第五十三話 魁選抜・一次試験〔中〕
寮の修行庭で一人、全身の意識を集中させ直立する男の姿があった。対面する先には五体の簡易式神が横一列に並んでいる。
すぐ傍の木には一羽の烏が止まっており、その様子を見守っていた。
「嘉納式陰陽術……、金剣山ッ!!」
瞬刻、簡易式神たちの足元から黄金に輝く多くの剣が突き出でて、全ての式神を八つ裂きにして消し去ってしまった。
しかし男は満足するわけでもなく、ただ淡々と夜明け一番の光を浴びながら、静かに天を仰いだ。僅かに細めたその瞳には、過去に類を見ない炎が宿っている。
「……行くぞ、闇烏」
主である男の一声に、見守っていた烏が黒装束の人の姿に変化すると、片膝を付いて一礼し彼の後を追った。
◇
魁選抜、一次試験二日目。
今日もまた五名二組の受験生がこの紫宸殿に訪れており、陰陽頭の私も朝から朝廷に出仕していた。
昨日の受験生たちへの丁寧な忠告の甲斐あって、試験内容を漏らす不届き者はいなかったようだ。一組目の五名は昨日同様、予定していた制限時間よりも早々に結界の外で待機する式神が全滅し、あっという間に全員不合格に終わった。
昨日から同じ場面しか見させられていないせいか、御簾の向こうにあられる帝の表情は伺えぬが、幹部たちは退屈そうな顔をしていた。
まだ二日目だというのに。大体、これは試験だ。演芸のような豪快な捌きを期待されても困るのだが。
ただ今日は次の組では、彼らが待ち焦がれたものが見れるかも知れぬ。
「次、二組目。入場せよ」
落胆する一組目と入れ替えに、まだ志も高らかな五名が入場した。
その中にはよく見慣れた姿がある。
(ほう……。随分心力を上げたではないか、蒼士)
我が息子の嘉納蒼士は、それはまるで鬼の形相をしていた。
そこには〝絶対に受かる〟という彼の決意が読み取れる。
蒼士が〝巫女〟と完全に勘違いしている華葉を「正室に迎える」と言っていたのは強ち冗談ではないようで、どうやらあの子は魁を勝ち取り拓磨から奪うと彼に宣言をしたそうだ。
随分想定していた範囲を超える展開になっているが、わざわざ雑魚妖怪を蒼士の任務地に仕向けた甲斐はあったわけだ。面白くなればそれでよい。
それからの蒼士は一心不乱であった。屋敷に帰ることなく、上級生側の寮の一室を無理矢理空けさせて住み込み、昼夜問わず時間が空けば修行に明け暮れていた。そんなわけで私はここ最近あの子とあまり顔を合わせていない。
親として心配になり時折声をかけたが「まだ足りません」と独り言のようにブツブツ反復するのみで、私の声は全く届いていなかった。度が過ぎる追い込みであるが、ああなっては手が付けられないのは私が一番良く分かっている。
更に拓磨が療養の最終日に部下たちに教えていた、五感鍛錬法も聞き出して取り入れたらしい。好敵手の情報だろうが、必要なことは全て取り入れていた。
根詰めて身体に鞭を打った成果は出ている。
久しぶりにあった息子の心力は、明らかに最後に会った時よりも増していた。
(この短期間での成果としては申し分ないだろう。逆に言えば、この短期間ではどんなに頑張ってもこれが限界……。やはり、それ以上に心力を上げている尊や拓磨たちには、安曇に伝わる何かがあると見て間違いないな)
そう思いながら私はこれまでどおり、蒼士含む受験生らを五角形状に整列させた。
「一次試験は精神力の審査だ。全員、簡易式神を一体出現させよ」
私の指示に従い、彼らは様々な形の式神を出現させる。何人かは「精神力」と聞いて動揺を見せるが、蒼士は鬼の形相のまま顔色一つ変えなかった。
そして進行の説明を終え、小鬼の式神を作ると、第四組目の試験を開始した。
受験生たちが構えに入ったところで、例によって陰仕様の結界壁を発生させる。
ここまでは、通常どおりであった。
違いはすぐに現象として表れた。
この結界壁には通常必要とする心力のおよそ三倍の力をかけている。――にも関わらず、まるで生き物のように伸縮しているのが見て分かるのだ。
私がかける心力以上の力で中から押されている。……何が起こっているのか?
「おい、大丈夫なのか。これは……」
見守っていた幹部の誰かがそう口にした瞬間、結界壁に亀裂が入ったのを察知したため、私は直感的に周囲を常用結界壁で保護した。傍観者たちに被害が及ばないためである。
そして間もなく、受験者たちの簡易式神は一体を残し、消滅。
更に亀裂が寸秒の差で破裂した。
結界壁を押し上げ姿を現したのは、荒れ狂う巨大な砂嵐だった。
見れば分かる、これは我が嘉納家系術。
――砂爆塵、である。
「……勘弁してくれよ、蒼士。お前の本気は分かったが」
誰も他の子を殺して良いとは言っておらぬぞ。と、悪魔のようにうねる砂嵐を見上げながら私は思わず呟いた。
否、恐らく死んではいない。帝の御前で殺生するほど、あの子は愚かではないだろう。しかし一人として微動だにせず、早急に手当をせねばなるまい。
術を発生させた当の本人は、所定の位置から一歩も動くことなく、氷の表情で直立しているままなのであった。
◇
「雫、歌を見てくれないか?」
晡時の刻(十六時頃)。
拓磨と暁が討伐任務で留守の中、私は自らしたためた文を師匠である雫へと差し出した。拓磨が療養から戻って以来、私は滅多にこの屋敷から出してはもらえない。
理由の一つは雅章という男に正体が知られているということ。
そしてもう一つは、私が蒼士に目を付けられているということだ。
人間の世界には〝婚姻〟という契約のようなものが存在するらしい。そして先日、それをした二人は生涯を共に過ごすことができると知った。
それ以来、ずっと分からなかった〝恋愛〟というものを理解するために書物という書物を読み漁ったものだ。時間は余るほどあったしな。
『もう私が見ずとも、華葉は素敵な歌を書けていますわよ』
「いいから、見て欲しいんだ。これを読んだらどう思う?」
ワガママを言う私に、雫は苦笑しながらも差し出した文を受け取り、開いた。
――君がため 命はあたらしからねど 長く共にあらばや 許さるる限り――
(お前の為ならば命など惜しくない。だが今は、許される限り長く共にありたい)
そう長くもない文であるにも関わらず、雫はそれにゆっくりと時間をかけて目を通していた。そして目を閉じると、文を元の折り目に沿って丁寧に畳み、そっと胸に寄せたのだ。
『華葉は、この文をお渡しするお相手のことが、とても好きなのですわね』
誰が、とは彼女は言わない。
私が文を渡す相手など、後にも先にもたった一人しかいない。文というものの存在を知ってから雫に教えを請い、彼に渡すためだけに日々練習を重ねてきたのだ。
それに気づいたあの日から、私の心の中はあの人でずっと満たされている。
私が妖怪である限り、決して結ばれることはないけれど。
「喜んでくれると思うか?」
『えぇ、勿論。華葉の深い気持ちが込められておりますもの』
柔らかく微笑むと雫は文を私へと返した。
私はそれに満足し、部屋へと戻る。自分でもこれは良く書けたと思う出来なのだ。
これを読んだ時の彼はどんな表情をするのか、と思いながら、私は板間の上に行儀悪くもゴロンと寝転がった。すると目線の先に、あの日私の上に覆い被さった彼の顔が浮かんだ。
蒼士から文を受け取ったことが知られてしまった日だ。面倒になるからと雫に言われて隠しておいたが、本人に聞いたのか彼は屋敷へ帰ってくるなり問い詰めてきた。
あの文の意味をまだ理解していなかった私に、彼は言った。
〝蒼士はお前を正室に迎えたいと言っているのだ〟
そして正室の意味を知り、私は彼に言ってしまった。
これは何でも話せる雫にもまだ話せていない。
自分でもなんて愚かなことを口走ってしまったと思う。
〝人ならば、その婚姻を結べるのか? 正室になれば、その相手とずっと一緒にいられるのか? ……それなら拓磨、私は――〟
そんなこと、いくら陰陽師とてできるわけないのに。
――人間になりたい、と願うだなんて。愚かすぎて、吐き気がする。




