第五十五話 魁選抜・二次試験
拓磨様が一次試験を突破した。
内裏の桜を調べるだけなら、紫宸殿の目の前にあるのだから門をくぐった瞬間に判明できるはず。だから一次の試験すら受かる必要はない。
それにも関わらず拓磨様は見る者を魅了する技を披露し、文句なしに合格を遂げた。魁の資格など必要ないと仰ったのに。安曇の者としてもその存在を許すわけにはいかないと懸念していたのに。
〝どうして〟――そんな疑問など、考えなくともすぐ分かる。
全ては華葉のため。
正体を解き明かすも然り。加えてあの蒼士様が華葉を娶らんとしているらしく、あの方はそれを許したくないのだ。
華葉のためならば、何でもするの?
華葉のためならば、戦ってくださるの?
拓磨様、華葉のことをどう思っているの?
『……私のほうが、ずっとずっと好きなのに。どうして華葉なのですか?』
ただの式神であることが、こんなに辛いと思う日が来るだなんて。
◇
休日を二日挟んだ後、二次試験は三日間に分けて行われる。
今回も試験内容は明かされず、全員当日に知らされることになっていた。
内容はさて置き、一次を終えてから私がこの試験に参加したことは、寮内であっという間に広がった。中には「だったら最初から受験などしなかった」などと落胆した者もいたそうだ。
何となく雅章殿が公表しなかった訳が分かった。恐らくは部下の士気を下げたくなかったのであろう。だからと言って私のせいだと言われる筋合いはないが。
蒼士の耳にも入ったことだろうが、今のところ奴からは何の音沙汰もない。それどころか妖怪・狒々との一件で宣戦布告を受けてから、奴とは顔すら合わせていない。
いわゆる対抗勢力となる相手なのだから、仲睦まじくというのも変な話であろう。元より奴とは仲が良いと思ったことなど一度としてない。
二次試験の受験者の組み合わせはクジで決められた。今回は対戦するわけでもなく、一日に二人ずつ審査をするだけらしい。
結果、私は初日の一人目。蒼士は最終日の二人目と決まった。私が先陣を切り蒼士で締めくくるとは、何とも見応えある展開だ。
というわけで私は二次試験の受験に来たのだが、今日は暁の姿が隣にはない。例によってまた部屋に閉じこもって出て来なかったのだ。どうやら「魁には興味がない」と言っていた私が一次試験を通過したことで拗ねてしまったらしい。
仕方なく今朝より一人で紫宸殿に出仕したが、最近の暁はふて腐れることが多発しており、気にはなっているところだ。
確かに〝魁〟自体には今も何の興味もない。
だが、それでも私は進まねばならぬのだ。
魁を封じた祖父上たちのためにも。
そして――。
「では、魁選抜の二次試験を開始する。一人目、安曇拓磨は前へ」
一次試験の時と同じように門の向こうから声がかかり、私は中へと足を進めた。向かって正面に紫宸殿があり、その手前の左側に橘の木、そして右側に桜の木が植えられている。あれが華葉の桜ではないことは調査済みだ。
今回はこの広い庭の中に、私一人だけが立たされている。進行兼監督の雅章殿は少し離れた場所にいた。
この広い白砂の庭園を使って何かをやらせようという内容だろうか。
「二次試験では其方の気の察知力と、心力量を見せてもらう。魁たるもの、いかなる気の扱いにも長けていることが重要であり、かと言ってすぐに心力が尽きてもらっても困るからな。この二つは日頃の修行の成果が見て取れるとも言えよう」
雅章殿はそう言いながら苦笑を浮かべた。陰陽師であれば相手の心力量は手に取るように分かるため、雅章殿にしてみればこれは〝試すまでもない〟試験なのだ。
だが魁は帝に認めてもらわなければ認定できない。つまり帝が見てもその威力が分かるように示さなければならないのである。
帝が陰陽師ならば、こんな面倒な試験は不要なのだろうな。
「今から其方には五芒結星を発動してもらう。そしてそれを限界まで持続させるだけで良い」
まるで〝お前には他愛もないだろう?〟とでも言いたげに雅章殿は肩をすくめた。
他愛ないも何も、私はそれを雷龍と対峙した後に修行として取り入れた時がある。あの時はまだ心力の循環生成を知る前であったから、華葉の力を借りていた。
五行の気の全てを把握しなければならない、五芒結星。
確かに心力の消費も格段に多く、長時間持続するには相当の量を要するもの。これなら陰陽を心得ていない帝のような者たちにも、その力を分かりやすく認識することができるだろう。
「承知した、ならば早速始めよう」
そう返事をすると、私は軽く目を閉じた。
新緑の映える木々の気にて、一の点・青木を成す。
足元に広がる大地の気にて、二の点・黄土を成す。
空気中から感じる水の気にて、三の点・黒水を成す。
炊事場から流れくる燃ゆる炎の気にて、四の点・赤火を成す。
土の中にひっそりと佇む金の気にて、五の点・白金を成す。
いついかなる時も我々を支えてくれる、世を構成する五行の気。
その全ての力を拝借し、五芒星の点を形成する。
五行点、掌握。
「急々如律令、五芒結星」
赤白い光をまとい、真昼の地上に輝く星が浮かび上がった。
◇
帰宅すると雫が朝食(十時頃に食べる食事)を用意してくれていた。雫と華葉は既に済ませた後らしく私一人で摂ることになった。
感覚を使う試験を終えたばかりだからか、膳に並べられた米や魚から漂う芳しい匂いにいつも以上に誘われ、〝いただきます〟と手を合わせ私は料理に手をつけた。
「暁はまだ部屋に籠もっているのか?」
食べながら傍で茶を淹れている雫に声をかけると、彼女は頬を膨らませた。
『えぇ。いい加減あの子には、大人になることを躾なければなりませんわね』
どうやらここ連日の暁のふて腐れに、雫もご立腹のようである。
暁は兎も角として、ここ数日は華葉ともあまり顔を合わせていない。あのことがあってから気まずいのか、避けられている気がしなくもない。かく言う私も、どんな顔をしたら良いのか分からぬのが正直なところだ。
『私もお伺いしたいことがございますわ』
「何だ?」
蒸かした芋に味噌をかけたものを口にしながら、雫の問いに答えた。すると彼女は先ほどと打って変わり真剣な眼差しで私を見つめるのだ。
『拓磨様、魁の試験をお受けになっておられるのでは?』
その言葉に、私の手は完全に止った。
彼女はそれを知らないはずなのだ。
「何故そう思う」
『何となくです。一度妖怪討伐に出られてから、なかなか帰ってこられない日も多かったので。手強い相手なら分かりますが、連日そんな妖怪が出るとも思えませんわ』
なるほど、〝妖怪討伐〟と偽って出かけたのが仇となるとは、想定外であった。
そう思い苦笑を溢しながら私は膳に箸を置いた。
「雫には敵わぬな。……それで、失望したか? お前に〝魁は危険〟と止められていたにも関わらず、悪いとは思っている」
外に出ることを拒否していた雫が、魁の試験が始まると聞き決死の思いで忠告に来てくれたのに、私はその勇気を無下にしたのだ。彼女を怒らせても当然だと思う。
しかし雫は眉を下げて微笑むと、首を横に振った。
『拓磨様がなさることに無用なことなどないと、私は信じております。きっと魁の存在を止める以上に、拓磨様にとって重要なことがあるのでしょうから』
そう言って雫は一礼すると、空になった急須を盆に載せて部屋の奥へと入っていった。一人になり、私は無言で再び食事を口にし始める。
〝拓磨様にとって重要なことがあるのでしょうから〟
……重要、そう言われれば否定はしない。
理由の一つは魁の資格を乱用させないこと。合格した者を丸め込む方法もあるが、自分がなった方が手っ取り早い。要は私が魁となり、その資格を使わなければ良いのだ。それならば祖父上たちの決死の思いを守ることもできる。
何ならもう一度、魁の権限を使って停止することもできよう。その先を考えるのは魁の資格を手にしてからだ。
そしてもう一つ、蒼士の勝手な約束事を阻止するためでもある。奴は本気で華葉に惚れたと言うのか? 事実あの男は彼女に恋文を送りつけていた。
しかし奴は何故か華葉を巫女だと思い込んでおり、その力を得ようとしている可能性も今のところ否定できない。
だが本当の問題は華葉自身にある。
蒼士の宣告を受けたあの日、帰って華葉の部屋に押し入った時のことだ。
華葉が隠れて文を受け取ったことに何故か激昂し、気づくと彼女を組み敷いていた。困惑する華葉に〝正室とは何か分かっているのか?〟と問い詰めると、案の定彼女は何も知らなかった。妖怪にそんな文化などあるわけがない。
<正室とは男が婚姻関係を結んだ女性のことだ。これを結ぶことで他人であった二人は内縁者と認められ、別れない限りは一生を共に過ごすのだ>
それから〝蒼士と一生添い遂げる仲になりたいのか?〟と問うつもりだった。しかしそれは口にできなかった。
それを聞いた華葉の動きが、時が止ったようにピタリと固まったのだ。
<……のか?>
震える声で、彼女は私を見上げた。
<人ならば、その婚姻を結べるのか? 正室になれば、その相手とずっと一緒にいられるのか?>
そう必死に涙ながらに訴える姿に、何も言えなくなってしまった。
そして彼女はこう言った。
<それなら拓磨、私は人間になりたい>
卑しい妖怪など辞めて、人になりたい、と。
人になりたいと願うほど、蒼士の正室になりたいのか。
何だそれは。お前は、私の傍では不満なのか。
他の者になど渡すものか。お前は私の傍にいればそれで良いのだ。
あんな男の正室になるくらいなら、いっそ……。
すまないな、暁。
桜の確認も重要だったが、私にも魁になる必要ができたのだ。
――二次試験も首尾よく通過した。次はいよいよ、最終試験だ。




