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妖かし桜が散るまでに  ~人嫌いの陰陽師と、人を愛した妖怪  作者: 貴良 一葉
第三幕 散舞 ~散れども終わらざりし時~ 上の巻 ー魁争奪編ー
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第四十五話 矢も盾もたまらず

拓磨たくま様、おはようございます! お身体はいかがですか?』


 夏の太陽に負けない明るい声が平癒殿へいゆでんに響き渡る。大きく膨らんだ風呂敷を抱えて、いつもより少し遅めの昼前に暁が飛び込んできた。


「ご苦労だな、暁。私は問題ない、そっちはどうだ?」

『はい、お屋敷の方も大丈夫です。拓磨様の超強力結界もありますしね』


 私の問いに答えながら、暁は抱えていた風呂敷を軽々と下ろした。見た目に反して重量はそんなにない荷物である。縛っていた風呂敷の口を開くと、中からは青々とした大量の葉が溢れ出てきた。


「思っていた量の倍以上はあるな……」

『それもそうですよ。都中の桜の葉っぱを集めてきましたからね』


 これはある目的のために、私が昨晩彼女に頼んだものである。

 大量で時間はかかりそうだが、時間を持て余しているのだから丁度良い。療養中といえ傷は完治に向かっており、私自身は元気なのだ。


『本当にこれ、全部調べるんですか?』

「やるしかないだろう。これも華葉かようの正体を知るためだ」


 信じられないとでも言いたげな暁を尻目に、私は大量の葉を前にして腰掛けると、その一枚一枚を手に取って葉から流れる〝気〟に集中した。


 華葉の正体を知る。これはきっと彼女のためにもなるだろう。


 本人にも告げたように、華葉の由来は〝桜〟であることはほぼ間違いない。彼女が扱う桜妖術は正に桜の開花過程を辿るものであるし、何より彼女からは常に桜の香りが漂っている。それに気づいたのは五感鍛錬を行った後からであるが。

 式神に元の媒体となる体があるように、妖怪にもそれに変貌する媒体があるはずである。華葉が桜の妖怪であるならば、元になる桜があるのではと私は考えたのだ。


 それを探るには実に地道な方法を取るしかない。


『途方もないですよ、全部の桜の〝気〟を辿るなんて。拓磨様ヘンチキ』

「……お前。私が主であること、ちゃんと分かっているだろうな?」


 暁の言葉に肩を落としつつも、淡々と作業を続けた。


 華葉の気は覚えている。穏やかで、心地の良い波長だ。あの気と同じ波長を持つものが、彼女の由来となった桜であると考えて間違いないだろう。

 今は葉だけだが、どの桜のものかは術を使えば分かることだ。そしてその桜を調べれば、彼女について何かが分かるかもしれない。


『ところで、昨日の件はどうするおつもりですか?』


 黙々と葉に集中する私を眺め、暁は退屈に思ったのか昨日の話を始めた。

 それは言わずもがな、さきがけの解禁を阻止せよという雫の忠告である。


「当然、懸念すべきであろう。だが私には帝に謁見を申し出る権限はない」


 帝に会えるのは上流貴族の極々一部の人間だ。どれだけ陰陽師として活躍していようが、我々は所詮下等の貴族である。そんな力は持ち合わせていない。

 確かに雫の話は想像を絶していた。彼女がいち早く私に伝えたかったことと納得できる内容であるのは否定しないが、無理なものは無理なのだ。


 かと言って雅章まさあき殿に提言するのは、立場的にも個人的にも絶対に嫌である。

 絶 対 に、だ。……そもそも魁を解禁しろと言い出したのは、あの男だしな。


『帝も魁の危険性はご承知なのに、何で解禁しちゃうんですか?』

「さぁな。敢えて〝停止〟としたことが仇となるとは、御祖父上も思っていまい」


 そう、彼らが魁を〝廃止〟ではなく〝停止〟としたのには訳があった。

 父上の日記には、その後の経緯が書き残されている。


 曾祖父・環喜たまきの死後、祖父・助規たすきの懇願により、歴代の陰陽師たちが編み出した五気混合術は、全て一つの巻物にまとめられて朝廷に厳重に保管されている。それを開けるのは魁のみの特権である。

 環喜が全ての陰陽師から五気混合術の記憶を消し去ったことで、その術は誰にも伝承されず今日までに至っている。


 だが彼らの頭の中には五気混合術の()()()残されていた。だからこそ彼らは〝使えないこと〟の苦しみを帝に訴えた。そして度重なる議論の末、攻撃術ではない「五芒結星ごぼうけっせい」のみが解放されたのである。

 念のためこの術を解放する際は、巻物を祭壇に供えて五行の気の神々を祀り、祈祷を上げたそうだ。


 魁を廃止としたならば巻物の持ち主が空白となり、その所有権で再び内紛が起こることになりかねない。しかし停止であれば、魁の存在自体は法的に残されているのだ。よって巻物の所有権は未だ魁にあり、他の者は誰も開くことはできない。


 この巻物の存在を帝以外に知っている者がいるかは分からぬが、知っていれば誰もが手に入れたいと思うであろうな。


「五気混合術をぞんざいに扱えば術者の命を奪い、自然の摂理を破壊すると、上皇によって帝にもきちんと伝承されている。それを解禁すると決断したということは、余程雷龍(らいりゅう)の力を恐れているか、あるいは……」


 既に帝が何者かによって操られているか、だ。


 そうでなければ、魁の命を犠牲にして都を守ろうとしていることになる。

 とは言え、一人の命と何千・何万人の命のどちらか選べと言われば、間違いなく後者を選ぶであろう。どのみち雷龍と戦う限り、天変地異は避けられないしな。


「こうなったら魁に決まった者を封じるしかあるまい。幸いこの試験は蒼士そうしも受けると言っているようだし、そうなれば奴が勝ち取るのは目に見えている。奴なら話が通じないほどの阿呆ではないだろう」


 最悪、奴ならば犠牲になってもらっても……やめよう。流石に呪われる。


 こうして話をしている間も、着々と葉の気を丁寧に探り進めていた。桜は花見でも人気な樹木であり、大路だけでなく貴族たちの屋敷など、他の木よりも多く都中に植えられている。その全てを集めたのだから、ざっと見ても葉は五百枚以上はあるが、まだその十分の一しか調べられていない。

 この葉のいずれかに、華葉と同じ気を持つものがあれば良いのだが……なかった場合はまたフリダシだ。


『拓磨様は……どうして華葉にそこまで執着するんですか』


 ポツリと暁が呟く声がした。先ほどまで魁について興味津々で話していたのに、急に面白くなさそうな顔をしている。

 この感情の起伏は私にはよく分からない。これは暁の性格の問題なのか。


「執着しているつもりはないのだが。誰でも不安であろう、自分が何者か分からぬというのは。私は彼女にやましい存在ではないと、少しでも安心してほしいだけだ」

『でも、華葉の正体が分かったからって、妖怪であることは変わりませんよ』


 暁の言葉に手が止まる。

 痛いところを突かれたような、そんな気分だった。


「私が妖怪である華葉を傍に置くのは、やはり間違いだと思うか?」

『違います、そんなつもりじゃ……! ただあまりにも華葉にばかりお優しいので、私は――』


 言葉を詰まらせ俯き、暁は膝の上で袴を強く握った。


『拓磨様が華葉に取られるのではないかと、不安でたまらないのです』


 再び見上げてくるその目は今にも泣き出しそうで、頬を朱に染めて彼女はそう訴えた。不安にさせているのは分かったが、その考えは一体どこから湧き出るのか。

 私は誰のものでもなく、ただ皆が楽しく共に暮らせればそれで良いのに。


 ……困った、どう返答したら良いのだ。

 そんな気持ちが顔に出てしまったのか、暁は照れを隠すように突然笑い始めた。


『や、やだぁ。冗談ですよ、じょ・う・だ・ん! 拓磨様が葉っぱに夢中なので意地悪したくなっただけです』


 慌ただしくその場を立ち上がると、彼女は姿を山鳥に変えた。


「待て、暁。どこへ行く?」

『見回りです。直ぐに戻りますので、ご心配なさらずに!』


 そう言い残すと、私が呼び止めるのにも構わず彼女は飛び立ってしまった。眩しいくらいの晴天の青の中に、ポツリと浮かぶ赤い点を呆然を見つめる。

 ここで「そうか冗談か」と納得するほど私は不器用者ではない。彼女は咄嗟に本心を押し殺して、私に気を使わせぬよう取り繕ったのだ。式神にそんなことをさせるとは情けない。


 しかし、分からぬものは分からぬのだ。

 暁が何を思っているのか。彼女は私にどうしてほしいのか。


 手に取った青い葉を見つめながら、小さく溜め息をつく。

 考えても仕方がない、今はやるべきことをやろう。そう自分に言い聞かせて再び気に集中するも、雑念が入り思うように上手くいかない。


〝でも、華葉の正体が分かったからって、妖怪であることは変わりませんよ〟


 確かにお前の言うとおりだ、暁。正体が分かったとて彼女は妖怪だ。

 これは私の自己満足かもしれない。華葉はそれを望んでいないのかもしれない。


 それでも私は、ただ。


<なぁ拓磨、答えてくれ。私は何故妖怪なのだ……ッ>


 あの日の震える声で訴える彼女の姿が、脳裏から離れずにいる。いつもは物怖じもせず男勝りで無邪気で、艶麗えんれいに妖術を使いこなす彼女が、悲しみに耐えかねて感情を爆発させた。

 あんな結末を迎えてしまったのは私の責任でもあり、だからこそ彼女が前向きになれる何かを見つけてやりたい。


 薄紅色の花のような、柔らかな笑顔。

 ――そう、私はただ、華葉のそんな姿が見たいのだ。


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