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男装したら今まで冷たかった婚約者が引っ掛かりました

作者: 響日蛍火

 シャラリとこすれる布の音、顔を隠した人々の上品な笑い声、ピアノが奏でる軽やかなワルツ。

 所々で光を受ける宝石達は持ち主と呼応するように輝きを放っていた。普段と変わらず談笑を楽しむ者、ダンスを楽しむ者がいれば普段の舞踏会では考えられないような欲を見せる者もいる。仮面一つで自分の欲に正直になるのだから面白いものだ。


 いつもと同じような景色であるのにそれを取り巻く雰囲気はまるで違う。普段のものでさえ苦手な私にとって気分は最悪だった。

 本当にここに行くのか…厚手のカーテンのかかる窓越しから見えた光景に思わず苦笑いがこぼれる。それに気が付いたのか隣にいる兄はニヤリと面白そうに笑い私の背中をバシンと強くたたいた。その衝動ははたかれた部分から次第に広がっていき、思わず汚い声が漏れる。少しよろけながらいきなり何をするんだと非難を示すためにきっとにらみつけるが当の本人はケラケラと笑うだけだ。


 この兄は昔からこういう人だ。私の気分が落ち込んでいたり、緊張しているときはいきなり変なことをする。近くの人を私にだけ聞こえる声でいじって笑わてきたり、深呼吸しているときに鼻をつまんできたりといやがらせかと思うほどに方法は様々だ。その中でも一番多いのがこうやって背中を叩いてくることである。それが私のためであり、兄なりの気遣いなのはわかっている。言葉にしないけれどもとても優しい人なのだ。

 ただ励まし程度に叩く強さじゃない。音が怖いし普通に痛い。何なら少し涙が出てる。力加減さえ間違えなければな…とひりひりする背中をさすって、今日の目的を思い出す。

 ここからは私は私じゃなくなる。全てはそう、婚約破棄のため!心の中でガッツポーズを決めてみれば。やる気がわいてくるような気がした。


 身に纏うは金色の刺繡がなされた紳士服。連れ添うは同じデザインが施されたドレスを着る兄。

 柔らかな笑みを浮かべて兄の前に手を差し出す。


「参りましょうか、姫君」


 添えられた手を引いて舞踏会の扉を開いた。


________________________________________________________________________________


 事の発端は数日前。


「ねえ、シヴィ。男装しない? 」

「嫌です」

「なんで、きっと楽しいよぉ、男装」

「いや、なんで逆に了解が出ると思ったんですか? 」


 突然入ってきたと思ったら何を言い出すんだこの変人は…と思いながら手に持っていたティーカップを口につける。

 私の化粧台の椅子に座り、腕をクッションにして椅子の背に顎を乗せる実の兄、フレドリック・ユーフォニはいつものように気の抜けた態度で私に突拍子のない提案をしてきた。このマイペースムーブは今に始まったことではない。面白そう!という理由だけで一か月の放浪の旅に出たと思ったらとてつもない美女になって帰って来たり、それをもとにした小説を書き始めて大ヒットを獲得したりと天才というべきか変態というべきかわからなくなる領域に達している。ちなみに今は女性のドレスのデザインブランド「小鳥」に重きを置いているようだ。それもまた婦人達の間で話題になっている流行ブランドの一つである。


「今度さ、小鳥で紳士服出すことになったんだよ。婦人服とセットのデザインでさ」

「そうなんですか」

「そして都合がいいことに近くに仮面舞踏会があるんだよ」

「そうなんですか」

「仮面舞踏会といえば僕は月夜の姫君で有名じゃん」

「そうなんで…ん? 」

「んでその反応も見れるし宣伝もできる! 一石二鳥! 僕が女性役をやって、シヴィが男性役をする。ね、完璧でしょ」

「どこが? 」


 月夜の姫君と言えば仮面舞踏会のみに現れる絶世の美女と話題の人物だ。普通なら仮面舞踏会の話題というものは表立って出てこないのだが彼女の話題は違った。何人もの男性が彼女を探して駆け巡っているという噂が私の耳にも届いている。ちなみに月夜の由来は星屑が浮かび上がるような艶やかな黒髪と一言もしゃべらないその静が神秘的でありたった一つ圧倒的な存在感を見せる月のようだということからつけられたそうだ。物は言いようである。


 その世間を騒がせる美女が実の兄…。確かに納得できてしまうのが悔しい。妹の私から見ても兄は美人だ。少し吊り上がった目を縁取る長いまつげに隠された海色の透き通った瞳、陶磁器のように白い肌、少し襟の長い銀色の髪は触らなくてもわかるほど艶やかでサラサラ。精巧な人形と言われたほうが現実味があるかもしれない。中性的な顔立ちは多くの人を魅了し、なかなか社交場に顔を出さないこともあってか、その美貌を自分だけのものにしようと子爵の地位でありながら縁談が絶えない人物である。私は今まで兄以上に美しい人に会ったことがない。だから噂の美人がそこら辺の女性と言われるよりも説得力がある。髪なんてカツラを被れば色は変わるし、見た目にそぐわない重低音の声が出せないからしゃべれないと考えると納得だった。


「兄様が…いや、それはいったん置いておきましょう」

「置いとけるんだ」

「どうせやるのは仮面舞踏会。兄様が女装するのはいいです。なんで私を巻き込むんですか。ほかの人を雇ったらいいのでは? それこそ女である私ではなく男性の方とか。ほら、兄様には親友がいらっしゃるではないですか」

「あいつはだーめ。僕みたいのは例外だけど仮面舞踏会って言っても顔はばれるもんだよ。無礼講だから誰も言わないってだけで。あいつには顔があるから」


 あいつというのは兄の親友であり私たちの幼馴染であるレイモンド・サクソンのことだ。ちなみに私の婚約者でもある。小さい頃から剣術にのめりこんでいて今は師匠である騎士団長のいる騎士団の隊長を務めていると聞いた。兄とはまた違ったタイプの美形であり誰隔てなく優しく聞き上手だと男女ともから人気だ。私にはそんな素振りはないのだが。


「僕、自分で言うのもなんだけど美人じゃん。だからさぁ狙われちゃうんだよねぇ。男に」

「ああ、自業自得では? 」

「女性特有の嫉妬をもらえる機会なんてそうそうないんだよ。憎悪と羨望が混じり合うあの視線…。うん」

「うわっ」

「でも僕にはそっちのけはないし。襲われたら怖いしね」

「襲われたらって兄様そんな弱くないでしょ。あの剣術バカと一緒に遊んでおいて」

「そうはいっても何があるかわからないじゃん」

「つまり私は兄様の盾になれと」

「盾というより防波堤かな。月夜の姫君にエスコートする男がいるって見せつけられたらいいし。シヴィは美人でしょ。だからイケメンを連れる僕に女の子からの嫉妬がもらえて、男には牽制ができてついでに服も見てもらえる。妹だから僕に本気になることもないしこんなに適材な人はいないよ」


 少年のように目を輝かせながらいう内容は全くもって少年らしくない。つまり話をまとめると都合のいい私が自分の趣味に付き合えということだ。だがそれはあまりにも虫のいい話ではないだろうか。


「お断りしますよそんなもの。それ、兄様が楽しいだけで私には一切メリットがないじゃないですか」

「楽しいじゃん、男装できるんだよ。絶対似合うのにぃ」

「他人に自分の趣味を押し付けないでください」

「えーじゃあこれは? 」

「…なんですか、これ」

「新しい婚約者候補。レイには僕から婚約破棄するよう促してやる。したいんでしょ? 婚約破棄」


 一瞬声が詰まる。それは分かりやすく肯定を示すのと同義であった。

 苦い顔で兄を見ても楽しそうにニコニコする様子はいつもと変わらない。それが逆に恐ろしく感じた。


 なぜ私はレイモンドと婚約破棄したいのか。それはレイモンドが私のことを嫌っているからだ。

 初めて会った時から彼は私に冷たかった。話しかけても無視したり、笑いかけただけでも顔を背けられていた。師匠が同じ兄とは私より長い付き合いだからか兄といるときは生き生きとして楽しそうに笑うのに私といるときは仏頂面でにこりともしない。私のことを嫌っているのは一目瞭然だった。もしかしたら彼とまともな会話などしたこともないかもしれない。


 これは恋愛で結ばれた婚約ではない。だから愛し愛されるような関係は夢のまた夢だと思っている。だけど、せめて仲良くはしたい。兄とのような関係までとはいかなくても挨拶をし、ちょっとした雑談をしあえるくらいには関係を築きたい。だから私は彼に一生懸命近づいた。けれどその報酬のない頑張りが私を苦しめていった。



 数年前、私宛てに花束が届き始めたことがあった。名前が書いておらず誰からのものなのかわからない。まだデビュタントを済ませていない私に毎日のようにそんな花束が届くのは正直不気味だった。だが花以外に何かが入っているわけでもなく害があるわけでもない。変な心配はかけないようにと私のところでとどめていた。

 しかしある時を境に、その花束にダークブルーのインクと共に「君は魅力的だ」「今日もきれいだった」などまるで私を見ているような文章が添えられるようになった。それを見た瞬間全身に悪寒が走る。この見た目もあってなかなか外にも出ない私のことをどこから見ているというのだろうか。一体いつから、もしかしたらこの屋敷内で?想像するだけで体の震えが止まらない。

 そうなると頭の中は嫌でももっと悪い方向へ進んでいく。


 もしこの屋敷にこの送り主がいるとしたら一体何が目的で?私のことを見てるとなると必然的に兄様のことを知ることになる。だけど兄様のことを知っているのだとしたら私のことなど眼中になくなるはずだ。もしかして初めから兄様のことが目的?事実、兄様は男にも女にもそういう目で見られることが多い。私に近づいてから兄様を…。


「兄様! 」

「ん? どうした? シヴィがこっちに来るの珍しいねぇ」

「これ、見てください! 」

「おお…これは、熱烈な…」

「もしかしたら誰かが兄様を狙ってるのかもしれません! 」

「ん? どうしてそうなった? これシヴィ宛てに届いたんでしょ? 」

「そうですが、私に付け込んで兄様を狙っている可能性が高いです! 」

「だいぶ飛躍したね…。だけど多分僕は大丈夫じゃないかな」

「多分って」

「それより自分のことを心配しなよ。お前もそこらとは比にならないくらいきれいなんだからさ。取り敢えずレイに相談してみたら? 婚約者だし」

「レイモンド様ですか? 彼が相談に乗ってくれるとは思いませんが」

「そんなひどい男じゃないよあいつは。まぁ、何か知ってるかもだし。大丈夫だよ」


 バシンとたたかれた背中をさすりながら彼のことを思い出す。頭の中ですら親身に私の相談に耳を傾ける様子など全く想像できないが兄に言われると本当に聞いてくれる気がするから不思議だ。部屋に向かい羽のついた万年筆にインクをつける。

 レイモンドはうちより一つ位の高い伯爵家だ。必然的に私たちが彼の家に向かうことが多い。手紙を送らせメッセージカードを持って後日彼の家に足を運んだ。


「突然申し訳ありません。こんな素敵な紅茶まで用意して頂いて」

「いや、気にするな」


 伯爵家に到着し通された部屋には意外にも可愛らしいティーセットが用意されていた。スタンドに乗せられた小さいお菓子たちは見た目もきれいで眺めるだけで気分が上がる。本人はそんな気がないのかもしれないが私のために用意してくれているようでうれしくなった。

 優しい香りがたつティーカップに口をつけゆっくりと口を開く。


「いきなりですが本題に入らせてもらいます。こちらを」

「…」

「最近変な花束が届くんです。最初のほうはただ花が届いているだけだったので何もなかったのですが、最近はメッセージカードがついていて」

「変な…」

「その内容が、少し、いや、だいぶ気味が悪くて、今まさに見ているような…」

「気味が悪い…」

「そろそろ対応しなければ怖くて。相談しに参りました」

「…そうか」


 しばらくの沈黙の後、彼は大きくため息をついて遠くを見つめる。私の目すら見てくれなかった。

 ああそうか。彼にとって私は煩わしい存在でしかなかったのか。

 下を向いて唇を嚙んでいるとガタリと椅子を引く音とともにいつもより幾分低い声が降り注ぐ。


「…席を外す」

「っ、すみませんでした。こんな個人的な話、どうしようにもないですよね…帰ります」


 逃げ出すように後にしたそこでうまく笑えたかは分からなかった。


 それから私は彼との婚約破棄を願うようになった。こんな嫌いな人が婚約者では彼が可哀想だと思ったからだ。それに私の心が持つか分からなかった。

 なるべく彼に合わないようにし、デビュタントでも無理を言って兄にエスコートを頼んだ。何も言わず許してくれたが女性に媚びを売られるのが嫌いな兄にとってあの社交場は決していいところではなかっただろう。申し訳ないことをしたと思う。だがそれ以上に彼に会いたくなかった。



「…私が男装すれば婚約破棄、してくれるんですね」

「うん。約束するよ」

「分かりました。その話、引き受けます」


________________________________________________________________________________


 いける宝石のような存在を孕みながら階段を優雅に降りる二人に気づけないほど愚鈍なものはいない。思わず吸い込まれてしまいそうなその美しさに人々は足を止め、手を止めた。数秒間の長い沈黙の後、誰かが小さくつぶやく。すると一瞬にして会場は音を取り戻す。人間離れした美しさをたたえる声、嫉妬に狂った声聞こえてくるものはさまざまであった。


『うわー、だまされるもんなんですねこういうのって』

『見ればただの美男美女だからねぇ、僕たち』


 流すように目を見れば相手の言わんとしていることがある程度伝わる。小さいころからやっているから癖のようなものだ。それすらも今の私たちにとってはメリットにしかならない。階段を降りきり見つめあって微笑めば完璧であろう。ざわつきがより一層厚みを増した後、何人かの好奇心に負けた人たちが近寄ってくる。


「こんばんは。今宵は月がより一層美しく思える。もしかしてあなたは? 」

「はは、皆さんのご想像にお任せしますよ。恐らく、間違いはないとおもいますので」


 男と判断されそうな声を出して兄のようにニコニコと笑って見せれば周りの男性が後ろ足を引くのがわかる。やっぱりこの笑顔怖いよなと思いながら兄の手を取りキスを落とせば絶望した顔をする男性と何故か倒れだす女性がいた。それも一人二人ではなさそうだったので少し怖くなる。その戸惑いに笑いをこらえる兄を見て足を踏んでやろうかと思った。今踏むのはおかしいからダンスの時にさりげなくしっかり踏んでやろう。甲が出てるから攻撃力は高いはずだと心に誓った時、聞きなじみのある声が後ろから聞こえてくる。


「はじめまして。突然お声掛けしてしまいすみません。俺のことは気軽にパトローナムもしくはパットとお呼びください。ナイト」

「…はじめまして。パトローナムとお呼びさせていただきます。僕のことは好きにお呼びください」


 見覚えがあるくせっけに背丈。仮面越しから覗く翡翠の瞳は間違いなくレイモンド本人だということを示していた。入場一分でまさかの人物に出会ったことで動揺が隠せない。なぜこんなところに彼がいるのか。三度の飯より剣の鍛錬が好きな彼にとって時間の無駄遣いでしかないはずなのに。

 説明を求めるように兄のほうを伺うが、話してくれる気はないのか軽く交わされるだけだ。頭をフル回転させてこのある推測を導き出す。

 もしかして兄様狙いなのでは?

 彼も月夜の姫君のことを追っていて、偶然にも幻の美人がいたらそりゃあ話しかけたくなるだろう。これが自分の親友だと気づけなくても無理はない。もしかしたら自分にもチャンスがあるのかもしれないと願うのは当たり前かもしれない。ああなるほど。うんうん、レイモンドも美形だもんな。と納得したところで兄を守るために先ほどよりも強い牽制を張る。


「姫君に用ならやめていただきたい。この方は僕の大事な方なので下心で近寄ってもらいたくないのですよ。同じ男ならわかるでしょう。 」

「ええ、分かります。だから声をかけました。大事にしたい人に他の男を近寄せたくないのです。そうすれば、あなたは僕だけを見てくれるでしょう? 」

「はい? 」


 これは、口説かれている?

 サッと右手を取られ軽くキスができそうになるまで近づけるとこちらに目を合わせて微笑んだ。劇場でしか見ないようなその光景に会場が湧き上がる。だが当該者の私はというと予想外の展開に頭が真っ白になっていた。

 18年間生きてきてこんな甘い婚約者は見たことがない。普段の仏頂面からは想像出来ない顔に本当にこれは私の知っているあのレイモンドか?という疑問と同時にほかの人にはこんな顔をしているのかという何とも言えない感情が襲い掛かる。複雑な脳内環境で貴公子モードが途切れてしまいそうだった。だが、それでもわかる確かな違和感がそこにはあった。


 なんでこの人恋人持ちの私を口説いているのだろう。


 はたから見れば今の私と兄は恋人同士。そのための牽制であったし周りの人もそれを感じ取っているだろう。それなのに、だ。何の迷いもなく私の手を取りこの私(男)を口説いている。


 そうだ、今の私は男だ。男でしかも恋人持ちを口説いている…?どういう状況だ?

 …もしかして彼には寝取り趣味というものがあったのだろうか。しかも男性限定の。確かに今巷でそういうロマンス小説が人気である。定期的なお茶会でもご令嬢方がその話で盛り上がっているのを聞いていた。もしかしたら彼もそういった性癖を目覚めさせたのかもしれない。

 男色はともかく寝取り趣味は後々響くだろうから、と心配になる。


「申し訳ない。俺の想い人に似ているもので。つい」

「そうでしたか…」


 手は離されるが熱い目線は残ったままだった。婚約者に想い人を重ねられて居心地の悪さを感じる。

 しかしこの男に想い人などという立派な人がいるとは驚きであった。私以外には人当たりもいいし思っているよりも剣術バカではないのかもしれない。しかもその人は今の私に似ている人だという。自意識高めかもしれないがこの顔で似ている人なんてそうそういないだろう。見た目だけで言えた言葉となれば考えられる人はただ一人ではないだろうか。


「その方と僕、どこが似てるのですか? 」

「そうですね、見た目もそうですが、落ち着く雰囲気というか何というか…。言葉にしにくいのですが全体的に似ていますよ」


 見た目と雰囲気。間違いない。彼が想ってるのは兄だ。そう考えれば辻褄はあった。

 小さいころから私に冷たかったのも本命じゃない妹と婚姻を結ばされ、一番近くにいた私のことが憎かったのではないか。私と会うときは二人きりになることも多かったしここぞとばかりに私にあたっていたと考えればいい。

 胸に落ちるものを感じながらどこからともなくこみ上げてくる悲しみに気が付く。今まで私がやってきたことは彼にとって邪魔でしかないものなんだと改めて言い聞かされたようだった。


「大好き、なんですねその方が」

「はい。大好きですよ」

「っ」


 絶対に逃がさないといった執着すら感じさせる翡翠はまるで私に向けてのものだと錯覚しそうになる。だからなのか本能は私の体をここから逃がそうと後ろへ足を引っ張った。しかしその突然の動きに足の筋肉が追い付かない。思わずよろけそうになった体を後ろから抱きつかれるように支えられる。何事かと後ろを向こうとするが流れるように視界を遮った馴染みの手の体温が、自然と心が落ち着かせるようだった。

 そんなことを感じていれば肩をつかまれて一回転させられるような形で兄と向き合う。小首を傾げて大丈夫かと聞いてくる兄に一瞬心を奪われかけたが何事もなかったかのように微笑み返して大丈夫だということを伝えた。


『兄様、あとどれくらいここにいますか? 』

『帰ろっか。もともと長居する気はなかったし』


「すみません。少しばかり体調が優れないようでして。今宵はここで失礼させていただきます」


 何か言いたげなレイモンドをしり目に兄の手を取る。嵐のような出来事に残された会場はいつもとは違う賑わいが満たしていた。


「ごめんなさい。役割もしっかり果たせずに」

「謝らなくていいよ。恋人だって思わせることもできたし一通り注目も浴びれたから満足。それに謝るのは僕のほうだ。ごめん」


 家紋を隠した小さな馬車に並んで揺れる。向かいに座ればいいのにわざとこちらに座ってくれるのは私が落ち込んでいるのを察したからだろう。


「…兄様も謝るんですね」

「そりゃあ僕に非があると思えばね。今回は僕が悪い」

「兄様が言うならそうなんでしょうね」

「えー、僕にゆだねてるの?そこ」

「だって兄様意外と頑固じゃないですか。ここで私が悪いとか言っても堂々巡りでしょう? 」

「あはは、確かにね。折れてくれてありがと」


 髪型が崩れてしまいそうなほどの力で頭を撫でられる。いつもなら抗議してしまうが今は家に帰るだけなのでそのまま撫でられてあげることにした。内心喜んでいたことに察しのいい兄は気づいているのかもしれない。

 手の暖かさを感じながら私はレイモンドのことを脳裏に浮かべた。こんな兄様だから彼は恋してしまったのかもしれない。


 この人のやさしさは特別だから


 兄が許すのであれば彼が隣にいてもいいのかもしれない。あんなに熱のこもった目をする人はそうそういないから。顔や才能だけで寄ってくるほかの人よりもよっぽどいいと思った。


「…兄様、兄様は」

「うん? 」

「…いえ、なんでもないです」


 レイモンド様のことをどう思っているのですか?その言葉を続けることができなかった。


________________________________________________________________________________


「残念だけど約束は守らせてもらうよ、レイ」

「ああ。俺のせいだからな…はあ」

「本当、君は残念だよねぇ。頑張ってはるけど空回りというか、逆効果というか」

「ううっ」


 オブラートに包まれてくれない事実にレイモンドはメンタルをごそりと削り取られる。差し込んでくる太陽光がまぶしく感じるほどに彼の心は暗くなっていた。


「そんなに落ち込むなら最初からシヴィに冷たく当たらなければよかったのに」

「だって、緊張するだろ。好きな子見ると。話すとかハードル高すぎるだろ」


 呆れたというようにため息をついて見せる。我が国の期待の隊長様がこのざまとは情けない。剣を持てばあんなに勇ましく男らしいのに妹に対する姿は小さいころからあまり成長していないように感じる。いつも気を利かせて二人きりにさせてあげたりしていたが全く効果はなかった。むしろ溝が深まっていた気がする。そういったところはまったく尊敬できない親友は罪悪感からか後悔からか分からないがどんどん小さくなっていた。


「だから今回は協力してあげたんじゃん。シヴィリアが男だったらフレドリックみたいに接せたのかもしれないな…とか言うから。まさかあんなに欲望丸出しで来るとは思ってもみなかったけど」

「それは、お前が、今回誤解とけなかったら次こそ婚約破棄なとか言うから焦ったんだよ」

「じゃあ僕のせいって言いたいわけ?他にも原因あると思うけどなー」

「っ、ま、まあ、確かに?話せてることに感動してつい口が滑ったというか、感情が溢れたみたいなところはあるが…」

「はっ、自覚あんじゃん。シヴィ怖がらせておいて自覚ないようじゃまたあの時の二の舞だもんね」


 先ほども言ったように彼は何もしていなかったわけではない。ただシヴィリア以外の女性をその他大勢としか見ていないせいか彼女らには等しく気の利く紳士でいられてもシヴィリアに対してはそうではいられなかった。どうやら特別な存在過ぎて考えすぎてしまうようだ。その結果あのストーカーじみた花束事件が起きてしまった。



 シヴィリアが逃げるように帰ってきたあの日、僕は人当たりの良い笑顔を張り付けてレイモンドの家に押しかけた。僕とレイモンドが仲がいいのはみな知っていることだったし少しこの顔を使って媚びて見せればすんなりと家に入れてくれた。セキュリティが気になるが今はそんなこと気にしてる場合ではないと彼がいると教えられた部屋に少し前のめりになって進む。


「レイモンド、僕の大事な大事な妹が辛そうな顔をして帰ってきたんだ。僕の記憶が正しければ妹は君の家に行っていたはずなんだよね…何か言い訳はある? 」

「グスッ、ックぁ、?、フレドリック? 」

「うわぁ」


 普段用意しないようなお菓子に囲まれて号泣するレイモンドを見て怒りを一瞬忘れるような何とも言えない感情に襲われる。あの脳筋師匠にどんなに剣でぼこぼこにされようが酷い罰を受けようが涙を流さなかった彼がまるで迷子の子供のようにわんわん泣いていた。情けないという言葉がここまで似合う人間もそうそういない。はぁ、と大きなため息をついて彼と向き合うような形でセッティングされた椅子に座る。


「初めて見た君の涙がこんな時なんてねぇ。どうせなら僕が君に勝った時の悔し涙が見たかったな」

「俺に、勝ったこと、ッん、ないだろ」

「はいはい、一回泣くのやめようねぇ。話づらいから。どうせシヴィに突き放されたとかでしょ」

「~っ、…て」

「ん? 」

「変って、気味が悪いって!!俺、気持ち伝えたかっただけなのに、気持ち悪がられてて…いや、そこじゃない。気持ち悪くさせてて、怖い思いさせてて。どう償えばいいかわかんなくて。ここにいたらまた変なこと言うと悪いから少し考えようと思ったら怒って出て行っちゃって。俺は、俺が嫌いだ」

「ここでただ傷ついて泣いてました、だったら気持ちよく殴って婚約破棄突き出してたんだけどねぇ」

「は? 」

「ま、気分が変わったってことだよ。まだシヴィにも何も伝えてないし。それより、一発殴らせて」

「そこは変わらなかったのか…」

「当然」


 当たり所が良かったのかレイモンドは想像以上に血を流していた。ま、何とかなるだろうと別れの挨拶を告げてそそくさと家に帰ったがあの後何のお咎めもなかったので彼がうまく対処してくれたのだろう。

 いい思い出とは言い難い記憶を口に出していけば目の前にいるレイモンドは過去の後悔を思い出したのか纏っている空気は先ほどよりも重くなっていた。


「んなこともあったねぇ。今回も殴るけど」

「あの時の目がそう言ってたな」

「でもちょっとだけ待ってあげる」


 僕は腰を上げると迷わず部屋の扉を開く。だいぶ体重を預けていたのかドアを引いた途端にシヴィリアが倒れてきたので片手で彼女を受け止めた。とても気まずそうにしているので空いている片手で柔らかいほっぺたを杭っと引っ張てみる。シヴィリアは僕がこういうことをすると、力いっぱいやらないでください、と抗議してくるが僕に言わせてみればかなり力をぬいているほうだ。少し強めにしているのはわざとだが。

 今回も例外なく抗議してくるかわいい顔を見てからぱっと手を放す。むっとする様子はいつもと同じであった。

 そんなことをしていれば当然状況を把握しきれていないレイモンドが戸惑いの声を上げる。


「へ、シヴィリア? 」

「…突然伺ってしまいすみません」

「シヴィの変な誤解を解こうと思ってさ。まぁ後は二人で話しなよ」

「ダメです。兄様はここにいてください。どこか行ったら兄様のことを騎士団長に話します」

「は!? また変なこと覚えて…わかったよ」


 騎士団長、つまり僕たちの師匠であるあの人は僕を騎士団に入れたがっている。長男だから家を守らなければならないという理由で押し切ってはいるが今自由にしている僕を見つければ僕の自由は消え去ったと言ってもいいものになる。

 誰がこんな入れ知恵をしたのか、はたまた師匠が直接シヴィリアに告げたのか分からないがそいつは恨むと心に誓った。


「シヴィリア、何でここに? 婚約破棄ならちゃんと…」

「それもありますが、もしかしたら兄様が襲われるかもしれないと思いまして。レイモンド様、先ほどの話は本当なんですか? 」

「あ、ああ。本当のことだ。俺はずっと何年も前から、シヴィリアが好きだ。俺がチキンなせいで無意識のうちに冷たくしているようになってしまって、本当にすまない。許されないことだとわかっている。でもこの気持ちに偽りがないことは信じてほしい」

「じゃあ先日のことも」

「あれは、男だったら、フレドリックと似てるはずだからいけるかもしれないと思って…」

「私に話していたんですね。想い人も重ねているわけではなく私自身に…てっきり兄様狙いだと…」

「なんでそうなる!?」


 なんだ、ちゃんと話せんじゃん。

 わちゃわちゃと話す二人を見て思わず笑みがこぼれる。大事な親友が大事な妹を思う気持ちの強さは昔から知ってるし、彼女も彼のことを少なからず思っていることも知っている。大事な二人だからこそどちらも大切にしたかった。あまりに長い戦いにしびれを切らすことも多かったがこうして誤解も解けて良かったと思える。


「ねぇ僕帰っちゃだめ? 」

「「だめ!」」


 この二人の間に僕がいることが嬉しかったのは内緒である。



 それから私たちの婚約解消は白紙になった。以前の冷たさが噓のように私に挙動不審になりながらも話しかけてくれるようになり以前と比べて仲はかなり深まったと思う。私に彼を想う気持ちがあるかどうかは分からないがこの幸せな空間は崩したくないと思った。


 仮面舞踏会の後、レイモンドに男色の噂が広まってしまったことで腫れた頬を右に頭を抱えることになったのはまた別の話である。


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