第六十九話 怒りの咆哮
雪音と氷雨を前回と同じ術で跳ね飛ばすと、私は二人の前に立ち見下ろした。全力ではなくとも濃化心力を相当に使った五気混合術は二人を討ち破るには十分だった。
後ろから片足を引きずる蒼士が私を追うも、崩れそうになり咄嗟に奴の腕を掴む。
「大丈夫か蒼士、よく耐えてくれた」
「ふん、これしきのこと……。しかし拓磨、何故お前は五気術を使えるのだ。火の気は封じられたというのに」
「五気術はな」と説明しようとしたが、それは叶わなかった。前方から物音がして視線を移すと、雪音が必死に体を起して私たちを睨みつけているのだ。
あの攻撃でまだ動けるとは、子供の体で何という忍耐強さだ。
「お前、まだ生きて――」
「待て、蒼士。……雪音、これ以上はもうよせ。大人しくしていれば、お前たちは無にせず浄化してやる」
優しくそう話しかけるが、雪音は奥歯を噛みしめて身を震わせた。
「黙れ人間っ、また麿らを愚弄するか! お前たちに麿らの何が分かる、ただ人知れず静かに暮らしておうただけなのに……!」
涙を湛えて癇癪する雪音の横で、憔悴して横たわる氷雨から雷に似た強い光が放たれると、その姿は小さな動物の姿へと変化した。
以太知……そうか、これがこの子らの元の姿。雷龍は妖術で人と動物を融合させていたのだ。
「あぁ氷雨。嫌じゃ、折角生まれ変わったのに。おのれ人間、断じて許さぬッ!」
「……雪音」
元に戻ってしまった弟の体を抱き上げ、雪音は泣き喚いた。この言動からしても彼女たちは以太知であった頃、人間から酷い仕打ちを受けたのであろう。この子らを生んだのは妖術でも雷龍でもなく、我々人間の過ちによるものである。
一歩間違えれば暁も雫も、こんな風に人を恨む妖怪へと変貌していたのだろうか。運命が紙一重で変わるのだとしたら、私はそういった存在も少しでも救い上げていきたい。
私は彼女に深々と頭を下げた。
「人間がすまない、私が詫びても仕方なかろう。お前たちのことは必ず供養する、だから今度は違う姿で生まれ変わってきておくれ」
「ふざけるな! 麿はもう騙されぬ、皆殺しにしてくれる。雷龍様、もう一度麿に力を――」
変わらずに抵抗する雪音を私は氷雨ごと抱きしめた。すると小さな体は驚くほどピタリと動きを止めた。
「本当にすまない、助けてやれなくて」
そして雪音は私の胸の中で、妖気が果てて以太知の姿に戻るまで、声を張り上げて泣きじゃくった。
私は腕の中に残った二匹の以太知を、寮の庭の一角に蒼士と共に埋葬した。雷龍を倒してから、必ず我々の手で丁寧に供養を施すと誓って。
雪音は力尽きたが、都には彼女の妖気を纏った雪がまだ残されていた。どうやら雷龍から力を与えられただけあって、彼女を倒しただけではこの妖術は消失しないらしい。追加の心力の循環生成は難しく、残った心力で何とかするしかない。
そもそも、そんな流暢な時間も残されてはいないがな。
「本当に行くのか、拓磨」
立ち上がり踵を返す私の背に、蒼士がそう声をかけた。
辺りでは入海殿や弦間殿たちが負傷した仲間を介抱している。雪音たちと戦った者以外にも生存者は何人かいたようだ。
私は蒼士の言葉に「あぁ」という短い返事をした。
「そうか……、一つ頼みがある。勝手なことを言うのは重々承知だが、父上のことは殺さないでくれ。こんなことをしておいて許されるはずもないが、それでも僕の大切な父上なのだ」
蒼士の願いに私は少しだけ振り向いて「分かった」と答えた。
そして一人、内裏へと歩み出す。
「拓磨っ、お前も絶対に死ぬなよ!」
薄暗闇に響くその声に、私は軽く手を上げた。
雪音たちを倒した後から発している胸の鈍痛に、気づかない振りをして。
◇
帝は清涼殿でも紫宸殿でもなく、何でもない小さな倉庫のような場所に、護衛の数人と震えながら潜んでいた。邪魔な周りの虫けらは排除し帝と二人きりになると、帝の前にしゃがんで顔をまじまじと覗き込んだ。
「夜分に大変失礼を仕ります、帝。お顔を拝見するのは初めてですな」
「何と惨いことを……、とち狂ったか雅章よ」
怯えながらそう口にした帝を、私は表情を崩すことなく顔の下半分を鷲づかみにして、床に叩き伏せた。そのまま己の顔を近寄せて、ゆっくりと問う。
「魁の任命式で拓磨に渡した巻物……あれは五行気の術を記したものでございますね。あれの秘密を当然、お上ならご存じでしょうな?」
五行気の巻物。魁以外の陰陽師が知ることを許されぬ秘術だ。どうゆうわけか、代々受け継がれるどの家系にもそれは伝わることなく今に至っている。それは魁停止の背景にも関係することであろう。
そして気になるのは暁が〝拓磨は五気術を使わない〟と言ったことだ。使えば間違いなく最強に値する術をあの子は使わないと宣言した。何か裏があるに違いない。
雷龍に取り込ませた力は、いずれ私が全て奪う。何か危険要素があるのであれば、自分の糧になる前に取り除いておかねば気色悪いではないか。
折角この世で最も偉大な支配者になれるのだぞ、僅かな欠落もあってはならぬ。
「誰が、お主のような堕落した者に」
「ほーう、左様でございますか。そんなに死に急ぎたいと」
私はすかさず護符を取り出し、呪詛陰陽術・泥土ノ傀儡を発動。これでは死なぬが、ただの人を脅すだけなら十分だ。
帝は地べたで暴れ回るものの、私が顔を強く押さえつけているために、それ以上の身動きは取れないでいた。傀儡が帝に群がり、悪臭の泥を彼の上へと汚く垂らす。
帝は固く瞳を閉じた。
「――分かった、話そう。だから手を……」
ようやく観念して帝がその言葉を口にした時、倉庫の外で激しい閃光が上がり、けたたましい爆発音を響かせた。雷龍が何かを攻撃している。驚いた私が飛び出すと、白砂の煙が巻き上がる向こうに一人の影が見えた。
月は雷龍が黒雲で隠してしまったため、稲妻の光だけが辺りを薄ら照らしている。煙が引き、中から姿を現したのは想定どおりの男だった。
『雪音と氷雨の気配が消えた。先ほど完成した雪音の術はまだ効いておるようだが、餓鬼どもはしくじったか』
「まぁ良い、我々がここで決着をつけましょうぞ……のう、拓磨よ」
彼の衣はすっかりボロキレである。急いでここまで来たのか息は上がり疲れが見えるというのに、その眼光だけは衰えることなく私を見据えていた。心力もまだ思いのほか残っているようだが、奴に五気術は使えまい。
奴の使わぬという宣言が偽りとしても、火の気のない状況では物理的に不可能だ。
「いい加減にしろ雅章殿、其方の狙いはこれであろう! 欲しければくれてやる、だからもう馬鹿な真似はよせ!」
拓磨は懐から取り出した書物を高く掲げてそう叫んだ。遠目で文字はよく見えぬが、恐らくあれは暁に奪うよう仕向けた尊の秘伝書であろう。
確かに私はそれを欲したが今はもう必要ない。私は分かりやすく肩をすくめて、小さく溜め息を吐いた。
「そんなもの、もうどうでも良い。私が欲しいのはお前だ、拓磨」
「……何?」
拓磨は眉を顰めて腕を引き下げた。
仕方ない、分からぬようなら特別に教えてやろう。私の狙いは何なのか。
「お前は私の目論みどおり、家族を守るために陰陽師としての地位と強さを求めた。尊のような莫大な心力を手に入れた上に、魁の資格まで手にしてな。私が望む力を拓磨自身の手で育て上げてくれたのだ」
それを聞いた拓磨は大きく目を見開いた。
そう、最初から全て私が仕組んだことだ。お前が暁や雫を守るために、陰陽師として存在し続けることを見越して。
拓磨がそのような考えに至るよう仕向けたのも私だ。父も母も失い、他者への信用をなくし、頼れる存在が己の式神だけになれば、それを守るためにお前は強くなろうとする。あとは全てを習得したお前ごと雷龍に取り入れさせば良い。
「……母上を殺したのは、其方か」
ポツリと言い放った言葉には覇気がなかった。
はて、つい数刻前に同じことを聞かれたな。
「まったく、華葉と同じことを聞きおって。そんな昔の話はもう忘れたわ」
最後に妖怪にトドメを刺させた、吉乃の顔が浮かぶ。
「惚けるな、暁を殺したのも其方であろう! その上、華葉まで……許さぬ、雅章ッ!」
怒り狂う拓磨にほくそ笑むと、彼は拳を強く握りしめた。おしゃべりはこれくらいにして、そろそろ片を付けるとしよう。
「さぁ雷龍殿、最後の獲物ですぞ。拓磨を取り込み更なる力を手に!」
『良かろう』
雷龍は頭の角の間に巨大な雷の玉を作り出した。華葉に移った妖気を取り戻したことで、尊を取り込んだ頃と同じ威力を感じる。
拓磨がどれだけ妙な心力を手にしようが、この雷龍の妖気に敵うはずがない。最初の一撃で全て終わるであろう。
『妖術、雷光玉!』
雷龍は声高らかに叫び、渾身の雷光玉を拓磨へと放った。
だが直後、内裏の空気が僅かに揺れた。
「――急々如律令、奔流の白楯」
拓磨は聞いたこともない術を発動すると、雷龍の攻撃を楯のようなもので防いで呆気なく霧散させたのだ。まさか、あれは五気混合術なのか。そんなはずはない、奴が使おうとしても火の気がないこの場所で五気術を使うなど……。
錯乱する私の頭上で、空に巨体を浮かせている雷龍が軽い脳味噌の頭で高揚した。
『おおおっ、素晴らしい。流石は魁の力! 早く我によこせ』
「阿呆、誰がくれてやるか」
そんな茶番劇を繰り広げながら、こちらの気も他所に雷龍は次の術に転じた。奴は雷光玉が効かないと分かると、初めて見せる術を展開する。
くそったれ、何故不思議に思わんのだ、この老いぼれ龍が……!
『妖術、百雷迅!』
「急々如律令、豊饒・網礫の棘……ッ!」
雷龍は雷を空一面に多発させ拓磨へと降り注いだ。それを読んだ上でか、拓磨は細かい石でできた棘を地に大量に突出させ、そこに全ての雷を分散し受け流す。攻撃に対する術を瞬時に、そして的確に判断している。
「急々如律令、神火簾!!」
畳みかけるように拓磨は空から滝のように流れる炎を雷龍に浴びせ、奴は断末魔のような悲鳴を上げた。完全に押されている、このままでは……。
私は予想だにしなかった展開にすっかり飲まれてしまっていた。
――拓磨が大量の血を吐き、膝を突くまでは。




