第二十八話 寮からの討伐任務
確かに。
〝討伐の依頼だ〟とは言ったが、あの阿呆。
「呪の討伐任務……」
投げ入れられた指令書を読み切ると、私は右手でそれを握りつぶした。そして脳裏で蒼士が「妖怪の討伐とは言っておらぬぞ」と屁理屈を並べる姿が浮かんだ。
くそ、完全に上手いこと嵌められたようだ。
数刻前庭に、今朝ほど蒼士が口早に押しつけた任務の指令書が投げ込まれた。運んできたであろう烏は既に遠くへ飛び去っていたが、恐らく謹慎解除の文書を運んできた烏と同じ個体かと思われる。
前回で学んだのだろう、今回は声も掛けられていない。まぁ、あれなら泣いて帰ることもないであろうし私も楽だ。
指令書に書かれていた任務は、とある貴族の屋敷で呪にかかっていると思わしき娘の調査と正体の討伐依頼であった。呪討伐の主な任務は、呪をかけた術者に呪詛返しをして被害者を解放することと、術者の痕跡の気を探って割り出し、術者自身を討伐することである。
相手が余程の手練れの者でなければ、さほど苦労しないだろう。ただ私にとっての問題は、加害者と被害者のどちらも〝人間である〟ということ。呪は陰陽師が使う手だからな。
『どうなさいますの? 拓磨様』
「行くしかあるまい。これは陰陽頭からの命令、受け取った以上背くわけにはいかぬ」
呪は夜になるとその邪気の強さを増し、被害者が手を付けられない状況になることが多い。陰陽寮に依頼が来ている時点で相当の状態と見ていいだろう。とあれば夜になる前に一度その娘を探る必要がある。
それに任務は受けた瞬間から有効になる。要はもう既に始まっているのだ。
まったく、新しい修行を始めようと思う度に横槍が入るではないか。
相生鍛錬、早く試してみたかったのだが。
「暁と華葉を連れていく。雫は……いつもの通りで構わないか?」
『えぇ、問題ないですわ』
討伐任務に出かける際、雫は心力を少しでも節約するために召喚を解除していた。これは随分前に彼女自身が申し出たことだ。暁のように手助けできない分、自分が協力できるのはそれしかないと。
ここ最近は華葉の見張りを頼んでいたこともあり、召喚解除を施していなかったのだが、今回の任務は何があるか分からない。心力鍛錬もまだ道半ばであるしな。
「すまぬ。では、また後ほど」
優しく微笑んで返事をする雫に申し訳なさを感じながら、彼女の召喚術を解除した。ハラリと彼女の人形が落ちる前に、私はそれを拾い上げ懐へとしまった。
残された二人に声をかけ外へ向かおうとした時、暁が上の空であることにそこで気がついた。言われてみれば今日は彼女の声をあまり聞いていない。いつもであれば率先して出掛けようとするのに様子が変だ。確か先ほど私に何か言いかけたようだが……。
「暁、大丈夫か? 行くぞ」
『えぇっ……? あぁはい、そうですね』
パタパタと小走りで追いかけてくるのを確認し、私たちは屋敷を後にした。
依頼主は大内裏から少し離れた場所に住んでいる大納言であった。女房に庭へと通されると、寝殿内の中央の間で大納言が待ち構えており、嬉しそうな声を上げた。人を希少動物のように見るな、気に障る。
その主の奥の間に御簾越しに女性が一人座っているのが見えた。子供にしては背丈が大きく、単純に考えればあれは大納言の妻であろう。娘はここにいないのか?
「暁、何か感じるか?」
今回の依頼は〝呪〟。妖怪は絡んでいないと承知しているが念のため確認する。
『いえ、特には』
小声の問いかけに、同じように暁から返事がくる。
娘の姿は見当らないが屋敷の中の何処かにはいるはずだ。妖怪が関与していれば暁なら必ず気づくが、やはり今回は無関係のようだ。今のところ邪気のようなものも感じない。
上手く隠れている……大した相手でなければ、さっさと終わらせて帰れるのだが。
主との応接の場でもある簀子まで通された我々は、大納言の側で腰を下ろすと深く頭を下げた。この阿呆臭い所作も好きではない。
華葉も同じようにできている。ここへ来る前彼女には一連の所作、そして〝術を使うな〟と〝口を聞くな〟という二つの約束をさせている。術は言わずもがな、口の聞き方は大納言相手では大問題だ。
「面を上げよ。待っておったぞ、拓磨よ。まさか其方が来てくれるとは思うてもおらぬ。娘のことをよろしく頼んだぞ」
「は、お任せを」
簡単に言ってくれる。呪の解除は容易ではないのだぞ。
だが毒を吐いても仕方がない、早急に始めるとしよう。
私は暁に目配せをすると、彼女は軽く頷いた。
『大納言様。安曇拓磨の式神、暁にございます。我が主は術に集中されます故、以後のご用件は私が賜ります。早速ですが姫君様にお目にかかりとうございます、今はどちらに?』
「父君さま! 見てくださいまし、少し上手くなり……あ。」
暁の言葉に被さるように、駆け足で嬉しそうに叫びながら庭に一人の幼女が現れた。我々と目が合うと気まずそうに狼狽えていたが、彼女を追いかけてきたであろう女房たちが、彼女の顔を慌てて隠していた。
間違いない、彼女が大納言の娘だ。
「コレ、美月よ。客人に失礼であろう、ご挨拶なさい」
父親にそう窘められると、体を小さくして女房に連れられながら、美月と呼ばれた幼女は庭から上がってきた。手にしていた手玉をコロコロと床に転がすと、顔を伏せて私たちに挨拶を交わした。
「初めまして。大納言の娘、美月にございます」
『初めまして、私は暁と申します。こちらは陰陽師・安曇拓磨、そしてあちらは私と同じ式神の華葉です』
扇で顔半分を隠しているため目元しか見ることはできないが、先ほどの僅かな間に確認した限りでは、とても呪に掛かっているようには見えなかった。体調が悪そうだという印象もなく、妙な気も感じない。
見た目だけで言えば、至って普通の幼女である。
『美月姫様は、お手玉をなさるのですか?』
緊張を解そうとしているのか、暁が床に転がった手玉を取り上げた。彼女の言葉に美月姫は嬉しそうに返事をする。
これを機に娘と距離を詰めようと思ったのか暁が手玉をやって見せるが、彼女は案外こうゆうのは不器用だ。何度挑戦しても二回も続かない。雫なら上手く回せるであろうに、連れてくる式神を間違えたか。
すると苦笑いをして誤魔化している暁の裾を、私を挟んで座っていた華葉が引っ張った。
〝口を聞くな〟と指示した以上彼女が声を発することはなかったが、代わりに「ん、ん、」と喉を鳴らすような音を出し手玉を催促したのだ。暁は少し戸惑ったが素直に彼女に手渡した。
そして華葉が手玉を投げると、美月姫からは歓声が上がった。
「うわぁ、すごい!」
ポンポンと軽快に弾かれていく手玉を見つめる美月姫は、扇から覗かせる目を爛々と輝かせていた。恐らく師の雫が暇つぶしに教えたのであろう。確かにとても上手であった。
そんな華葉のことが気に入ったのか、美月姫は女房を押しのけて華葉の元へ駆けつけると、彼女の腕を引っ張って自分に付いてくるよう催促した。
「私、もっと上手くなりたいのです。華葉様……でしたっけ? 教えてくださいませんか」
「ぁ、ぇ……」
予想外の事態に華葉は困っていたが、仲良くなれば何か情報が引き出せるかも知れない。子供は親に隠し事をするのが得意だ。そういったものから解決の糸口が見えたりもする。
困惑して私を見てくる華葉に頷き〝行ってこい〟と目で訴えた。助けてもらえると思ったのか、華葉は更に目を丸くした。
「さあ、こちらへ!」
美月姫にグイグイと腕を引かれた華葉は、あれよあれよと庭の向こう側へ連れていかれてしまった。
まぁ、子供相手ならもし口を聞いてしまっても、あの口調でも問題ないだろう。誤って式神擬態が解かれてたとしても、この敷地内ならば妖気で分かる。暁もいることだしな。
本当ならまずは美月姫自身に、何か痕跡が残されていないか調べたかったが、やむを得ん。手筈を変えて事を得ようではないか。
『大納言様、ではまずこの部屋に呪の痕跡がないかお調べします。申し訳ございませんが、お人払いを』
「うむ、承知した。皆、ここから出るのだ」
大納言の鶴の一声で、この寝殿には私と暁の二人が残された。ようやく人から解放されて気が楽になる。
だがここからが本番だ。部屋の隅々まで気を巡らせ、呪の術者である陰陽師の痕跡を探し出す。最も、この部屋にあれば、の話だが。
「始めるぞ」
袖を翻し、大きく息を吸い込んだ。