第三十三話 妖美の舞
薄闇の中でも、鬼のような生き物へと化している美月が動揺を見せたのは分かった。式神の気を帯びていた者が突然〝妖怪〟として現れたのだから、無理もない。
自らの意識がない華葉はその強力な妖気を堂々と晒している。恐らくは相手も彼女が妖怪であると認知しただろう。まったく、いつの間にこんなに妖気を高めたのか。
……然るべき報い、か。
そもそも見守っていろと言った私が、傀儡も毒煙も制せずこの様では偉そうなことは言えまい。
私とて陰陽師。こうなった以上今は、美月を助けることだけを考えよう。
自分の立場しか考えない上流貴族とは、違う。
奴は自分の心力を遙かに上回る妖力を放出する華葉に、しつこく沸き出す泥の傀儡の攻撃対象を転換させた。
「何ダ、貴様! 何故、妖怪ガ陰陽師ノ味方シテイル!?」
呪からの威嚇にも華葉は微動だにしなかった。と言っても、傀儡を一掃しているのは私の根楼白槍なのだが。
術で枯渇した泥が破片となって飛び散る中、彼女はかざした手に妖気を込めた。
「桜妖術・一の技、桜蕾妖受!」
それはいつかの雷龍との戦いで使用していた妖術だった。毒煙の呪詛陰陽術と、それを取り巻く葉刀螺旋に花の蕾がポツポツと浮かび、二つの術ごと覆いつくした。恐らく対象の術に含まれる気を吸収してしまう妖術で、浮かび上がった蕾が気を吸い上げ、今にも弾けそうに膨らんでいく。
気を失った術は〝術〟として成り立たたず、ただの煙と葉と化した。
更に、奴が口から新たに生んだ煙にも蕾は付着し、毒は見事に無効化されていく。
私はその隙に動けなくなった足に心力を当て回復に努めているが、気持ちが焦っていた。やむを得ず一旦、白槍を解く。
「オノレ……ッ!」
毒煙が使えなくなった奴は足掻くように夥しい数の傀儡を放ったが、華葉の妖術の蕾はその傀儡すらも覆い、全ての気を飲み込んでいく。
この術は〝一の技〟。美しき妖術は、これだけでは終わらない。
「桜妖術・二の技、桜開波動!」
「――ッ!?」
蕾から一斉に開いた花から芳しい香りと共に妖気が放出し、特殊な波動が呪を錯乱させ始めた。あれは妖怪のみと聞いていたが、呪にも効くようだ。
苦しみだした美月は喉元を押さえ、ついに嘔吐した。確かに動きは弱まってきたが、このままでは美月本人の生命に関わる。体は普通の人間なのだ。
しかし我を失っている華葉は容赦なく、更なる妖術を放とうとしていた。
「桜妖術・三の技、桜花――」
「安曇式陰陽術、流水呪縛……!」
どうにか心力で足を回復させた私は、咄嗟に術を発動させると華葉と美月の両者の動きを封じた。美月はあの術ですら脱せないほど弱まっているが、華葉の方は逃れようと呪縛の中で必死に藻掻いている。
早く自我を取り戻させなければ、この呪縛もまた吸収されかねない。
「落ち着け、華葉ッ。お前は……美月を助けると、約束したのではないのか!?」
その言葉に反応した華葉は、突然動きを止めた。
大きく開いた目が私を捉えると、次第にその瞳に光が戻ってくる様を見た。
「た、く……ま?」
私の名を呼ぶ彼女に、私はほっと胸を撫で下ろした。
しかし、安心したのは束の間だった。今度は捕えていたもう一人が、奇声を上げて呪縛の中で暴れ始めたのだ。
「アァアアアア……! 何奴モ此奴モ、私ノ邪魔ヲシオッテ! 殺シテヤル! コノ娘モアノ人モ、奪ワレルナラ皆殺シテヤルゥ!!」
まずい、かなり錯乱している。このままでは本当に美月を殺しかねない。
だが私は、呪のこの言葉に違和感を覚えた。……何だ、この腑に落ちない感覚は。
ぼんやりとした思考の中に、結界壁を暗転する前の光景が浮かんだ。騒然とする部屋の中を伺う屋敷の者たち。大納言の悲痛な表情。
――そうゆうことか。
とある結論を見出した時、私は華葉に背後から肩を引かれた。
先ほどまでと違い、穏やかな顔をしている。
「拓磨、代わってくれ」
すっかり我に返ったようだが……、何をする気だ?
そう問いかけようとしたが、大丈夫だと言わんばかりに妖美に輝く金の目に真っ直ぐ見つめられ、言葉を飲んでしまった。仕方なく彼女に従って身を引くと、拘束されたままの呪の前に立った華葉は奴を見下ろした。
否、〝彼女〟を見つめた。
「美月、華葉だ。聞こえるか? この通り私は妖怪だ、黙っていたことをお前に謝りたい。だから呪なんかに負けるな、戻ってこい」
「グ……近寄ルナ! 娘ヲ騙シタ裏切リ者メ!」
華葉は今、どんな表情で呪の言葉を聞いているのか。彼女の背後に立っている私の方からはそれは見えない。
分かっているのか? 華葉。その正体を明かす代償を。
〝私は美月も好きだぞ。美月は私のこと好きじゃないのか?〟
〝私も華葉大好きだよ!〟
偶然聞いてしまった、華葉と美月の会話。「好き」という言葉の意味を、華葉自身がそれほど理解しているのかは定かではない。だが華葉にとって美月は守るべき大切な存在であると認知し、そんな華葉を美月も好いた。
しかし美月が好いたのは〝式神の華葉〟であり、妖怪ではない。「謝りたい」と口にした華葉は、その意味を分かり始めているのだろうか。
「裏切り者、か。……そうかもな」
〝だが〟と言葉を続けた華葉は、より美月に近づいた。美月は咄嗟に爪を彼女の顔面へ伸ばすが、彼女はその中間辺りを強く握り直前で静止した。刃物状になったそれは華葉の手に食い込み、赤い液体が滴り落ちる。
それを気にすることなく華葉は爪を首元から遠ざけると、顔をグッと寄せた。
「呪に言われる筋合いはない。いい加減、美月から出ていけ」
桜妖術・三の技、桜花散舞――!
華葉の声が響いた瞬間。
辺りに残っていた妖術の花は、吸い上げた気と呪諸共に全てが高く吹き上がり、あっという間に飛散してしまった。
それは正しく、陽気な春に咲き乱れては散らす、あの花そのもの。
陰陽師となり気が遠くなる数の妖怪を討伐してきたが、こんなに儚く美しい妖術は見たことがない。第三の妖術は、浄化の技だったのだ。
呪の気を失った美月は華葉の腕に抱かれており、二人仲良く意識を失っていた。美月は元の表情に戻り、所々傷はあるが幸い重傷には至っていない。華葉は力を使い果たしたのだろう。
私は立ち上がって裾を払うと、華葉に式神擬態の護符を貼り直して結界壁を解いた。結界の外ではまだ屋敷の者たちが待機しており、元の姿で寝息を立てている美月に群がり大層喜んだ。
彼らに一先ず二人を任せた私は、音もなく人の群れをすり抜けると、一人屋敷の奥へと消えていった。
「クソ、呪ガ抜キ取ラレタダト? 何ナノダ、アノ妖怪ハ!?」
とある一室、中からは呪が表に出ている時の美月のように、人らしさのない声が怒号を上げていた。
几帳(布で作られた仕切りのようなもの)に映る影は、美月よりも背丈の高い女。手前には文台(長方形の低い台)があり、その上には小さな人形が置かれている。――そう、呪の道具である藁人形だ。
「忌々シイ! モウ一度取リ憑イテクレルワ!」
私はその汚れた声を耳にしながら、部屋の周りを気づかれぬようグルリと一周した。相手は怒りが脳天にまで達しているようだから、周りの警戒が疎かになっており丁度良い。
そして女の背後に立ち、こちらの気配に彼女がようやく気づき振り返った時にはもうそれは発動していた。
「急々如律令、五芒結星!」
「ヒィ……ッ!!」
青白く光る最強の五芒星の中に閉じ込められた女は、もう身動きを取ることは出来なかった。そう、呪にかかっていたのはこの女――美月の母である。美月は呪にかけられた母親に更に呪を植えつけられ、操られていたのだ。
「遊びは終わりだ、観念しろ」
自由を奪われた者に、護符を貼り付けるのは容易い。母親は見る見る青ざめた。
「貴様ッ!? 何故マダ、ソンナ心力ガ――」
「急々如律令! 呪詛応報!!」
発言の直後、母親は雄叫びを上げて白目を剥き、後ろへ仰け反ってその場へ倒れ込んだ。
危なかった。あのまま美月に呪詛返ししても、何の効果も得られないところであった。口を半開きにして伸びている女を見下ろして、腹の底から溜め息を吐き出した。
丁度その時、上空から自分を呼ぶ声がして見上げると、茜色の山鳥が降下してきた。調査から戻った暁だ。
『拓磨様! ご無事でしたか!?』
着地と同時に人の姿に戻ると、横になっている女を見て驚きつつも暁はそう口にした。色んな意味でご無事じゃないとは……今は言えない。
「まぁ、何とかな。それより」
『はい。私は嗅覚は鋭くないので苦労しましたが、何とか見つけました!』
そうか、と呟いたところで、母親の悲鳴を聞きつけた屋敷の者たちが数人、こちらの部屋にも駆けつけてきた。慌てて女を御帳台(寝床)に運ぶ集団の中、目を覚ましたのか華葉の姿もそこにあった。
月明かりに見た彼女は、自分が派手にやらかした事の重大さに気づいたのか、悲しみに沈んだ表情だ。無論、どこまで分かっているかは、定かではない。
全ては時間の問題だ。
私と華葉の立場が危機にさらされることも。
彼女が、妖怪とはどんな生き物か思い知るのも。




