Level.010 絶望的な見る目
一方、漸くお弁当を食べ終わった鹿謳院はガラステーブルから執務机へと移動して静かにお茶を飲み始める。
「(セレナの中の女生徒が相談に来る可能性。……そうですね、どれだけ多く見積もっても三割あるかないかと言った所でしょうか)」
もちろん0割である。
「(やはり、低い確率に期待するまま時間を浪費するのは悪手でしょう。後わかっている事と言えば、難しい顔をしながらライトノベルに目を通しているこの男……近衛副会長を凄く優しい人と評する奇特な女生徒)」
両手で湯呑を持ち一口だけ緑茶を流し込んで、窓の外に広がる綺麗な青空を見る鹿謳院。
「(この男が凄く優しい。……正直、気が触れているとしか思えませんが、セレナは博愛主義ですからね。自分が認めた者以外の人間を喋るゴミ箱としか認識していないであろうこの男ですら、セレナの目には優しく映ったのでしょう。本当に優しい子です)」
楚々とした雰囲気とは裏腹に、脳内では割と滅茶苦茶な事を考えている鹿謳院。
彼女の近衛に対する評価は辛辣ではあるが、当然そんな思考を微塵も表情に出す事ない。
と言う事で、ノートパソコンを開いた彼女は、統苑会の業務に関係ない調べ物を開始。
「(副会長に対して打算無しの良い感情を持っている女生徒。探偵を雇えれば良かったのですが、近衛家の人間の調査を受けてくださる事務所が余りにも少ないせいで中々──あらあら……)」
ノートパソコンを開いた鹿謳院がメールボックスを確認すると、先日ようやく調査を引き受けてくれたばかりの探偵事務所から、悲しいお報せが届いていた。
要約すると『事務所潰されちゃうからもう調べられない無理。ごめん』と言った内容。
「(まあ、そうですよね。自分達について嗅ぎまわっている人間を放置する程、近衛の者は優しくはないでしょう。けれど、私が調べたいのは社会の裏側にある闇ではなくて、近衛副会長の身近に居て彼にプラスの感情を抱いているであろう女生徒の情報なのですけどね)」
宛てが外れた事を気にする事もなく、もう一口お茶を飲む鹿謳院。
「(やはり、校内の事ですから自分で動くしかないのかもしれませんね。手の者を使うと言う選択肢もあると言えばありますが──)」
『近衛副会長に好意を抱いているかもしれない女生徒を調べて欲しい』
「(そのような命令を下せるはずがありません。間違いなく変な誤解を与えてしまう事でしょう。同様の理由から、あまり大胆に動きすぎますと周囲の者に不審がられてしまう事も想像に難くはありません)」
両者共に一歩たりとも前進しない夫婦の中身調査。
とは言え、セレナとマンダリナの性別がゲームとリアルでは別であると言う大前提に気付けない限り、二百万年経っても中身の特定には至らない。
「副会長」
「なんだ」
しかし、そんな裏事情を知っているはずもない鹿謳院と近衛は、互いに互いを探りあう。
もちろん、ある意味それはそれで正解なのだが。
それでも、根本的な問題に気付いていない二人は、最初から正解が取り除かれた一生答えの出ない問題と向き合い続けている状況。
「副会長はよく、異性の方々から好意を向けられておられますよね」
「寄って来る女はいるが、モテるかどうか知らん。だが、それを言うなら鹿謳院の方こそ無数の男に言い寄られていると記憶しているぞ」
「そうでしたか? 生憎と自分では気が付きませんでした」
「白々しい」
近衛は本を、鹿謳院はノートパソコンの画面を。
いつもながらお互いを見る事の無い冷めた会話。
「普段は女生徒に優しくされているのですか?」
「この俺が男か女かの違いで態度を変える事はない。突然どうした」
「いえ、特に何かがあると言うわけではありません。今朝話した内容の続きのようなものです。とある女生徒が、副会長の事をとても優しい人であると評していたものでして」
「優しさなど幻想に過ぎん。下らん事を言う奴がいたものだ」
「……ええ、まあ、そうかもしれませんね。ですが、どなたが仰られていたのか、気にはなりませんか?」
「ならん。もしこの俺に言いたい事があるのなら、陰でこそこそせずに直接言えとでも伝えておけ。鬱陶しい」
近衛の口からセレナに該当する可能性のある女生徒の名前を直接聞き出そう。
そう思っての簡単な誘導尋問。
しかし、相変わらず一切の興味を示す事のない近衛は、本から目を逸らす事すらなく。
自分に好意を向けているかもしれない女生徒の話題をバッサリと切り捨てしまった。
「(……え、え? ……え? セレナはこの男の何処に優しさを見出したのですか?)」
もう少し話に乗ってくれるかと思いきや、自分を優しいと評する誰かに欠片ほどの興味を持たない近衛の態度を目の当たりにした事で、鹿謳院氷美佳は珍しく動揺していた。
「(えっと、なんでしたか、確か、俺様系と言うのでしたか。天上天下唯我独尊を地で行かれる副会長に、惹かれる女生徒が数多く居る事は把握しております。……おりますが、どう考えてもこの男はないでしょう。百歩譲りまして、斯様な男性が好みであると言う事は認めても構いません。ですが、何をどうしたらこの男の評価が“凄く優しい”となるのでしょうか)」
絶望的に男を見る目がないセレナに対して困惑する鹿謳院は、脳内で妻の心配をする。
「おモテになられる方は異性の扱いがお上手なのですね」
「皮肉が言いたいなら今度にしろ。昼休みは何も考えずに娯楽に興じる時間と決めている」
お前のような雑な男が異性にモテるのが不思議っすわー。
と言う鹿謳院の皮肉を受けて尚、近衛が本から視線を外す事は無かった。
しかし、鹿謳院の口からモテるだのモテないだのと言う言葉が飛び出した事で、近衛の中でも多少の興味は沸いていたらしい。
「だが、先に質問した鹿謳院だ。次は俺の質問に答えてもらうぞ」
「それが公平と言うものでしょう。どうぞ」
興味が湧いたと言っても、左手に持った本をパラパラと器用にめくる近衛が、本から視線を外す事はない。その程度の興味。
「鹿謳院には最近よく話す男子はいるか」
「よく話す男子ですか。どうでしょうか、思い当たる方はいませんね」
「では、良く話し掛けて来る男子はどうだ」
「それもどうでしょうか。私の教室では男子は男子、女子は女子のグループで別れて会話をする事がほとんどですからね。挨拶程度であれば交わしますが、校内で私に積極的に話しかけて来る男子は、どうでしょうね。最近はおりませんね」
「寂しい奴め」
「お気遣い感謝いたします」
ニコリと作り笑顔を浮かべた鹿謳院と、それ以上聞きたい事もない近衛。
両者は再び沈黙する。
「(ダリちゃんは時々会長と話すと言っていた。だが、今の鹿謳院の話しぶりを聞くに、この女に時々話すような男子の友達は居ない。となれば、時々話すと言っていたダリちゃんの言葉の意味が多少変わって来る……か?)」
ダリちゃんの話と鹿謳院の話。
二人の会話を照らし合わせた近衛鋼鉄は、その中から見えない”何か”を見つけ出そうと思案する。
「(時々話すと言う言葉が“文字通り時々話す”と言う意味であればどうだ? 普段から男を寄せ付けない鹿謳院が、それでも時々男子生徒と会話をせざるを得ないタイミング。真っ先に思い浮かぶのは、やはり──統苑会の定例会議か)」
流石と言うべきか、近衛が辿り着いた可能性は思いの外あっていた。
「(性格は別にしても、この女の統率とカリスマ性が頭抜けている事は認めてやってもよい。定例会議に参加する統苑会の誰か、或いは下部組織の生徒会の誰かが、それを親身であると誤解。そして、面倒見が良いと評価するのは何も不思議な話ではない、か)」
そこまで考えた近衛は、読んでいた本をパタンと閉じた。
「如何なさいましたか?」
「どうにも纏まらん考えがあってな。少し風に当たって来る」
「そうですか。お気をつけて」
そうして、執務室から出た近衛と、部屋の中で一人になった鹿謳院は結論を下す。
セレナ(マンダリナ)を特定にするには、現状では情報が不足し過ぎている、と。