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妖かし桜が散るまでに  ~人嫌いの陰陽師と、人を愛した妖怪  作者: 貴良 一葉
第三幕 散舞 ~散れども終わらざりし時~ 上の巻 ー魁争奪編ー
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第五十話  拓磨の帰還

 寮を出た拓磨たくま様は大路をものすごい速さで歩き、屋敷へと向かっている。

 私が呼び止める声にも答えてもらえず、すれ違う人は何事かと皆振り返っていた。


『待ってください、拓磨様! 急に試験を受けるってどうゆうことですか!? もしかして帝にさきがけの解禁を止めるよう説得するおつもりですか』

「いくら帝の御前とて口を聞くことはできまい。安心しろ、魁になるつもりはない」


 ようやく返事をしてくれたけど、我が主はその歩みを止めることはない。

 試験に受かる気がないのなら、拓磨様は本気で挑むつもりはないのだろう。でもそれこそ帝の御前で手を抜くなど不当行為だ。拓磨様の腕は朝廷でも評判なのに。


 どんな試験をするのかは知らないけど、拓磨様が下級の陰陽師に負けるはずなど有り得ないのだから。


〝伏せっても仕方なかろう。それより内裏に潜入する方法を考えねば〟


 必死に背中を追い続けながら、ふと以前に拓磨様が口にした言葉が蘇った。

 ――まさか。


『まさか、華葉かようのためですか? 内裏の桜を調べるためですか!?』

「……試験を受けることは、雫と華葉には絶対に話すな。命令だ、暁」


 それを聞いた私は思わず足を止めてしまった。やっぱりそうだ、拓磨様は華葉のためなら危険すら顧みないんだ。

 そんなにあの子が大切ですか? そんなに妖怪のあの子がお好きなのですか?


 あれほど近かったあなたの背中が、今は果てしなく遠く感じる。

 こんなにも大路に並ぶ桜の葉の青さを……疎ましく思ったことは、ない。




 おかしい。あんなに魁には興味ないと言っていたのに、何故急に試験を受けると言い出したのか。何とか手を使って受けさせるつもりでいたにしろ、あまりに突然な心変わりに戸惑っている自分がいる。

 当の本人・拓磨はそれ以上を語ることなく足早に屋敷へと帰ってしまった。


 拓磨の中にやむを得ない事情ができた、としか考えようがない。

 何だそれは。何が彼を突き動かした。


 あの強情な、あの子を。


 気になり始めたらとても気分が落ち着かず、私はたまらず御頭おかしらの間を出た。都は今日も朝から相変わらず静かである。雷龍らいりゅうは約束どおり、妖怪の強化を抑えてくれているようだが……奴のことだ、どこで裏切ってくるか分からない。

 暴れ出す前に魁だけは決めておきたいが、拓磨が何を考えているのかは気になる。そう言えばあの子、やけに魁の解禁の経緯を気にしていたな。まるで解禁を拒絶しているようではないか。


 もしやあの子は魁の資格停止の詳細を知っているのでは。

 それは私でも知らぬ、帝のみぞ知る機密事項である。()()構わず解禁させたがな。


 ならばそれを阻止するために参加を? しかしそうならば、わざわざ試験を受ける必要はない。あの子が大切なのは己の家族のみである。他人のために面倒事に自ら首を突っ込むようなお人好しではないのだ。


「う~む、分からぬ……」


 独り言を呟きながら渡殿わたどのを歩き、広間へ入った。

 するとそこでは、三人の寮生が何やら楽しそうに盛り上がっていた。よく見れば一人が目隠しをしていて、残り二人が彼を支えるように声をかけている。


 ……任務がないからといって、遊んでいる場合か。


「お前たち、何をしておる」


 喉まで出かけた小言を押さえて、とりあえず声をかけてみる。

 すると目隠ししている者は取り外し、彼らは慌てて私の前に整列した。


「これは失礼しました、雅章まさあき様。実はですね、先ほど拓磨殿に指南いただきまして、教わった鍛錬を実践していたのです」


 どうやら遊んでいたわけではないらしい。小言を言わずに良かった。

 しかし拓磨が指南とは、どういった風の吹き回しか。これも試験のことと何か関係があるのだろうか。


「ほう、どんな鍛錬だ?」

「はい。五感の鍛錬にございます。最も情報量の多い視覚を絶ち、他の感覚のみで補う訓練です。これがなかなか難しく、我ら三人でやっても歩行もできないので、一人ずつ行うことにいたしました」


 柱に小指をぶつけるのです! と笑いながら話す三人につられ、私も笑い声を上げた。なるほど、あの子はそんなことをして五感を磨いてきたのか。確かに視覚を塞げば歩くだけでも困難になる。それを行うには他の感覚をより鋭く研ぎ澄まさねばならないだろう。

 意外と初心を忘れずに鍛錬しているではないか。我が弟子ながら思わず感心してしまった。しかし、よもやそれだけであんな心力しんりょくを生んだとは言うまい。


「面白いな。他に拓磨とはどのような話をしたのだ?」


 この流れで私は彼らから更なる情報を聞き出すことにした。もしかしたら何か手がかりが掴めるかもしれないからである。


「我らの術を見ていただきました上、一人一人に助言までくださったのです」

「いやはや拓磨殿を前に手が震えました。あのお方は別格な感じがします故に」

「それで〝魁試験では帝の御前〟だと思いましたら、始まってもいないのに更に緊張してしまいまして! 我らは内裏に立ち入っただけで泡を吹くやも知れませぬ」


 そう言って彼らはまた大口を開けて楽しそうに笑った。

 この会話の中で引っかかるのは、当然〝魁試験では帝の御前〟の部分になる。仮にあの子が魁解禁を阻止したいのだとすると、試験で帝の前に出て直談判でもする気なのだろうか。……否。流石に拓磨とて、その場で帝と会話などできぬことくらいは知っておろう。それに当日に申し出たところで効果はない。


 しかし気がかりがあるとすれば〝魁試験では帝の御前〟以外は特にない。彼が下級生の術を見ることは珍しいが、それが呼び水となり魁になろうとは思わぬだろう。

 帝の御前……、内裏……。内裏に入りたいのか? それで何をする気だ。


「ありがとう。修行に熱意があるのは感心だが、任務に遅れるでないぞ」

「おぉおっ! よもや太陽があのような位置に……!?」


 私の一言で彼らは慌てて立ち上がると、騒々しく外へ飛び出していった。やはり任務のことなど頭から抜けていたようだ。呆れて無意識に口から小さな溜め息が出る。

 貴族たちの生活は全て占いで成り立っており、その任務が絶えることはない。だから妖怪は現れずとも誰しもが何かの任務に当たっている。


 ――其方そなたを除いてな、拓磨。

 どれ、少しだけ掻き回してみよう。


「簡易式神、召喚」


 瞬間、掌に乗せた人形ひとかたを青白い火玉が包み、烏に姿を変えた。簡易的なこの式神には意思などない。造作ない使いを頼むには打ってつけである。


「雷龍に伝えよ。並の妖怪を都に解き放て、と。数は任せる。場所は……」


 式神は私の命を聞くと、素早く空の彼方へと飛び立っていった。




『お帰りなさいませ、拓磨様。お待ち申し上げておりましたわ』

「あぁ、留守中すまなかったな。雫」


 七日ぶりに拓磨がこの屋敷に戻ってきた。この日をどんなに待ちわびたか分からない。雫は急用で一度会いに行っているが、私は負傷した拓磨が運ばれてから一度も顔を合わせていない。

 暁の姿はないようで雫が尋ねると「見回りに行くと言っていた」と答えていた。今朝は拓磨が帰ってくると嬉しそうだったのに一緒ではないのか。


 蒼士そうしに変なことを言われてから、私とてどれだけ拓磨に会いたかったか。

 ……それなのに。


『何をしているの、華葉? そんな隅っこに居ないで、きちんとお迎えなさい』


 雫にそう声をかけられて小さく返事をし渋々立ち上がるが、歩く間も顔を上げることができなかった。

 あんなに会いたかった人物が目の前にいる。それなのに何故、私は拓磨の顔を見ることができないのか。何故こんなにも気まずい気持ちになるのだ。


「よ、良く戻ったな拓磨。お前が無事で何よりだ」

「あの時お前が和邇ワニを倒してくれたからだ、礼を言う。その後は何も問題ないであろうな? 雅章殿が何かしてきたとか」


 こちらの気を他所に拓磨はいつもどおり話しかけてくる。私もそうすれば良いのに、分かっているのに、何故かそれができない。

 今、拓磨の顔を見たら、自分の顔から火が出そうな気がして仕方がない。


「おい、華葉。聞いているのか?」

「き、聞いておるぞ! 雅章であろう? あの男からは何もないから安心しろっ」


 何の気もなしに拓磨の問いに答えたが、ある言葉に彼は敏感に引っかかった。


「……あの男から、()?」


 変わらず顔は見れないでいるのに、拓磨の表情が一瞬で曇ったのが分かる。蒼士のことが頭にあるからか、わざわざ匂わすような物言いをしてしまった。

 しかし敏感だったのは拓磨だけではなかった。雫が私の様子を察知し、咄嗟に助け船を出してくれたのだ。


『陰陽寮の方々がっ、心配して二日ほど様子を見に来てくださっていたのですわ。拓磨様の結界がありますから問題はありませんが、雅章様がお気遣いくださったのでしょう』


 それを聞いた拓磨はとりあえず「そうか」と納得してくれた。更に彼女は機転を利かせて拓磨に湯浴みをするように提案したのである。湯殿ゆどのという部屋にある小さな浴槽に湯を張って身体にかけ流し垢を落とす、人間の一つの習慣らしい。長らく横になっていた(であろう)拓磨には好適だ。


 やはり雫はできる女子おなご

 軽く睨みつける彼女に、私は両手を合わせて無言で詫びを入れるのだった。


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