Level.026 一言では表せない関係
「副会長」
「なんだ」
週明けの月曜日、いつもの昼休みの執務室。
パソコン画面を見つめたままの鹿謳院と、左手に持った本から視線を外さない近衛。
「統苑会の役員は一年を通して冬服を着る決まりですが──」
「そうだな、廃止しても構わんぞ」
「……私はまだ何も言っておりませんよ」
「だったら早く要件を言え。俺は今読書を楽しんでいる」
今日の近衛の一冊は『友達を笑わせる100の方法』と描かれた本。
「まあ、そうですね。昨今は日本の夏も暑さが増してまいりましたからね」
「そうだな。だから何だと言う」
「ですから、統苑会も役員が熱中症で倒れられても困りますでしょう?」
「だから何だと聞いている」
「……ですので、統苑会にも夏服を導入してみては如何でしょうかと、そう申し上げる所です」
「ふん。やはりその話ではないか、余計な時間を使わせるな」
いつもと変わらぬ近衛の態度に、パッと見てもわからない程度に少しだけ眉を顰める鹿謳院。
「(少し頭が回るからと言って、鹿謳院を相手に何と尊大な。本当に腹立たしい男です)」
読書の最中に唐突に話しかけて来る鹿謳院を面倒に感じる近衛。
「(昼休みぐらい静かにできんのか、このお喋り女は。いつになったら立場を弁えるようになるんだ)」
お互い心の中で罵り合っている二人ではあるが、だからと言ってそれが必ずしも本心とは限らない。
「それでは、会長として命じさせて頂きましょう」
「好きにしろ。命令に従うかどうかは俺が判断する」
「副会長の貴方が会長である私の指示に従う事は当然の義務です」
「そのような義務はない。統苑会の会長にあるのは学園の意思決定権だけだ。そして副会長の責務は会長の意思決定の補佐、或いは会長の決定に人道的な誤りがある場合、是を正す。その二つだ」
「でしたら、副会長として会長である私の補佐をお願い致します」
「だが断る。俺は誰の指図も受けん。どうしても俺を動かしたいのであれば、それ相応の理由を提示する事だな」
口を開けばチクチクとした言い合いをする両者。
何も知らぬ者がこの状況を見れば、口喧嘩をしているようにすら見えてしまうかもしれない状況。
「(全くもって面倒な男です)」
「(全くもってうるさい女だ)」
いや、まあ、実際に口喧嘩である事に違いは無い。
だが、日本には”喧嘩する程仲が良い”と言う言葉あるように、当人がそれをどのように感じているのかはまた別の問題。
「(ですが、一人くらいこういう男が居ても良いでしょう。それでこそ調伏し甲斐があると言うものです。高等部を卒業する時、私の靴を舐めているこの男の姿を想像すれば腹も立ちません)」
「(だがまあ、一人くらいこう言う女が居ても良いだろう。俺を相手に媚びる所か挑んで来る者は今やこいつくらいだ。少々口うるさいが、多少であれば相手をしてやるのも悪くはない)」
好きか嫌いのたった二つの選択肢で割り切れる程、人と人との繋がりは単純ではない。
「そう言う事であれば仕方ありませんね。それでは、庶務に頼む事に致しましょう」
「……いいだろう、俺が動こう」
「あら? そうですか。では、よろしくお願いいたします」
上機嫌に近衛を見る鹿謳院と、軽く眉間に皺を寄せながら彼女を見返す近衛。
好きか嫌いのたった二つの選択肢で割り切れる程、人と人との繋がりは単純ではない。
とは言え、好きか嫌いかを問われれば両者共に余裕で嫌いと答える事は間違いない。
「橘に任せるには少々面倒な案件だ。仕方あるまい」
「どちらへ?」
左手に持った本をパタリと閉じた近衛が椅子から立ち上がると、それを見た鹿謳院が首を傾げる。
「面倒事はさっさと済ませたいからな。丁度冬服にも飽きていた所だ」
「そうですか、お気をつけて」
近衛が退室すると共に静かになった執務室。
「仕事が早いのは結構ですけれど。本を本棚に仕舞う時間くらいはありますでしょうに……」
近衛が自分の執務机に置きっぱなしにしていた本を見た鹿謳院は、囁くように愚痴をこぼして、軽く溜息を吐きだし後、椅子から立ち上がる。
「──ふふ」
そうして何とはなしに、先程まで近衛が読んでいた机の上に置かれたまま本を、本当に何となく開いて目を通すと、タイトルと内容のバカバカしさに思わず笑ってしまう。
その後、それ以上は読まないようにと、鹿謳院は近衛の本をそっと本棚にしまった。