第四十三話 雷龍殿の妖怪生産
内裏の中はやはり、空気がひと味違うように感じる。身体に流れ込む気は清涼で神聖さがあり、深く呼吸をすればそれだけで落ち着く。
日も落ち始めたこともあり、昼間に比べれば心地よい風が吹き抜けている。
雅章殿を追い出したものの寝ているだけでは飽きるため、悲鳴を上げる肩に気合いを入れて体を起した。そしてその場で心力の相生循環収集の真っ最中である。これだけならば必要以上に動くこともなく、傷に響くこともない。
心力を作らなければ、消費するばかりでいずれ尽きてしまうしな。それに高めれば傷の治りも早いのである。陰陽師とは便利な体だ。
目を閉じて耳に集中していると、様々な音が強調して聞こえる。
そうでなくとも暁の羽ばたく音は通常でもよく分かるものだ。
「早かったな、あかつ――」
廂に降り立ったのは、山鳥から姿を変えた暁だけではなかった。
共に横に立つ自らのもう一人の式神の姿に、私はすこぶる目を疑った。
「雫……!? 暁、何故彼女を」
『無理を言って私が連れさせたのです、拓磨様。お元気そうで何よりですわ』
山鳥姿の暁の足に掴まり、雫は頭深くまで衣を被ってここまで来たようだ。式神は大した重量もないから不可能なことではない。
驚いたのは彼女が外に出たいと申し出たことであり、それは大変珍しいことだった。故に何か緊急な事態であることはすぐに分かった。
「何かあったのか」
『はい、直接お話した方が良いかと思いまして。……できれば内密で』
雫の言葉には〝誰にも聞かれたくない〟という意思が込められていた。
それを汲み取った私は、まず人形を一枚取り出して簡易的な式神を作り出した。人形に心力を纏わせ、人間の形を成すのだ。実体はなく口も聞けぬが、命令には従順である。
そして出入り口付近に暁、反対側の庭に面する簀子に男児の姿の式神を配置して見張らせ、他人に聞かれぬよう指示をした。更に念には念を入れ、常用結界で周囲を固める。
「これで良いか」
『助かりますわ。拓磨様がお帰りになってからお話しようと思っておりましたが……魁の位が解禁されたと聞きまして』
雫は私の目の前に腰を下ろすと、神妙な面持ちでそう切り出した。
魁について? あぁ、暁は蒼士の話を聞いていたのか。それを話したのだろう。
私は受けぬと言ったが、何か問題があるのだろうか。
『拓磨様、その存在は危険ですわ。すぐに停止するよう帝へお申し付けください』
「……何だと?」
私は更に身を乗り出して、雫の話に耳を傾けた。
◇
拓磨と話した翌朝、私は久々に雷龍の元へ足を運んだ。山の奥地にある洞窟の一角である。
洞窟内は吐き気のしそうな悪臭で漂っていた。それもそうだ、人や動物の死体があちらこちらに散らばっている。一応断っておくが奴が戯れで殺したのではない。
「ほう、作業は滞りないようですな」
悪臭を気にすることもなく、私は奴の体で窮屈な洞窟の奥へと足を進めた。
と言っても、体がすっぽり収まる程のかなり広い場所である。元々あったものを私が無理矢理に拡張したのだがな。
『久しいな、雅章。そう言うお主こそ進んでいるのであろうな?』
「勿論ですとも。ただ予定外な事態が起こりましてな」
足元に描かれた五芒星に死体を数体転がしながら、雷龍は小さく唸った。
『ナントカという位は解禁させたのであろう? お主がなるのではないのか』
「魁のことですかな? それは想定どおり、やはり私には不可能でございました。陰陽頭は重要な役割である故、更に魁の資格を与えては職務に支障が出ると」
そう。魁の解禁が決まった時、真っ先に私も試験の参加に名乗り出たのだ。
私とて陰陽師の端くれ。以前から耳にしていたその称号は喉から手が出るほど欲しいものだった。しかしそれは恐らく叶わぬであろう、ということは予測済みだ。
ならば我々の計画に利用し、喜んで譲れば良い。
大した問題ではない、と思っていた。
「……拓磨が試験を受けぬと申した」
『何? ならばどうする、お主のせがれを魁にするのか』
確かに、このままいけば蒼士がその座を手にするだろう。実績は関係ないと言えど、心力・実力・成績から見ても他の陰陽師が敵うとは思えぬ。
それは拓磨にも言えることで、受ければ間違いなくあの子に決まるはずだった。だが彼の性格からすれば、称号などに興味はないと考えれば分かったことだ。私は少々思い上がっていた。
勿論、嘉納家の当主である立場からすれば、蒼士が手にすれば名誉なこと。嘉納の一族で陰陽頭と魁の両方を独占するわけなのだから。
しかし、この計画では拓磨が取ってくれなくては、意味がない。
今更引き下がれない。折角、其方がここまで強くなってくれたのだ。
其方の心力は会う度に大きくなっているではないか。父・尊に次ぐあれだけの心力を作るには、安曇家に伝わる何かがあるのだろう?
「う~ん、どうしましょうかねぇ」
『おい、貴様が言い出したことだぞ。何とかしろ』
雷龍は少しでも頭に血が昇ると私のことを〝貴様〟と呼ぶ。気にしていないわけではないが、今はそれで機嫌を損ねる時ではない。
こやつとは組んでいるが、こやつにとって私は利用するだけの道具なのである。……だがそれは私にも同じことだ。今は我慢、我慢。
「えぇ、まぁ。上手くやりますとも」
まだ何にも考えておらぬが。
『ところで例の妖怪はどうなった』
死体を並べ終えた雷龍は、五芒星に雷の威力を送り始めた。言わずもがな、この五芒星を記したのは私である。
煌々と光る様を見届けた後、死体は皆真っ黒に焦げてしまった。
残念ながら失敗。
「あぁ、其方が負けた小娘のことですか」
『喧嘩を売っておるなら買うぞ、雅章』
青筋を立てる雷龍に「冗談に決まっておりましょう」と返した。
少しくらい嫌味を言っても良かろうに、洒落の通じない奴め。
雷龍が最後に拓磨と対峙した一戦。トドメを刺したのは拓磨の陰陽術であるが、それを援護した者がいた。雷龍は幻影であったから無傷だが、直接受けていれば重傷を負っていただろう。
敗北に憤慨するあまり奴はすっかりそのことを忘れていたが、冷静になってようやく思い出し、私に言ってきたのは「拓磨の新しい式神が術を使う」という噂を耳にした少し後だった。
この龍は歳もそこそこ重ねているから、物忘れも仕方ない。
……口が裂けても言えぬがな。
「不思議な術を使う妖怪です。先日ようやく本人を目にしましたが、彼女の妖力は予想以上でしたよ」
下手をすれば雷龍が力を与えた白狼・和邇をも凌ぐ妖気。しかしそれは大きさに似つかわしくない、穏やかな波長であった。そして何より、美しい。
あんな妖怪どこから生まれたのか。どこで拓磨は出会ったのか。
『くっ……思い出すだけで腹が立つわ』
「落ち着きなされ。今は正体を探るために、泳がせているのですから」
五芒星から黒焦げの死体を取っ払い、新しく別の死体をこれまた数体並べると雷龍は再度、雷の威力を込めた。今度も焦げ付いた臭いが充満するが、煙の中に揺らめく一つの影を確認した。
どうやら一体は成功のようだ。成功の瞬間は私も初めて見た。
「素晴らしいですな雷龍殿。新たな刺客の誕生、しかと見届けましたぞ」
『まったく、こんなこと良く思いつく輩よ。我よりも妖怪……いや、悪鬼だな』
「はっは、お止めくだされ。私は純真無垢な陰陽頭ですぞ」
何が純真無垢だ、自分で言ってて吐き気がする。
清らかな心だけでは何も手に入らぬのだ。
何も。
霞の中から現れたのは、人の体に扇のような角の鹿の頭を持つ奇妙な妖怪であった。また半端なものが出来上がったようだが、徐々に完成度が高くなっている。
これでも十分当てにはなるだろう、と思っていると、新たに生まれた妖怪から強い風の気を感じた。
ふむ、今度は風使いですか。また面白いものが見れそうだ。しかしここから季節は陽の気が増す夏の絶頂期を迎える。我々陰陽師の間では妖怪の活動が弱体化するとされている季節だ。
私の心力を込めた五芒星で、人・動物・雷龍の妖力を融合して作る妖怪たちに陽の気など恐るるに足らぬが、これから大事な試験が始まる。あまり掻き乱されるのも困るところ。
『案ずるな、新生はまだ使いもんにならん。久々に成功したのだ、じっくり調教してからお披露目してやる』
「さすが、良くお分かりで助かります」
それまではどうにか其方にも試験に参加してもらわなければ。
のう、拓磨よ。もっともっと精進して、私を高揚させておくれ。




