第二十一話 雷龍の奪った心力
その日、雷龍に呼び出され奴を匿っている場所まで人目に触れぬよう向かうと、珍しく奴は大層不機嫌であった。
今奴がいるのは、人は気味悪がって滅多に近づかぬ山の奥地にある洞窟の一角だ。広さは巨体を持つ奴でも十分収まるほどあるが、今日久しぶりに見たその内部は感心するほどに荒らされていた。
よくここまで派手にやったものだ。散らかっていても気にならない性分なのか?
私なら絶対に落ち着かぬ。
「ご立腹ですな、雷龍殿」
特別警戒する様子もなくいつも通りに話しかけると、奴の顔が目の前にまで迫ってきて強烈な威嚇を受けた。
……おぉ、怖い怖い。今にも食いちぎられそうではないか。
しかし案ずるなかれ、私は奴に殺されたりなどはせぬ。
今のところ、はな。
『どうなっておる!? 安曇 尊から心力を手に入れたのに、妖力が上手く増えぬではないか!』
激昂しながらそう言われ、困ったものだと溜め息を吐いた。
あぁ、なんだ。そんなことか。どうやら奴はそれを試すために、この場所で力を使ったらしい。ならば別に山一つくらい吹き飛ばすつもりで外で暴れれば良いものを。さすればこの荒れ三昧を修復する私の労力もかからぬであろうに。
「さぁ、どうしたことでしょう。ここ最近目まぐるしく働かれているので、お疲れになっているのではありませぬか?」
『ふざけるな! どんなに妖力を込めても心力を手に入れた時ほど強力な術が出せぬ。貴様、我を騙したのではなかろうな!?』
はいはい、そんなに怒鳴らなくても聞こえておる。そんなに先日拓磨に負けたのが悔しかったのであろうか?
意外と可愛いところあるではないか。
雷龍は安曇尊の心力を手に入れたが、心力そのものを奴が扱っているわけではない。心力はあくまで陰陽師のみが持てる力であり、奴は〝尊が持っていた力の容量を手に入れた〟というのが正しいであろうか。簡単に言えば奴が使える妖力量の上限を増やしたということだ。
想像しやすいように箱を思い浮かべていただこう。我々は自分の中に箱を持っていて、その中に心力や妖力を貯めていくと思っていただければ良い。
心力と妖力の違いは、まず最大量の変化だ。陰陽師は修行によって箱を大きくすることができるが、基本的に修行など根気のいる作業を行うはずもない妖怪は、当然箱の大きさは一生変わらない。
だから雷龍は尊の莫大な心力の箱を奪い、自身の箱の数を増やして妖力の量を強制的に上げたのだ。
修行をすれば大きくなるのか? という質問は、残念ながら私は妖怪ではないから分からぬので却下だ。
「うーむ、強力な術を出せなくなったということは……其方、折角奪った心力が減り上限が下がったのではありませぬか?」
『そんなはずない。大体、上限が減って何になるというのだ』
何になるって……いやいや、其方にもきちんと説明したではないか。
心力と妖力の違い、次に箱に貯めた力の使い方だ。
心力は箱に貯めた力の内、発動する陰陽術に必要な分を消費する。そして更にそこに心力を継ぎ足すことで、術を維持したり威力を上げたりするのだ。従って使えば使うほど箱の中身は減っていき、使える術も限られてくる。
簡単に言えば箱が大きければ貯める心力の量も多く、使える術の数も時間も増えるということ。
しかし妖力はかなり異なる。妖力の値はそのまま術の攻撃力にも加算される。
箱の中身のどれだけを発動する術に乗せるのか、妖怪のさじ加減で決まるのだ。
雷龍が雷光玉に自身の十割の妖力を乗せるのか、八割に留めるのかは雷龍次第ということだ。ただし、乗せた分のおよそ四半数は術発動後に消費する。
だが次に再び十割の雷光玉を出すことは出来ないのかというと、そうではない。消費した分を妖怪の体力で増幅させ、再度十割の力で術を繰り出す。そして次は更に四半数消費したわけだから、再度十割の力を出すには約半数分の妖力を体力で補填しなければならない。
使えば使うだけ後々の十割の妖術を出すのは困難になる。つまり必然的に使用回数は限られる、ということになる。さじ加減を間違えば後で困るのは自分だ。
まぁ、つまるところ心力と違い妖力は、貯める箱の大きさが大きければ大きいほど、攻撃力も格別に上がるということだ。
「……という風に申したが、もはや忘れておられるか? 攻撃力が上がらぬということは妖力の最大値が下がった、つまり奪った心力が失われたということしか考えられぬのです」
ってあぁ、頭から煙が出ておる。これは理解させるのは無理だな。
やれやれ、と小さく溜め息を吐きながら私は懐から扇を取り出して、淀んだ空気を周りから拡散させながら思考を巡らせた。
雷龍は雑魚妖怪共に妖力を与えて強化する、ということをここ最近行っている。……が、妖力を明け渡したところで上限数が減るとは考えにくい。妖力は体力と同様に休息を取れば再度回復する。
恐らくは尊から奪った心力の一部が、そのまま別の何かに転移している。そして重要なのはそれが雷龍の意図していないということ。相手がよほどの強者なのか、もしくはこの雷龍が只の間抜けなだけなのか。
「仕方ありませぬ、私の方で少し調べてみましょう」
雷龍にそう告げると、奴に背を向け山の上から平安京を見下ろした。
折角面白くなってきたのだ、ここで冷めては勿体ないではないか。あんなに苦労したのだから、もう少し私を楽しませてくれても良かろう。
……あぁ、私か? それはまだ申し上げられませぬな。
まだ今は、あなた様のご想像にお任せするとしようではないか。
「では、雷龍殿。ひとまず次の手も予定通り頼みましたぞ」
『……あぁ、お主もな』
緑が濃くなり始めた木々の葉から、木漏れ日がキラキラと漏れる山道を、私はゆっくり下っていった。
◇
都の桜にはすっかり新芽が芽吹き、葉桜の姿にも別れを告げる時期になった。
庭の桜が健在であれば、満開の時も、散る時も、葉桜の時も都度宴を開いてはその姿を満喫したものだ。これからは葉がもっと青々と輝く時。来年の花に向けての準備をしたりと、期待に胸を躍らせながら世話をしている頃だというのに。
焼け焦げたその姿を残したまま庭に立つ桜を見る度、言いようのない後悔と胸の痛みに襲われた。
「……何故、拓磨はその桜をそのままにしているのだ?」
不意にそんな声がかかり、隣に誰かが並んで立った。
つい先日家族として加わったばかりの彼女は、自分の正体を知るためにも色々なことを知りたがる。
「華葉か。雫と共に読書をしていたのではないか?」
「あぁ、あの書物なら読んでしまった。それで雫は屋敷の掃除を始めて、暁は見回りに行ってしまってな」
私は暇なのだ、と告げる華葉は庭を散策し、私の姿を見つけたようだ。
と言っても散策するほど大きな庭でも屋敷でもないが。
「もう咲かぬのであろう? この桜。何故別の物に植え替えぬ」
「言っておらぬか? この桜は母上の形見だ。この庭にあるのは、この桜でなければ意味がないのだ」
それに……と続けると、華葉は桜に向けていた目線を私の横顔へと移した。
不思議だ、やはり彼女の妖気は妖怪とは思えぬ。穏やかで心地の良い波長。この安心感が、相手は妖怪だというのに余計なことと思いつつ、つい口にしてしまう。
「私はまだ、この桜の生命力を信じている。いつか再び芽吹くのではと、そう願わずにはいられぬのだ」
そう告げると、華葉は「そうか」と呟くとまた桜を見上げた。そしてそのまま暫くただ静かな刻を、何をする訳でもなく共に過ごしたのであった。
――卯月。
初夏の風が清々しく、まだ太陽の光も控えめの日昳(十四時頃)の刻のこと。