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Level.009 まずは小さな可能性から


 柳沢美月とのやり取りに疲れた近衛は溜息を吐き、彼女を無視する事にした。


「いや、だが実際に早いな。頼んだのは先週末だったはずだ」


 だが、思わず柳沢の仕事振りに感心してしまい、再び口を開いた。


「でっすよねー? と言いますか、私広報なんですけど、その辺わかってますよね?」


「出来る奴が出来る仕事をやるのが一番早い。本当はたちばなに頼みたかったが、既に別の用事を頼んだ後だったからな」


「……いえ、まあ、副会長がレンレンお気に入りなのはわかりますけど、酷使しすぎて嫌われても知らないですからね。ホントに」


「ふっ。民が皆、橘のように勤勉であれば、日本の未来は安泰なんだがな」


「えー、ナチュラルに発言こわー」


「言ってろ」


 近衛の執務机のすぐ近くに移動して、彼の身体に身体を引っ付きながらノートパソコンを覗き込んでいた柳沢だが、流石に邪魔だったようで追い払われてしまう事に。


「美月の話ではありませんが、橘君には何を頼まれたのですか? 今週に入ってからはまだ一度もこちらに顔を出していませんよね」


「俺の名代として中等部での調整会議を仕切るように命じただけだ」


「ええー……」


「あらあら」


「心配せずとも議長も補佐につけている」


「なんだー、じゃあ大丈夫ですねー」


「副会長の名前を出せば大抵の子は黙るとは思いますが、それでも中等部には元気な方々も何人かおりますからね」


「鹿謳院の懸念は尤もだ。確かに、高校からの外様とざまである橘には少々動き辛い事もあるだろう。だが、中等部の連中程度は軽くあしらえるようになって貰わんとな」


 外様とは!


 幼稚舎と初等部から聖桜に通う生徒を『純血組』と呼ぶように、中等部や高等部から聖桜に入学した者を『外様とざま』と呼ぶ、生徒だけが使う聖桜用語である。


 その昔は“外来種”や“雑種”と呼ばれていた時代もあるらしいが、今では少しマイルドになって2000年初頭からは外様に落ち着いたらしい。


「副会長は本当に橘君が好きですね」


「当然だ。あいつは努力を惜しまない人間だからな」


 そう言うと、普段殆ど表情を変えない近衛が珍しく優しげな表情を浮かべる。


 それを見た鹿謳院も、それに気付いた柳沢も、どちらも近衛の表情に突っ込むような事はなく。


 パソコン画面しか見ていない近衛にバレないように二人だけで目を合わせると、目だけで頷き合う。


 その後、しばらくして朝の作業を終えた統苑会の面々は、各々は教室へと移動。


 授業を受けたり、受けなかったりする。


 受けなかったりすると言うのはそのままの意味で、統苑会に所属する者は基本的に授業を受ける必要がないのである。


 鹿謳院も近衛も柳沢もその他のメンバーも、既に“高等部課程修了試験”と言うテストを通過しているので、授業は受けても受けなくてもいいのだが、何となく授業に顔を出している。


 そして、そんな授業が終わり昼になれば、また仕事の為に執務室に舞い戻る鹿謳院と近衛。


 だが、これは鹿謳院と近衛が特別と言う訳ではない。


 統苑会の会長と副会長は代々こんな感じの学園生活を過ごしているので、これは聖桜学園では古くから見られる普通の光景である。


 その為、会長と副会長を始めとした統苑会のメンバーが長時間過ごす事になる執務室は、長い年月を経て長時間の滞在に適した大変に快適な空間へと改造されてきた歴史を持つ。


「副会長の昼食は今日もエナジーバーだけなのですね」


「なんだ、今更。これよりも早くて安くて無駄の無い食事があるなら教えてくれ」


「探せば見つかる可能性もありますが、どうでしょうね」


「そうか、では見つかったらその時にでも改めて教えてくれ」


 執務机とは別の、部屋の中央に置いてある大きなガラステーブルでお弁当を食べる鹿謳院と、いつも通り自分の机で一分にも満たない短い昼食を終える近衛。


 短い会話が終われば、執務室はいつも通りの静寂が訪れる。


 もうすっかり慣れてしまった苦にならない沈黙。


 素早い昼食を終えた近衛は紅茶を片手に趣味の読書に耽り、物音一つ立てずに美しい姿勢で食事を取る鹿謳院は、窓の外に映る季節を楽しむ。


 と言うのも今は昔。


「(鹿謳院と時々話す男子で、多少なりともこの女の事を気に入っているであろう誰か)」


「(いつセレナが相談に現れても対応が可能なように、しばらくは私の昼食もゼリータイプかバータイプの栄養食にした方が良いのでしょうか)」


 最近は専ら別の事に執心している。


「(鹿謳院のクラスに居る純血組の男子であればわかる。だが、俺が把握している限り、どいつもこいつも俺や鹿謳院に取り入ろうとする外様と大差のない腰巾着のような奴らばかりだ。この女がそんな連中の面倒を見るとも思えん)」


 朝や放課後と違って、昼の休憩中は小難しい内容の本に目を通さない近衛。


 左手一本だけを使って器用に読み進めているのは今時珍しくもないライトノベル小説であり、異世界に転生した主人公が神様に貰ったチート能力で無双をするよくある物語。


 近衛鋼鉄は本を、活字を、物語をリスペクトしている。


 古典文学から新聞はもちろん、英語やラテン語、中国語で記された本も、世間で話題になっているのであればライトノベルや漫画も、果てはファッション誌や旅行雑誌に至るまで。後、年齢的に本当は読んじゃいけないエロい本も。


 本好きを自称しながら、漫画や大衆誌を否定する似非知識層と違って、真の知識階級に所属する近衛鋼鉄は、この世に産み落とされたあらゆる本に深いリスペクトを抱いている。


 よって、世間で売れているのであれば、ライトノベルであろうが漫画であろうがとりあえず目を通す事にしている。


 もちろん、売れていなくても読んだ事がない本は全部読みたいと考えている。


 それを気に入るかどうかは別にしても、たとえ死ぬほどつまらない内容であったとしても、それでもリスペクトはなくならない。


 内容に対してケチをつける事はあっても、産み落とされた本への敬意だけは決して失わないのが近衛と言う男である。


「(何が異世界転生だ、くだらん。仮にも神を自称するのであれば転生させる人間はもう少し吟味しろ、戯けめ。この地球において何の結果も残せずいる凡夫にチート能力を与えて何になる。地球ですら何者にもなれなかった奴が異なる世界に行ったとて何者にもなれるはずがないだろうに。──つまり、この俺を異世界に転移転生召喚しろ。主人公を俺にするがよい)」


 と言う訳で、ラノベの内容にケチをつけながらも、しっかりと楽しむ近衛は、今日も穏やかな昼休みを過ごしていた。

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