第四十九話 助言
ようやく医師から帰宅の許可が下り、今日から私は自分の屋敷に戻ることになった。平癒殿にいる間、他の誰も療養に来ることもなく貸し切り状態であったのは、私が人嫌いであるが故の雅章殿による配慮もあるが、怪我人が出るような事態が起きないほど都は静かということだ。
討伐班は商売あがったりだろう。前に蒼士が言っていたとおり、私のように妖怪討伐任務だけ請け負っているわけではないから、無収入ではないと思うが。
いつものようにこっそり屋敷に帰ろうとしたが、ふと泣きべそをかく雅章殿の間抜け顔が脳裏に浮かんでしまった。警戒すべき相手とは言え、介抱してもらった上に回復まで面倒を見てもらったのだ。
いくら私とて礼を言わずに去るのは気が引けるもので。
仕方なく暁に案内を頼み、雅章殿がいる御頭の間へと向かうことにした。
初めて歩く寮の内部は、残る者が少ないとあって非常に静かであった。
住居の屋敷と違いコの字型の造りで、手前が陰陽師たちが一堂に会する〝広間〟だと暁が説明した。ここで彼らは任務まで待機をしたり占いなどを行ったりしている。
そして寮という名のとおり、その両端には細かく襖で仕切られた建屋が並んでおり、生活場所として使われている。
平癒殿は門に近い場所に広間から渡殿で結んで配置しており、御頭の間は池を挟んだ反対側に同じように建っている。つまり雅章殿に会うには、一度広間を通過しなくてはならない。
暁の後ろに続いて広間の簀子を歩いていると、廂の一角で三人が腰掛けているのが見えた。恐らく心力生成に励んでいるのだろう。
爽やかな風が吹き抜けて気持ちよさそうである。そう思い遠目から眺めていると私の気配に気づいたのか、その内の一人と目が合った。彼は視界に飛び込んだ意外な人物に、目を丸くして驚いた。
しまった、と後悔したところでもう遅い。
「あ……、安曇拓磨殿!」
男の叫び声に残り二人の陰陽師が一斉にこちらを向いた。
雅章殿には会うが、ここで他の者と顔を合わすつもりは毛頭なかったのに。
「誠に拓磨殿か!? 私は初めてお目にかかるぞ」
「阿呆。感じるであろう、あのお方の膨大な心力を。雅章様以上にこんな心力を持つなど、拓磨殿以外に誰がいるのか」
捲し立てられている私を心配そうに暁が見ているが、無視と決め込むわけにもいかない。一応でも彼らは仲間なのだ。
しかし何を話せば良いのかも分からない。言葉に迷っているうちに彼らはあっという間に私の前に集まってしまい、最初に私を見つけた男が口を開いた。
「拓磨殿、ご無事で何よりです。覚えておらぬかも知れませんが、自分も共に和邇討伐を遂行していた者です。最後までお力になれず申し訳ありませぬ」
そう言って男は深く頭を下げた。言われてみれば、どことなく見覚えのある顔だ。
力になれずも何も、あの時この者たちは(恐らく)雅章殿が張った結界壁に身動きを封じられたのだ。何もできなくて当然だ。
結果的に彼らに華葉の正体を知られず済んだのは、不本意にも感謝すべきか。
「面を上げてくれ。私こそ其方らに礼を申すことができなかった。あれは其方らが援護してくれたお陰で勝てたのだ」
「そんな、我らは何も。拓磨殿の式神がいなければ、心力切れで何もできぬところであった。あなたは何故そんなに心力を有しているのか?」
陰陽師であるならば相手の持つ心力量を察することができる。確かに私が今有する心力は、彼らのおよそ十倍以上はあるだろう。
だがそれは父上が開発した〝相生循環生成〟の成果にすぎない。掻い摘まんで取り入れてしまったばかりに、私の最大心力も意図せずかなり増えてしまった。雫の話を聞いてからは控えている。
この方法を彼らに教えるわけにもいかず、当たり障りのないことを言うしかない。
「いや、特別なことは何も。改めて五感を鍛えることはやったな」
それは視覚を封じた感覚鍛錬である。五感の中で最も情報量の多い視界を塞ぎ、残った感覚でそれを補う訓練だ。実際それで他の感覚が研ぎ澄まされたのだから、嘘は言っていない。
五感を鍛えるのも、心力の最大値を上げる立派な修行の一つである。
「なるほど、視界を塞ぐのですね。是非我らもやってみよう」
男は嬉しそうに頷いた。
雑談はこれくらいにしてそろそろ御頭の間へ、と思うのだが彼らはなかなか解放しようとせず、それどころかとんでもない提案をしだした。
「なぁ、折角拓磨殿がいらしているのだ。我らの力を見てもらってはどうか」
「それは良い! 魁の試験も近いことだしな」
「拓磨殿、いかがでございますか?」
期待の眼差しが私を見つめている。
いかがも何も、正直ものすごく面倒くさい。
「いや、私はそうゆうのは……」
「拓磨殿ぉ~、そこを何とか!」
懸命に断るのだが、子供のように三人揃って正座し手を摺り合わせるので、ついに私は折れてしまったのである。
雅章殿に会うだけのはずが予想外の騒ぎになってきた。
やはりいつものように、こっそり帰るべきだったな……。
広間と寮で囲んだコの字の内側は、修行の場として使用できるかなり広い庭が整備されていた。多少術を使い暴れても申し分ない大きさである。
そこに三人が間隔を空けて並び構えるのを、私は簀子に腰掛けて眺めていた。向こう側には小さな的が用意されている。
「弦間式陰陽術、水禍砲!」
「大原式陰陽術、緑葉の舞!」
「入海式陰陽術、乱白砂!」
ほぼ同時に術を発動し、全ての術が見事に的を撃ち抜いた。戦闘中は他の家系術をまじまじと見る余裕などないため、改めて眺めると関心が持てる。
彼らは術を上手く操っているものの、それぞれに問題点も見受けられた。
「まず、弦間殿は少々気の感じ取りが鈍いように思われる。水の気は池のみにあらず、空気中にも存在しているのに取り込む量が足りていない。もっと五感を研ぎ澄まさねば」
「畏まりました」
「大原殿は術の発動時、心力の波動に乱れが見られる。だから術を繰り出すのが一歩遅れるのだ。もっと気に意識を集中されよ」
「はっ」
「入海殿は気の取り込みも心力の扱いも、手慣れているように感じる。だがこれは三人に言えることだが、常用で取り込む気を水・木・土に頼りすぎてはおらぬか?」
「う……、それは火と金を扱えと申しますか?」
丁寧に三人に助言をしたところで、最後に修行生に見られがちな弱点を突くと案の定、三人とも渋い顔をした。恐らく彼らはそこそこ経験を重ねている陰陽師であろうが、そんな者たちにもこの指摘には大体引っかかるのだ。
昔、父上が指導していた時に屋敷でよく母上にそう愚痴をこぼしていた。
「五行全てを扱えて、ようやく一人前の陰陽師だと思うがな」
「しかし金はなかなかに感じ取りにくく、疲れてしまうので、つい」
まったく、魁は五行を扱える特権資格だというのに、よくそれで受けようと思ったな。……まぁ、五行混合術を扱ってもらっては困るのだがな。
思わず口から小さな溜め息が出た。いい加減そろそろ切り上げたい。
「そのためにも、三人ともやはり先ほどの五感鍛錬を十分行うことだな」
そう締めくくると、彼らは揃って「はい!」と威勢の良い返事をした。
返事だけは良いようだな……、雅章殿もご苦労なことだ。
「されど拓磨殿の前で陰陽術とは緊張したな!」
「私は手が震えたぞ!!」
本音か建前かは知らぬが、そう言い合う彼らを尻目に私は簀子から立ち上がり、暁に「行くぞ」と告げた。これで雅章殿に会い、ようやく帰れる。
そう思っていたのだが、次の言葉を聞き私は思わずその足を止めた。
「だが、魁の試験は帝の御前ではないか。内裏に入るだけでも息が詰まりそうだ」
……内裏に入る、だと?
確かに魁の就任には帝の承認が必要だ。だから試験は帝自身の前で行われるのだ。
魁の試験を受ければ、下級の我々でも内裏に入ることができるのか。
『……拓磨様? 参らないのですか?』
暁に促されて私は再び歩みを進めたが、私の頭の中はあの三人の会話の内容でいっぱいである。
無論、内裏に入りたいがためだけに、魁の試験に首を突っ込むのは無謀だ。第一その資格は私には必要ないものだ。それに魁の存在を封じた祖父上たちに申し訳も立たないだろう。安曇の人間として私はその存在を許すわけにはいかないのである。
いかないのだ、が。
〝私は何故妖怪なのだ……ッ〟
雨とも涙とも分からぬ滴に濡れる、華葉の表情が脳裏をかすめる。
内裏に入り、桜の気を読む。それだけでもできれば。
『雅章様、拓磨様をお連れしました』
「ん? おぉ、暁か。拓磨もよく来てくれた、入りたまえ」
いつの間にか御頭の間まで到着し、御簾越しに雅章殿の入室の承諾を聞くとその中へと足を進めた。そこは陰陽頭のために用意された部屋で、通常の屋敷の寝殿とほぼ同じ造りをしている。
笑顔で我々を出迎えた雅章殿を前に、私は黙り込んだままだった。
「どうした、拓磨。まだどこか調子悪いのか?」
「……雅章殿」
首を傾げながらこちらの表情を伺う男の前に立ち、静かに腰をかけて真正面から見据えた。何事かと彼は軽く肩を跳ね上げている。
「魁の試験、私も申し込みいたします」
想定外の申し出に雅章殿は勿論、暁も目を見開いて驚いていた。昨日の今日で意思の転換に無理もないだろう。自分でも何を言っているのかと思う。
しかしこの機を逃すわけにはいかない。
魁試験は受けるだけ。要は受からなければいいのだ。
静寂の中に、どこからか蝉の声が響き始めていた。
※下記にて陰陽寮の簡略図を掲載いたします。
なんちゃって平安知識の筆者が一生懸命書きました。
多分、現実的に有り得ないと思いますがイメージはこんな感じです。
薄茶の部分は通路(簀子)ですが、吹きさらしではなく屋根はここまであります。




