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転機は訪れる①

 そんな黒い会社にどっぷり漬かっていた私に転機が訪れます。2011年3月11日、若い方はあまり記憶にないかもしれませんが、この日にある大きな出来事が日本を襲います。『東日本大震災』です。


 当時、私は上野駅の近くにある不動産会社の営業所で、九州のお客様と商談のお電話をしている時でした。所内にいた同僚達の携帯が一斉に緊急地震速報を鳴らし始め、ほどなくして強い揺れが襲ってきました。何より恐ろしかったのは、営業所は8階建てビルの5階だったのですが、同じ目線にある首都高が、まるでこんにゃくの様にグニャグニャとうねっていたことと、職場の壁に横一線に亀裂が入った瞬間を見てしまったことでした。


 同僚達はみんな一斉に逃げ出していきました。私はお客様に状況を説明してからと思ったのですが、電話口のお客様がいるのは九州地区、こちらの状況なんてわかるわけがありません。とにかく折り返すことだけをお伝えして電話を切ると、一目散に外に逃げ出しました。上野駅前のロータリーには大勢の方が避難してきていて、ようやく同僚達と合流した時、再び強い余震がありました。


 営業所に戻るのも怖くて様子を見ていたところ、同僚達は煙草を、私はなぜか机の奥にしまっていたアーモンドチョコの箱を握り締めていて、誰も携帯も財布も持っていないというありさまでした。チョコレートを配りながら、代わりに煙草をいただいて一息つき、吸い終わるころには余震も収まっていたので戻ったのですが、すぐにJRが運転を見合わせたため、私は帰れずに営業所に泊まることになりました。テレビで東北の惨状、特に津波の映像を夜通し見ながら、ドえらいことが起きたものだと、何度も鳴り響く地震警報に怯えながら眠れない一夜を過ごしました。


 報道の特集番組では、津波によって押し流される街の映像が何度も流れました。私は生まれて初めて、津波はザッパーンとくるものではなく、海面を押し上げながら、まるで海が溢れたように圧倒的な質量で海水が押し寄せてくるものだということを学びました。


 時間を追うごとに膨れ上がる犠牲者の数、そして、壊滅状態の東北の街々。どこか、同じ国であることが信じ難いような非日常の風景。私の友人とも連絡が取れず、絶望した毎日を送りました。その中で、一つの光明が見えます。


 がれきの中を必死に捜索する自衛隊や消防関係者様の姿です。おそらく、その中には自らも被災し、ご家族の安否がわかっていない関係者様もいらっしゃったかと思います。それでも一人でも多くの生存者を、その命を助けるために闘う姿は、私の心を強く揺さぶりました。



 その時、思い出したのです。そうだ、自分は誰か困っている人の助けになりたいと、一度は警察官や自衛隊を目指したのだったと。



 営業や接客販売が悪い仕事だとは思っていません。試行錯誤して少しでも売り上げを伸ばすのは、大変でしたが達成感もありました。しかし、人助けにつながるかと言えば必ずしもそうでもありません。本当にやりたかった仕事かと問われれば、それも何とも言えません。


 その時、私はすでに34歳でした。もう一度、警察官や消防、自衛隊を目指すには年を取りすぎていました。それに、家族もいるので軽々しく転職もできません。そこで、定年まで長く働けそうで、何か人の役に立てる仕事、困っている人に手を差し伸べることができるような仕事、いろいろ仕事を調べ、一つの仕事を見つけます。それが『警備業』というお仕事でした。


 警備と聞くと、定年後に守衛としてのんびり座って仕事をしたり、他の業界で通用しなかった人が流れ着くようなネガティヴなイメージを持つ方も多いようで、警備業界に来る前も来た後も、いろいろ偏見の目で見られることがあることを知りました。


 警備会社にもよるのかもしれませんが、私の入社した警備会社では、物流倉庫の施設警備を行っていて、警備会社に求められるものも多く、人や車両の出入り管理、手荷物検査、巡回業務、傷病者対応、事故対応、災害対応など多岐にわたりました。私は初めの10日間を千葉県内の施設現場で研修を行い、その後、地元の警備隊に配属されて業務を行いました。


 この警備業務が、なかなか私には相性が良かったようで、何が一番最高だったかって、まず『数字』がありません。警備業務が追い求めるのは『安全』とか『安心』とか、何も起きないことが成果になります。数字を追わない世界がこんなにも心軽やかなのかと舞い上がったのを覚えています。また、立ち仕事が多いのはきつかったですが、元気に挨拶して、丁寧に対応する。今まで散々と接客や営業で身に着けてきた、いわば私にとって『当たり前』のことをやっていれば、


「あの警備員さん。なんだか元気で気持ちのいい挨拶してくれるし、対応は丁寧だしいいよね。」


 と、同僚や関係者様からお褒めの言葉をいただけます。さらに、病気などでの欠員が出ない限りは、休みもきちんと予定通りいただけますし、何より、1か月立ち仕事中心に業務を行っていたおかげで5キロほど痩せました。


 数字に追われることなく、元気に明るく対応していれば褒められ、痩せた上にお金までいただける。重症月末症候群だった私には、天国ともいえる環境で活き活きと働いていました。『水を得た魚』というのはまさにこの時の私のことを言うのだったと思います。


 そして、ここでも一つの転機が訪れます。地元の警備隊に配属になって3週間、自分の直属の上司は現場警備隊長でしたが、責任者は本社の営業課長でした。その課長が何の前触れもなく現場に来ました。私と面談をしたいとのことです。何かやらかしてしまったのだろうかと、不安な気持ちで面談室に入ると、課長は神妙な顔つきで一言私に告げました。


「あー。来月から隣の警備隊の隊長を任せたいんだが。」

「ほぇ?」


 多分、間抜けな顔に間抜けな声を上げたと思います。いやいやいや、警備業界初めてのド素人ですし、まだ入社1か月もたっていないんですが?


 人生、いつ、何が起きるかわかりません。この時の人事が、私の人生を大きく変えていくことになります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 『数字』がない会社なんて、いいね
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