◇番外◇ 憧れの陰陽師
その日、夏の暑さも峠を越えた陰陽寮では、三人の仲の良い同僚たちが意気消沈して廂に転がっていた。彼らは魁試験に果敢に挑戦したものの、一人また一人と撃沈し、二次試験を突破する者はいなかったのである。
何より、出場しないと聞いていた安曇拓磨の想定外の参加は、彼らのみならず多くの受験者たちの出鼻をくじいた。
「あぁ……とは申しても、私も見たかったなぁ。拓磨殿の勇姿」
「是周よ、お前は拓磨殿と同じ組であったのであろう?」
「そうであるが気がついた時には、もう全て終わっておったわ」
そう言って陰陽師の一人、弦間是周は一次試験の出来事を同僚たちに話した。
拓磨の登場に気が動転したものの、気合いを入れて試験に臨んだこと。雅章の出した小鬼の式神が思ったより怖かったこと。そして陰仕様の結界壁に驚いて、何もできなかったこと。
最後は気づいたら、拓磨が新たに出した式神に拘束されていたこと。
「私は拘束されたことにも気づかなんだ。何か体動かないなぁー、くらいで」
「良いではないか、まだ。私なぞ蒼士殿と同じ組だったのであるぞ?」
自分の不出来さに落ち込む是周に対し、別の陰陽師が呆れ顔で答えた。
彼は大原奨惟である。
「あの時の蒼士殿、随分と気が荒れておってのう。砂爆塵で結界壁を破壊したのだぞ。それも大したものだが、正に地獄絵図であった」
「ははは、それは災難であったなぁ」
「笑いごとなものか。伝馬は平和で羨ましいわ、一次試験も突破しておるし。まぁお前は時々、妖怪討伐も行っておるくらいだし、感性が違うか」
自分の悲劇を面白がる同僚に、奨惟は仏頂面で言い返した。三人でせめて一次試験は突破しようと意気込んだものの、それを達成したのは彼、入海伝馬のみだったのである。この結果は監督兼進行役を務めた雅章さえも驚かせたのだ。
この三人は、何を隠そう試験を受けるひと月ほど前、寮で任務までの時間を潰していた際、偶然にも怪我で療養を続けていた拓磨に遭遇した者たちだ。
御頭の間に向かおうとしていた拓磨を捕まえて、五感を鍛える鍛錬を教わったばかりか、彼に自分たちの術を見てもらい、助言を請うたのである。
この時はまだ拓磨も魁試験を受けるつもりはなかったため、当然彼らにもそんな宣言をすることはなかった。
最も、拓磨が試験を受けると考えを改める最初の要因となったのは、彼らの「魁の試験は帝の御前ではないか。内裏に入るだけでも息が詰まりそうだ」という発言だったのだが、そんなこと彼らが知る由もなく。
まさか、自分たちの他愛ない会話が拓磨を試験に招いたとは、夢にも思うまい。
「とは言え、拓磨殿に教えてもらった鍛錬は、とても有効だったな。あの時に伝馬が拓磨殿に声をかけてくれたお陰だぞ」
「是周の言うとおりだ。しかし私は部屋で今も続けておるぞ?」
「あぁ、私もだ。其方ら、白粥をあんなに美味と思ったことあるか? 今まで味覚まで気にしておらぬかった自分を、恨んでさえおる」
目を閉じて粥の旨さを語る伝馬に、是周と奨惟は若干引いていた。
どうやら二人は、その域までにはまだ達していないようである。
「それにしても、何故あの方はもっと陰陽寮に顔をお出しにならぬのか。もっと色々教えてくだされば良いのになぁ」
「お人嫌いと聞いていたが、そうでもなさそうな印象だったよな?」
伝馬の言葉に是周が同調すると、噂好きの奨惟が少し声を潜めて言った。
「拓磨殿が人嫌いになったのは、幼き頃に母君がお亡くなりになったからのようぞ。何でも……何者かに殺されたのだとか」
「誠か? それは」
是周の聞き返しに、奨惟は黙って頷いた。
幼子にその凄惨な光景は、嫌でも目に焼き付いたであろう。
父親が陰陽頭であったこともあり、当時安曇の屋敷には多くの検非違使たちも待機していたはずだが、何故か忽然と姿を消していた。助けを呼んでも誰も姿を現さず、頼みの綱である父親の姿もそこにはなかった。
その父親も、最近になって大妖怪・雷龍に取り込まれていたと発覚している。
拓磨は父親を含む他の全ての者を恨んだ。元々人との関わりを苦手としていたが、その性格に余計に拍車がかかったのだ。
結果彼は人に対して心を閉ざし、召喚した式神だけを信用し、ただ彼女たちを維持するために陰陽師を続け、ひっそりと暮らすようになった。
「幼いながらに、ずっと一人で過ごしてきたのか。お辛かったであろうに」
ぽつりと是周が呟くと、彼らはしばらく静まり返った。
その静寂を破ったのは奨惟だった。
「なぁ……。もしこの先、拓磨殿が陰陽連を率いてくださるなら、付いていくか?」
それは決して有り得ない話ではなかった。陰陽連の中で今、最も力のある陰陽師は拓磨であると誰もが理解している。中には陰陽頭である雅章よりも、彼の方が上手であると思っている者もいるだろう。
だが二人はそれに即答することができなかった。何故なら彼らの家系は、嘉納家より陰陽の技を継承した弟子の家系なのだ。
今の陰陽頭が嘉納家の者だからこそ、部下として仕えている面もある。
「それがなければ、喜んでお仕えするのだがな……」
伝馬は遠くに目をやり、自分たちではどうにもできない上下の関係に悲観した。
それほどに拓磨は彼らにとって尊敬し、憧れに値する陰陽師なのである。
本人も知らぬところで、こんなに慕われているなど思いもしないだろう。
自分の疑問がこんなに空気を重苦しくしてしまうと思っていなかった奨惟は、慌てて立ち上がり彼らの前に出ると、別の提案を持ちかけた。
「なぁ、久しぶりに皆で五感鍛錬をせぬか? 今、我らができることは腕をもっと磨くことだ。拓磨殿や蒼士殿ばかりに負担をかけるわけにはゆかぬからな!」
「……そうだな。こうしている間にもあの方たちは上へと昇っていくのだ。少しでも追いつかねばな」
「よーし! ならば言い出しっぺの奨惟からぞ。伝馬、手ぬぐいを持って参れ」
三人は再び笑顔になると、意欲的に鍛錬を始めた。
拓磨が変わり始めた影響は、後輩たちにも良い刺激として与えているようだ。
そしてその九日後、都に巨大な妖気が降り注ぎ、季節は冬へと一変したのである。




