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妖かし桜が散るまでに  ~人嫌いの陰陽師と、人を愛した妖怪  作者: 貴良 一葉
第三幕 散舞 ~散れども終わらざりし時~ 上の巻 ー魁争奪編ー
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第四十二話 〝唯一の存在〟の解禁

 美しい、桜の夢を見る。

 満開の花を惜しみなく雪のように散らし、瑠璃色の天へ吸い込まれていく。


〝芽吹いた葉で陽の光を浴び養分を蓄え、凍てつく冬を耐え生きる。そしてまた再び花を咲かせる。桜にはその可憐な見た目とは裏腹に、凄まじい生命力があるのですよ〟


 耳に残る、遠く懐かしき愛する人の声に、目を閉じる。

 その生命力に憧れ、花を愛で、葉を愛で、紅葉と雪化粧を愛で、そうして庭の桜と共に過ごしてきた。


 でもあなたの桜は、もうないのです。

 あなたも桜も、もう、死んだのです。


<いいえ、死んではいません。決して、死にはしません>


 はっと瞼を開くと、花吹雪の中に一人佇む女性を見た。

 栗色の絹髪に薄紅色のうちぎ姿で、無邪気に小さな花びらと戯れている。


 振り返り私を呼ぶ君は、琥珀色の瞳を細めて、笑った。




「――ま、拓磨たくまよ。聞こえておるのか?」


 心地よく温かな空間から呼び戻したのは、可愛らしさの欠片もない男の声であった。人の顔を真正面から覗き込んでいる相手は、正直に言えば今一番会いたくない人物だった。


雅章まさあき殿……」

「おぉ、良かった。目覚めたというのは誠であったか。難儀だったな」


 暁が屋敷に戻った後、どうやら眠っていたらしい。

 私の様子を見た雅章殿は安堵したように溜め息を吐いた。


「私を治療してくれたそうで。礼を申す」


 推測といえど不信感を持っている相手であるが、この男は師でもあり上官でもある。助けてもらった礼を言わないわけにはいかない。

 雅章殿はその言葉を聞くと柔らかく微笑んだ。この裏で何か企んでいるのかと思うと、とんでもなく恐ろしい。


「気にすることはない、可愛い弟子ではないか。其方そなたが死んでしまっては陰陽連は大打撃ぞ。それに私が毎日泣いて暮らせねばならぬ」

「はいはい、それはどーも」


 一瞬にして、恐ろしいと思っている自分が阿呆臭く思えた。


「それで何用だ。任務の命令であれば断るぞ、私はまだ動けぬ」

「冷たいな、私がそんな意地悪を申したことあるか? 其方には安静にしていてもらうさ。しかし、きちんと意思表明は聞いておかなければな」


 気だるく思い私は正午の明るい屋外の方に目をやっていたが、〝意思表明〟という言葉に再び雅章殿に視線を戻した。

 何の意思のことを言っているのか? もし華葉かようのことであれば何と返す?


 無意識に私は息を飲んだ。


「何の話だ」

「おや、蒼士そうしから聞いていないのか? あの子が〝拓磨に宣戦布告してやりました!〟と意気揚々と言っていたから、てっきりそうだと思ったが」


 そう言えば暁が発つ前に、蒼士が来て何か言っていたな。

 全く興味がなくて何も聞いていなかったが。


 私が「知らぬ」と端的に返事をすると、雅章殿は悟ったように苦笑し、改めて座り直して少し興奮気味に話を始めた。


「陰陽第一者の位、さきがけの選抜試験が始まるのだ」

「魁……? 何だそれは、初めて聞く」

「あぁ、蒼士も知らなかったが其方もか。だがその存在は聞いたことあるはずだ」


 陰陽第一者の位、魁。

 それは〝陰陽を司る唯一の者に与えられる称号〟であると雅章殿は言う。


 私はすぐに、それが父上が言っていた「特別な陰陽術を使える資格を持つ者」のことであると分かった。その者のことを〝魁〟と言うらしい。

 特別な陰陽術とは五行の気全てを混合して使う強力術である。噂では命の蘇生や転生まで行うことができると聞くが、果たしてどこまで本当かは定かではない。


 しかしその資格を持つことは、かなり前に帝が停止していたのではなかったか。


「私が帝に提言して解禁させたのだ」


 自慢げに言う雅章殿に私は顔をしかめた。

 何故今更そんなものを解禁するのか。


「考えてみよ。其方ほどの陰陽師が雷龍らいりゅうではない妖怪に打たれたのだ。雷龍に満たない妖力の相手であるぞ? ならば奴にはもっと強力な術で対抗せねば勝てるわけがない」


 雷龍を倒すには、魁の資格を使うしかない。雅章殿はそう帝に進言したのだ。

 初めは帝も躊躇していたが、雷龍という圧倒的な妖怪の存在があるのも事実であり、今のままでは討伐できない現状も彼は理解していた。帝の役目は都の安泰を守ること、そのために雷龍討伐は必須だ。


 結局それが決め手となり、他の上流貴族も同意のもと解禁が決定した。

 相当の事情があって停止していたのであろうに、そこは誰も責めなかったのか。


「魁を決めるには、それに相応しい才があると帝が認めなければ定められぬ。実績などは関係なく、帝の目の前で試験を行うんだ」

「で、蒼士がそれに参加するから、私に宣戦布告に来たと」


 そう締めると雅章殿は「ご名答」と笑顔で口にした。


 私が意識を失っている間に面倒なことになったものだ。

 まぁ丁度季節はこれから夏本場。陽の気が高まり、妖怪の活動が少し低迷になるため、試験を行うならば今しかない。


 だが、彼らはそもそも大きな勘違いをしている。


「拓磨も当然受けるであろう。ならば私が代わりに申し込みを――」

「受けぬぞ」


 きっぱりとそう言うと、雅章殿の表情が固まったのが分かった。

 いや、何故私がその試験を受ける前提で、この親子は盛り上がっているのか。


「何を申すか……。陰陽師唯一の称号であるぞ、言うなれば最強の証だ」

「私は強くはなりたいが、最強の称号が欲しいわけではない。その者が雷龍を倒せるのであれば、喜んで頼もう。受けぬと言ったら受けぬ」


 私は端から〝陰陽師〟であれば良いのだ。


 暁や雫と家族でいるため、陰陽師であり続ける。

 陰陽師であるには、任務を遂行しなければならない。

 しかし人とは関わりたくないから、妖怪討伐の任務である必要がある。

 妖怪討伐の任務を受けるには、相当の心力と技術が必要とされる。


 だから鍛錬をしてきたのであって、決して最強になりたいわけではない。


「……そうか、分かったよ」


 断固として了解をせず衣を頭まで被った私に、雅章殿は残念そうに小さく呟いた。その場を立つ音が聞こえたので、私は鼻の上まで衣を捲る。

 雅章殿は肩を落とし、平癒殿へいゆでんから出て行こうとしていた。


「其方がそう申すならば仕方なかろう。だがその気になったら教えてくれ」


 ならぬわ。と喉まで出かけたが口にすることはなかった。

 息子と同じで早く出ていってほしいと心から願うが、奴は出入り口の手前でこちらを振り返った。その口元は不敵に笑っている。


「あまり()()()()()をするでないぞ、拓磨」


 意味深なその言葉に、背中に寒気が走ったのは言うまでもない。




「拓磨が……!? 本当か、暁!」


 私は戻ってきた暁の報告を聞き、思わず身を乗り出して彼女の両肩を掴んだ。

 暁は驚いたものの、少し笑って首を縦に振る。


『良かったですわ。私たちが消えない限りはご存命かと思っていましたけど』

『まだ傷が癒えたわけじゃないから、もう暫くはご療養が必要だけどね』


 安堵する雫たちの隣で私は目からポロポロと涙を落とした。拓磨が死ぬはずないと信じていたものの、それでも怖くて仕方なかった。

 私は拓磨を守れなかったのではないか、と。


『ちょっと! 私だって我慢したのに何で華葉が泣くのよ!?』

「すまない。安心したら勝手に……」


 自然と零れ落ちるものを雫が指でなぞると、そっと抱きしめてくれた。それがまた安らぎを呼び、更に涙が溢れてしまう。


『あぁもう、落ち着きなさいな。話はこれだけじゃないのよ』


 呆れた声で暁がそう言うと、必死に堪えながら私は雫から身を離した。その様子を確認した暁は小さく溜め息を吐き、私と雫を見た。


『拓磨様からの伝言。〝雅章殿には注意しろ〟って』

『注意しろ? 陰陽頭おんみょうのかみ様に何かあるのかしら』

『さぁ、そこまでは』


 雅章。

 その名前には聞き覚えがあった。


 〝何で聞いてないのよ!〟と文句を言っている雫の横で、私は急に立ち上がった。当然二人は肩を震わせて驚いている。


『ど、どうなさいましたの? 華葉』

「雅章……そいつ、私のことを知っている」


〝こんにちは、華葉さん。初めましての方が良いかな?〟


 拓磨を連れていったあの男は、そう言う前に私の背中に触れていた。あれは式神擬態の護符を貼り直していたのだ。何も知らない者がそんなことをする理由がない。


 奴は私の正体を知っている。

 そう言うと暁と雫の顔から一気に血の気が引いた。


『恐らく拓磨様はそれに気づいたのですわ』

『じゃあ雅章様は知ってて華葉を容認してるってこと? ……愛弟子だから?』


 二人は思考を巡らすが、我々がここで考えていても仕方がない。とりあえず護符の件は気を失って知らぬであろう拓磨に、再び暁が伝達しに行くことになった。


『宮中も立て込みそうよ。変な試験が始まるみたいだし』

「そうなのか」

『うん。拓磨様が目覚めた後、蒼士様が乗り込んできて――』


〝魁の選抜が始まるらしいぞ! 魁とは陰陽唯一の存在、陰陽師の最強となる称号だ。お前もどうせ受けるのであろうが、絶対に負けぬからな!?〟


『――って言ってたのよね。そんなの拓磨様が受けるとは思わないけど』


 療養している拓磨に突っかかるとは、相変わらず容赦のない奴め。

 選抜試験か。だが暁は心配していないようだし、気にすることではなさそうだ。


 しかし暁が山鳥の姿になって出発しようとすると、雫が彼女を呼び止めた。


『お待ちになって、暁』

『もう、さっきも拓磨様に止められたんだけど』


 笑っている暁と対照に、雫は小さく震えていた。


『私も、拓磨様の元へ連れてって』

『……え?』


 それは決して〝会いたい〟という軽率な思いでないことは、彼女の蒼白な顔が物語っていた。


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