最終話 妖かし桜が散るまでに
※途中で主題歌のような詩の画像が入ります。
イラスト付ですが胴体部分のみ&ボカしてあるので、イメージを損なうことはありません。
不要であれば画像非表示にてご覧ください。
心地良い風が吹いている。
私を包み込む温もりに安らぎを感じながら、そっと目を開ける。
悶えるような激しい痛みも息苦しさもなく、穏やかな呼吸をしながら私は今にも降りだしそうな満点の星空を眺めていた。雷龍の姿は跡形もなく、晴れ晴れとしたその景色に全て終わったのだと悟る。
私の呼吸に同調するように息をし、腕枕に寄り添って眠る彼女からの華やかな香りが漂った。この温もりは、やはりお前のものであったか。
「起きろ、華葉。……ありがとう、戻ってきてくれたのだな」
そっと囁くように声をかけると、華葉の瞼から琥珀色の瞳が覗いた。微睡む意識の中で私の顔を見上げると、彼女は安心したように笑った。
「拓磨……。良かった、無事で」
「あぁ、お前のお陰だ。何が起こったのか聞かせてくれるか?」
ここが帝の敷地である内裏だということも忘れて、私たちは寝そべったまま私が雅章に術をかけた後の出来事を聞いた。
華葉が雷龍を打ち倒し、五行気の怒りを静めるために尊・環喜・助規・吉乃、そして暁たち五人がその魂を捧げた。彼らの魂はまだ天に還らずに留まっていたのだ。
「そうか、母上や暁まで……。これでもう転生はできなくなったな」
「いや、そんなことはない。きっとまた長い年月をかけて、生まれ変わってくるさ」
まるで自分にもそう言い聞かせるように華葉は言った。
こんなに近くにいるのに何だか彼女が消えてしまいそうな気がして、咄嗟に私は「これからも傍にいてほしい」と言おうとしたのだが、彼女のひとさし指に口を押さえられてしまった。
「拓磨。お前の言うとおり、私は庭のあの桜だ。ずっとお前に会いたかった。だから雷龍の妖術を受けた時、お前の母と私の力でこの姿になったのだ」
母上の力……? 彼女はまたよく分からないことを言う。
だが、これで華葉が自分の正体も記憶も全て思い出したのだと知った。私の見解は間違っていなかったのだ。
「私は拓磨が好きだ。でも拓磨の私に対する気遣いは……私があの桜だからか?」
切なそうに問う華葉に、私は彼女の指を掴んで体を起こすと、戸惑いながらも少し強めに思いの丈を口にした。
「違う! 私はお前の、その真っ直ぐな心に惹かれたのだ。お前の正直な気持ちが、誰も信じられなかった私を変えてくれた。この温もりも香りも、笑顔も涙も全部、華葉自身のものであろうがっ」
叫びながら、私に合わせて体を起こした華葉を強く抱きしめる。
ほら、お前はこんなにも温かい。まだ確かに私の腕の中にいるというのに、どうして距離が遠く感じるのだ。
「私から離れないでくれ、華葉。……其方のことが好きだ」
そう告げた瞬間、彼女は私を抱き返して僅かに震えた気がした。
そしてその抱擁も束の間に華葉は私の体から離れる。
「ありがとう、嬉しいぞ拓磨。私もずっとお前といたい……でも私は行かなければ。雷龍の妖気が消え、吉乃の力もなくなった今、私は還らなければならない」
「還るって、何処に行くというのだ」
悲しそうに笑う華葉は「さぁな」と答えた。彼女に両手を握られるものの、私はその手を見て仰天した。すでに彼女の指先が透け始め消えかかっているのだ。
「待ってくれ、私は魁だ。今、お前を人間に変える術を考える。だから――」
「止めろ、何のために暁たちが魂を捧げたんだ。らしくないことを言うな、拓磨」
いつもの華葉らしく率直に私を叱咤するも、彼女はすぐに微笑んだ。
彼女の体が空の色へと染まるにつれ、薄紅色の光が増す。
「大丈夫だ、私はいつだってお前を見守っている。これまでも、そしてこれからも。だから私のことを忘れないでくれ、拓磨……」
満面の笑みを浮かべた華葉の頬に伝ったものを、私は見逃さなかった。光は最大に強くなり、彼女の最後の妖術のように花びらとなって天高く舞い上がる。
お前は最初から勝手だな、華葉。突然私の前に現れて、風のように消えていく。
忘れるわけなかろうが。どうして忘れることができようか。
最後に舞った一枚の白い破片が掌に落ち、私はそっとそれを握りしめた。
叫びたい衝動を抑え、私は未だ意識を失い倒れている雅章殿を担ぎ上げ、陰陽寮へと向かった。この男のことは蒼士との約束を守り、殺してはいない。
私が最後に放った術は、雅章殿から心力の全てを奪うものだ。これで彼は心力を溜めることは愚か、その力さえも失い今後二度と陰陽術を使うことはできない。
陰陽師としての生命は絶ったが、殺すよりかはマシであろう。
生きていれば罪を償うこともできるし、また新しい一歩を歩むことができる。
寮には蒼士や他の者が残っていた。雷龍の妖気が消え、嵐も去ったことで全て終わったと悟り、私の帰りを待っていてくれたのだ。
蒼士は私が担いでいる雅章殿を引き取ると、心力が奪われたことに落胆していたが、それでも「これは父上が受けるべき罰だ」と私を責めることはしなかった。
内裏も寮も、町中も滅茶苦茶でやることはまだ山積みだが、それでも私が疲れているだろうからと、皆が私に屋敷で静養するよう説得した。今日でなくともまだ明日からは続いていくのだと。
一人だけ休むのは気が引けたが、彼らの心遣いを受け入れて、私は雫が待つ屋敷へと帰ることにした。
足取りが重い。
雫の式神召喚術は最後まで切らなかった。彼女が〝待っている〟と言ったから。
でも雫が待っているのは私の帰りではなく〝私と華葉〟の帰りである。
彼女には何と言ったら良いのやら、屋敷の前の通りまで来てもトンと思いつかずにいた。待っている人がいるのは有り難いが、それでも申し訳なさに押しつぶされそうになる。
すると屋敷の門の前に人影が見えた。
彼女は私の姿を見つけると、駆け寄って抱きしめるように私を支えた。
『お帰りなさいませ、拓磨様。よくご無事で……』
「あぁ、ありがとう雫。だがすまない、お前との約束をまた果たせなかった」
屋敷に辿り着いたことと、雫の顔を見られた安心感で一気に疲れが襲う。雫に寄りかかりながら足を引きずるように歩く私に、彼女は首を横に振った。
『いいえ、拓磨様。あなたは約束を守ってくださいましたよ』
雫は私を見上げて薄ら涙を浮かべた。
どうゆうことだ? と問うより早く、門をくぐった先で彼女に『ほら』とある場所へ視線を促された。
その光景に私は目を疑い全ての言葉を失った。
驚きと疲労感も相まって、情けなくその場へ崩れ落ちた。
雪音が消えて冬の術は解けたが、今はまだ初秋。
そうでなくともアレは枯れたはずなのに。
『ね、帰ってきているでしょう? 拓磨様』
私の背中をさすり、優しい微笑みを浮かべる雫。
私は耐えきれずに遂に大粒の涙を溢した。
――見事な満開の、庭の桜の狂い咲く姿に。
あぁ、華葉。
お前はここに還ってきたのか。
月明かりが桜と暁の墓標を淡く優しい光で包み込む。
『改めてお帰りなさいませ、拓磨様』
<お帰りなさい、拓磨様っ>
<おかえり、拓磨>
雫の声に、愛する皆の声が重なる。
「あぁ……ただいま、お前たち」
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主題歌
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八ヶ月後。
本来の冬を越え、暖かな風が吹く弥生の春。
雅章殿の辞任により、新たにその位についた陰陽頭・嘉納蒼士は寮で私の姿を探していた。肩には烏の姿の闇烏が乗っかっている。
「お前たち、拓磨を見なかったか? 今日は朝廷に参内の日ではないであろう」
広間に現れた陰陽連の長の姿に下級生たちは背筋を伸ばした。
「はっ! 魁守様でしたら、本日はご自宅へ帰られました」
「…………。っはぁあああ? 帰ったぁあッ!?」
麗らかな日差しの下、寮には蒼士の猿の如くの絶叫が響き渡ったという。
そんなこととは知る由もない私は、春を迎えて無事に再度咲き誇った桜を眺めていた。流石の生命力だ、この力を信じて残しておいて良かったと改めて思う。
華葉の気魂が桜として戻ったことで息を吹き返したと推測するが、それも元々持つ桜の力強い生気の賜あってに違いない。
桜の隣には新たに伊呂波紅葉の木を植えた。暁の墓標のすぐ近くで、秋に彼女のような茜色の紅葉が見られるように、と願ったものだ。
緩やかな風が緑色の葉と薄紅色の花を揺らし、何とも穏やかな光景である。
『拓磨様、茶が入りました! 早く花見を始めましょう!』
「……お前は花より団子だな、実。少しは桜を楽しまぬか」
桜と紅葉がある中島では、茣蓙が敷かれて宴が催されていた。新しく家族の一員として召喚した初の男の式神・実は、瀕死の状態であった栗鼠を救い迎え入れた。お調子者で失敗も多く、正直かなり手を焼いている。
そんな私たちのやりとりを見て、雫と遊びにきていた美月が笑い声を上げた。美月は母親の呪縛から解き放たれるために努力を重ね、今では外に出ることも許される身にまでなった。母が強ければ娘も強かろう。
『さて、では早速お花見を――』
「たぁ~~、くぅ~~、まぁ~~……」
和やかに宴を進行しようとする雫の声をかき消して、呪いのような声が庭に響いた。面倒くさい奴が来たと思いつつも、私は一応反応を示した。
「何だ蒼士、お前は呼んでおらぬぞ」
「貴様ぁッ、仕事を抜け出すとはどうゆうことだ!? 僕が陰陽頭を引き受けたのは、お前を怠けさせるためではないぞ!」
相変わらず頭から湯気が出そうな怒りっぷりである。蒼士の隣では闇烏が主を宥めており、彼の苦労も変わることなく続いているようだ。
そんな蒼士と闇烏の様子に、見かねた美月が助太刀に入った。
「まぁまぁ、折角のお花見なのですから。ご一緒に菓子でもいかがですか」
「ぬおぉ! たたた拓磨、こちらの愛らしい女子はどこの姫なのか……!?」
「……裳着前の娘に手を出すなよ、助平男が」
私の言葉に再び「なにおぅ!?」と怒り狂うのを放っておき、私は実が寄越した杯に口づけながら再度桜を見上げる。騒がしい宴の席とは対象的に、ただ静かにその花を揺らしている姿に目を奪われる。
華葉。私は今、魁守として内裏に出仕している。魁の資格は帝に再度停止願い、その存在を守る者として私が新たに設置した。五気術がもう二度と使われぬように、次の世代へこの意思を受け継がせる役目だ。
そうして魁守の責務を担いつつ、朝廷お付きの陰陽師として任務も続けている。相変わらず妖怪も出るが、あれは人の闇が生んだ存在だ。人が闇を抱えている限り、雪音や氷雨のような恨みを生み、新たな妖怪が誕生する。
私はそうした存在も一つずつ救っていきたい。
大丈夫、私はもう一人ではないから上手くやっていけるさ。
人は誰しも一人ではない。必ず己を見守ってくれる誰かがいる。
だがそれに気づくか気づかないかは、自分次第だと知ったから。
「結局、華葉は何者だったのだ」
私の隣に立ち蒼士がそう言った。実はこの男にはまだ華葉の詳細を話していない。まぁ、仕方ないからゆっくり話してやろう。お伽噺のような話でも、この男ならば理解するであろうから。
「私ももう一度、華葉に会いたいなぁ」
『拙者もお会いしてみたかったなぁ……』
美月と実の声に、私は振り返って答えた。
「華葉ならいるぞ、――いつもここに」
そういえば私はお前から歌を貰っていたのに、私は返してなかった。
歌など詠んだことはないが、お前のために一句、喜んで詠もう。
私からの最初で最後の文だ。受け取ってくれ、華葉。
―― たちかへり 春訪れど我忘れず 夢見草ならぬ 君なる華に ――
【第三幕 散舞 ~散れども終わらざりし時~ 下の巻・決戦編】
<妖かし桜が散るまでに・完>




