Level.017 我こそは聖桜学園一年生
謎に包まれた男、統苑会庶務『橘蓮』。
高等部より聖桜学園に入学した外様でありながら、中等部からの外様はもちろん幼稚舎初等部より聖桜に所属する純血組を差し置いて、入学直後に統苑会の庶務に任命されると言う聖桜始まって以来の前代未聞の異例の大抜擢。
この国の社会を裏から支配するとされる近衛家。
その次男にして現在統苑会の副会長として聖桜学園を支配している男、近衛鋼鉄。
彼の鶴の一声により統苑会への所属を善しとされ、今日では副会長肝煎りの懐刀として、学園中にその名を馳せる現代の秀吉。
各界に名を連ねる名家の子息令嬢が集う聖桜の地において、一騎当千の働きを見せる平民。
優しい父親と優しい母親、少し生意気な妹に、ペットの可愛い猫。
極々平凡な家庭に生まれた橘蓮は、何故に魑魅魍魎が跋扈する聖桜の地へ辿り着き、如何にして彼の地を平定するに至ったのか。
彼は今、何を想い、何をしているのか──。
「体育祭での競技ですが、団体競技をもう少し増やせないでしょうか」
「ですが、競技を増やせば練習時間は増えます。一つ一つの競技のクオリティ低下は免れないでしょう」
高等部とは別の校舎。
莫大な寄付金によって最近新築された美しい中等部の校舎の一室。
そこでは、いくつかの長机が置かれ十数名からなる中等部の生徒が、中等部の体育祭について話し合いをしていた。
「低質な競技など見るに堪えませんからね」
「競技が一つ二つ増えた程度で大袈裟な。その程度の事でクオリティの低下を招くような者が聖桜に居るわけがないではありませんか」
「同感だ。だが、聖桜に入学したばかりの外様の外部生には少々──」
「お、おい! お前!」
そんな中等部の生徒の中の一人が溢してしまった、ほんの些細な言葉。
それを、その場にいた他の生徒が慌てて制止した。
「あ! い、いえ! 自分はそう言うつもりで言ったのでは! 申し訳ありません! 橘先輩!」
「そ、そうです先輩。彼はただ入学したばかりで学校に馴染めて居ない子へ配慮しただけであって、断じて外部入学生を卑下する意味で話していたわけでは──」
中等部の生徒が慌てながら言い訳を口にして、戦々恐々と話しかける相手。
会議室の上座、統苑会の議長の隣で静かに腰かけている生徒。
「え? あ、いやいや、僕は全然気にしてないですよ」
近衛鋼鉄の懐刀と噂される男。
橘蓮は引き攣った愛想笑いを浮かべながら、統苑会の下部組織の一つである、聖桜中等部生徒会の人達の話を促した。
「──寛大な庶務はこのように述べておられますが、言葉の意味を間違えてはなりませんよ。庶務が言いたい事はこうです。『純血も外様も関係ない、能力のある者が上に行き無い者がそれに下る。気を遣うのは結構だが、外様と馬鹿にしていては足元を掬われる事もある、肝に銘じておけ』と。庶務の言葉をしかと受け止めて下さい」
しかし、そんな橘蓮の言葉に続いて発言したのは、統苑会の議長を務める女生徒。
艶のある黒く長い髪を後ろでゆったりと束ねるローポニーテール。
一切の化粧をしていないにもかかわらず、メリハリのある端正な顔立ち。
少々茶色っぽい瞳から心の強さと自信を漲らせる女生徒『一条雫』が、淡々と言葉を並べた。
議長とは!
会議の際に議題を進める人物であり、議事の整理や採決を執り行う会議の中心となる人物である。
そんな一条の言葉を受けた生徒会には緊張が走り、橘蓮にお伺いを立てるように頭を下げてから、話し合いを再開した。
生徒会の面々に頭を下げられた橘は特に何を言うでもなく。
笑顔を浮かべたままコクコク頷いた彼は、顔を動かす事なく目だけを動かすと、すぐ隣に座っている一条雫を見て、再び背筋を伸ばすだけ。
──極々平凡な家庭に生まれた橘蓮は、何故に魑魅魍魎が跋扈する聖桜の地へ辿り着き、如何にして彼の地を平定するに至ったのか。
彼は今、何を想い、何をしているのか?
「(僕は誰で。ここは何処なんだろう。どうしてこんな所にいるんだろう)」
彼は今、現実逃避をしていた。
去年の春、近衛鋼鉄と運命的な出会いを果たした橘蓮。
なんやかやあって近衛に気に入られた彼は、紆余曲折を経て聖桜学園に入る事になってしまい、流されるがまま統苑会の庶務についていた。
「(何でこんな事になったんだっけ……)」
魂の抜けた様な表情を浮かべる橘蓮は、今となっては懐かしい遠い昔の出来事を思い出していた。
遡ること約一年前。
当時中学三年生だった橘蓮は、受験勉強の為に市立図書館の自習室へと足を運んでいた。
しかし、受験勉強の為に訪れた図書館で面白そうな漫画を見つけてしまった彼は、ついつい勉強から脱線してしまった。
それが運の尽きだったのかもしれない。
大人しく勉強をしていれば、或いは違う漫画を読んでいたら、そもそも図書館になんて行っていなければ、こんな事にはなっていなかったのではないだろうか。
とは言え、人生とは得てしてそう言うものでもある。
「おい、そこの。それは何と言う名の作品だ」
生まれて初めて図書館と呼ばれる建造物に足を運んだ近衛が、偶然にも話しかけた相手。
「え、これですか? これは──」
それが橘蓮であった。
「なるほど。何処にあるか案内しろ」
「え? えーっと。あ、うん、いいですよ」
チンピr──近衛鋼鉄に絡まれた橘は変に口答えをする事なく、大人しく指示に従う事によってやり過ごそうと決意。
そうして、近衛に言われるがまま漫画の場所まで案内して、言われるがまま本を運び、言われるがまま読書をする彼の背後に控えて、言われるがまま次の本を用意する使用人になる事に。
何の疑問も持たずに初めて会った同年代の男子を顎で使う近衛と、変な奴に絡まれてしまったと困惑する橘。
もちろん、橘とて突然話し掛けて来た男の事をおかしいとは思っていた。
しかし、普通に考えてどうかしているとしか思えないその男の、あまりにも現実離れした異様な程のイケメンっぷりと、言い知れぬ迫力に押されてしまい、困惑こそすれまったくと言っていい程に嫌悪感は覚えていなかった。
「次だ」
「あ、はい。どうぞです」
左手に本を持ちサラサラと目を通していく近衛の読書スタイル。
そんな近衛がそろそろ読み終わると言うタイミングで右手を頭の上に持ち上げると、橘が彼の右手に本を渡して、読み終えた左手の本を頭の上に持ち上げると、今度はそれを受け取り元あった場所へと返却する。
そんなやりとりを繰り返す事しばらく。
「ようやく見つけましたよ、鋼鉄様。何も告げずに出かけるのはおやめくださいと、何度も申し上げているはずですが」
「一条か、しばし待て。次だ」
「え、え? あ、はい、どうぞ」
ハガネと呼ばれた謎の男子の知り合いと思しき見目麗しい女子。
イチジョウと呼ばれたその女子が現れた事で、これで解放されるかと思った橘であったが、謎の男子は女子を軽くあしらい橘蓮に次の本を催促。
「しばし待つのは構いませんけど……。そちらの方はどなたですか」
「知らん。だが、よく働く奴だ」
「ええ……」
「ど、どうもです。あ、初めまして、橘蓮と言います」
こうして近衛鋼鉄と橘蓮は運命的な出会いを果たす。
名前も知らない相手のお世話をしている橘を見た『一条雫』も、まるで珍獣でも目撃したかのように、黙ったままジト目で両者を見た。
その後もなんやかやあって、近衛鋼鉄に『おもしれー男』として目をつけられてしまった橘蓮は、誰もが羨む──か、どうかはともかく、驚異の出世街道を歩む事になってしまった。
そして、本人が知らないうちに天上人が集う聖桜学園に入学する事が決まっていた彼は、気が付けば統苑会の庶務になって今に至る。