第六十三話 むかごのしおゆで
『……宴会?』
北対で探し物をしていた私の元に華葉がやってきた。普段は私があまり立ち入らない場所だから怪しまれると思ったけど、当の華葉は何も気にしていなかった。
危ない、危ない。これが雫だったら『こんなところで何をしているのです?』と質問攻めに合ったに違いない。
「あぁそうだ、拓磨が魁とかいう試験で最近はできなかったからな。本当は拓磨の昇格祝いにしようと思ったんだが……」
『それはお断りになるでしょうね』
そもそも関心のない魁を受けることになったのは、あなたのせいなんですけど?
――と喉元まで出かけた言葉を必死に飲み込んだ。
どうやら華葉は雫と「久しぶりに宴会がしたい」という話になったらしい。それで拓磨様に提案を持ちかけたところ、ただの宴会ならやっても良いとのお達しが出て、私にも話をしに来たのだとか。
確かに以前は庭の桜の下で花の有無に関係なく三人でよく花見を開いていた。そんなことを思い出すとまた、三人だけでひっそりと暮らしていた頃がまた懐かしくなり、目の前にいる小娘が疎ましく思える。
『別にいいんじゃない? 拓磨様も息抜きが必要でしょうし』
「本当か、良かった~」
私の廃れた気持ちとは裏腹に、華葉は嬉しそうに目を輝かせて喜んだ。こちらの気も知らないで呑気な彼女の様子にもの凄く腹が立った。
でも、もうすぐ雅章様がこの子から全てを取り戻してくださる。ここはもう少しの間だけ我慢だと決め込んで華葉から離れようとした。
『用は済んだでしょ。じゃあ私、見回りの時間だから』
「あ、待ってくれ。ならせめて暁の好きな食べ物を教えてくれ」
いつものように逃げる口実をつけて飛び立とうと勾欄(簀子を囲う柵)に足を掛けたものの、華葉に突拍子もないことを言われて私は思わず振り返った。
今頃になってそんなこと聞いて、どうするというの。
『何で急にそんなの知りたがるのよ』
「気づいたんだ。暁の帰りを待っていた時、拓磨も雫も心当たりのある場所を何カ所も挙げていたのに、私は何一つ言えなかった。私は暁の何も知らなかったのだ」
華葉はどこか寂しそうに目を伏せた。そして再び私を見つめた。
「雫とは一緒に留守番をするから話す機会も多いけど、暁とはあまり話してこなかった。私は暁のことも、もっともっと色々知りたい」
それを唖然として聞いている私の手を、華葉は少し強めに握った。見上げてくる琥珀の目から、視線が外せない自分がそこにいる。
「私は暁とも、もっと仲良くなりたいんだ。だから、もう何処にも行かないでくれ」
華葉がそう言った瞬間、私の中に何かが走り抜けた。じれったいような、歯痒いような、何とも言えない感情が渦を巻いて気持ちが悪い。
――そんなこと、今更言わないでよ。何でこんなに動揺するのよ。
『分かったから手を離して。見回りだって言ってるでしょ』
とりあえずそう口にすると、無意識だったのか華葉は慌てて私から手を離した。そして鳥の姿へ変わると、彼女を振り返らずに答えた。
『むかごのしおゆで』
「……へ?」
『だから、零余子の塩茹で。華葉が聞いたんでしょう?』
〝零余子〟はこれからの季節に採れる、山芋の葉の付け根に生えてくる肉芽である。山鳥だった頃から好んで食べていて、式神になった今でも秋を過ぎると収穫し、雫に茹でてもらっていた。
「あぁ、分かった。ありがとう、絶対に用意する!」
初めて聞くだろう単語に一瞬何のことか分からなかった華葉だけど、私の好物と分かると嬉しそうに笑った。
拓磨様の屋敷から飛び立った私は、陰陽寮に真っ直ぐと向かった。私がここへ来ることは誰もが見慣れており、もはや特別なことではない。だから堂々と正面から入ることができるというわけ。
『雅章様』
目的の人はいつもの如くに御頭の間で様々な文書に目を通していたけれど、私が来ることを分かっていたように、傍らに小さな文机が用意されていて、そこにはお菓子が並んでいた。
「やぁ、暁。来るのを待っていたよ。それで、どんな状況か?」
『申し訳ありません、例のものはまだ……。でも拓磨様は魁になろうとも、五気混合術を使うおつもりはないようです』
私がそう言うと雅章様は特に驚く様子もなく、柔らかな微笑みを浮かべて「そうか」と呟いた。
二日前のこと。私は道すがら出会った雅章様と、華葉から拓磨様を取り返すためにある約束を交わした。その後すぐに屋敷に戻るのは気が引けて、一日置いてからこっそり戻ったら、みんな私の為に必死に探してくれたみたいで少し罪悪感が湧いた。
拓磨様に抱きしめられた時は嬉しかったな。心配させれば私にも優しくしてくれるのだろうか。
華葉が私を見つけた時に北対にいたのは、雅章様との約束を果たすために、ある探し物をしていたから。
雫がそこで見つけたと言っていた〝安曇陰陽記〟――。雅章様は友である尊様が残したその著書にご興味があり、嘉納の今後のためにも参考までに拝読したいのだとか。
でも北対にはなかった。まだ雫が持っているか、拓磨様が管理しているのか。
「焦ることはない、暁。拓磨に知られたら怒られてしまうから、慎重にな」
『はい、分かっています』
秘伝書であるあの書物を雅章様に渡したらどうなるのか、そんなことは私にも分かっている。あれには安曇の陰陽に携わる歴史だけでなく、心力の相生循環生成のことも、魁の秘密のことも全て書かれている。
尊様が記したものだけど、いわゆる安曇家の財産となるものである。そこには曾御祖父様の代から受け継がれてきた意思が込められているのだ。
それを他人に、ましてや対抗勢力である嘉納家の手に渡すなど言語道断。
そんな危険なことを犯してまで、私は華葉を陥れたいのだろうか。
〝私は暁とも、もっと仲良くなりたいんだ〟
先ほどの華葉の言葉が頭から離れない。
別に、私は、あなたと仲良くなりたいだなんて……。
『近いうちに、必ず』
後ろめたい気持ちに蓋をして、私は雅章様に頭を下げた。
◇
暁と話ができた私は何だか少し彼女を知れた気がして、とても晴れやかな気分だった。彼女が屋敷を出ていってしまった時は不安で、もう会えないんじゃないかと思うと後悔が募った。
その話を雫にしたら『だったらもっと暁とお話なさいな』と助言してくれたのだ。確かに彼女の言うとおり、私は暁を怖がってあまり話をしてこなかった。だって近づくと睨まれている気がするし、さっきも最初はやっぱり少し怖かったし。
でも話してみたら無視されることもなく、きちんと私の問いにも答えてくれたし、気持ちも伝えることができた。怖がらずもっと積極的になって良いのだと分かった。
「雫ー、暁の好きなもの分かったぞ~」
台所を覗くと白い湯気で満ちていて、彼女は夕食の準備に取りかかっていた。
何だか私、雫のことが皆のお母さんに見えてきたな。
『零余子の塩茹で、ですわね?』
「……何だ、知ってたのか。意地悪だな」
まるで悪戯を仕掛けた子供のように雫は笑った。もしかして私が暁と話ができるように、雫はわざと機会を作ったのではないだろうか。
考えてみれば宴会をやろうと言いだしたのも雫からだ。それには拓磨の許可もいると言って私が聞きに行くことになったのだが、お陰で私は拓磨とも戦いの場以外で話すことができた。
「してやられたぞ、雫」
『あら、何のことですの?』
「何でもない」
小さく溜め息を吐きながら、私は苦笑いをした。
そう、何でもなかった。いつもどおり気軽に話しかければ、相手も答えてくれるのだ。恐らく雫はそう教えたかったのだろう。
〝お母さん〟は訂正だ、これからは〝策士〟と呼ぶかな。
しかし、私が話しだす前に拓磨には変なことを聞かれてしまった。拓磨が言うには私は、庭の黒焦げになってしまった桜の妖怪らしいのだ。そう言われても生憎、私の頭には何の記憶も残っていない。彼が言うのだから間違いはないと思うが。
〝お前は雷龍の妖気を得て生まれた、母上の桜の妖怪。……違うか?〟
そう口にした拓磨は、私に「そうだ」と言ってほしい目をしていた。拓磨はあの桜がまだ生きていると信じているから残している。私があの桜の妖怪であれば、私の中に生きていることになるだろう。
だけどそうなったら、拓磨は今後も〝私〟として接してくれるのか?
それとも拓磨にとって私は〝あの桜〟になるのか?
何となくそれは嫌だった。お前はお前だ、と言ってくれたのは拓磨じゃないか。
『華葉。それで今、暁はどうしてました?』
軽快に青い葉の野菜を刻む雫が話しかけているのに気づき、私は慌てて彼女の方を見た。手元の鍋には米が煮えていて、その隣では干物が香ばしく焼かれている。彼女の手際の良さには感服するばかりだ。
忙しい中でも雫が折角お膳立てしてくれたのに、私ばかりが不満を口にするわけにはいかないよな。
「あぁ。何か探し物をしていたようだけど、また見回りに行ったぞ。大丈夫、ちゃんと帰ってくるって言ってたから心配するな」
『えぇ、心配はしていないですけど……探し物? 何かしら』
首を傾げる雫に、「さぁ?」と言って彼女の動作を真似た。
本人に聞いても怒られそうだしな……あ、こうゆうのが駄目なのか。ちゃんと聞いてみれば良かったな。
「じゃあ、私は部屋で字の練習してるな」
『お待ちになって、探し物ってどちらでですの?』
手を止めて問いかけてくる雫に、特に違和感もなく私は素直に答えた。
「北の部屋、拓磨のお母さんの部屋だ」
そこで雫の顔が少し曇ったのが気になったけど、私はそのまま台所を後にした。




