橘を色香で惑わす為か? 乳か? その乳で俺のダリちゃんを誘惑する為か? ……女狐め)」
当然ながら鹿謳院にそんな意図はない。
鹿謳院氷美佳は寒さに強く暑さに弱い特性を持った生物なので、単純に夏場に冬の制服を着たくなかっただけである。
こんな感じで、一週間近くセレナとマンダリナに会えなかったストレスからか、内心であれやこれやと考える二人。
或いは喧嘩に発展したり、互いを嫌悪する可能性もある二人ではあるが。
「ですが、私は暑さが苦手ですので。これから夏服を着られると言うのであれば、助かります」
「ではその言葉だけは受け取っておく。わざわざ感謝を口にする必要はない」
「はい」
最終的にはちょうど良い場所に着地する。
「(初めから暑さが苦手だからどうにかして欲しいと頼め、面倒臭い女だ)」
「(感謝の言葉くらい素直に受けって下されば宜しいのに、面倒な男です)」
小学生の頃よりずっと同じ学校に通い、中学高校と一緒に居れば否が応でも相手の考えている事が何となくわかってしまうもので、短い言葉の中から様々な意味を感じ取れるようにもなった。
そんな、非常に面倒臭いコミュニケーションを取る二人。
セレナ:ダリちゃんこんばんは!
マンダリナ:よっ、こんばんは。久しぶりだな
セレナ:会いたかったよー!
マンダリナ:俺も。色々忙しかったみたいだけど、とにかくお疲れ様
だが、ゲームの中ではバカップルもびっくりなドストレートな感情表現をしていた。