第十九話 覚醒
誰かが私に声をかけている。
この声、知っている気がする。
「いつまで寝ているつもりですか?」
慈愛に溢れるその声は耳に良くなじんだ。
いつまでって……電撃を食らい、手足が思うように動かぬのだ。
まだ肌寒い、春の夜風で冷やされた地面に横たわるのみ。
「貴女はもう目覚めているのです」
五月蠅い、お前は誰だ。私の何を知っている?
私は知らない。私の何も知らないのに。
「探しなさい、貴女が目覚めた意味を」
――守りなさい。私と、貴女の大切なあの人を。
その言葉を最後に、その声は消えた。そして同時に私は弾けるように飛び起きた。
周りには数刻前まで相対していた者たちが、私と同じように電撃を食らい気絶していた。起きたのは私だけのようだが……一体何が起きたというのか。頭の奥が痺れるように痛む。
すると近くで響いた激しい電気音と轟音に驚き、咄嗟に目を向けた。巨大な龍と誰かが戦っている。
龍は妖怪か?
とても強力な妖気だ、あんな妖気に対峙するなんて余程の手練れの者か?
一体どんな奴かと目を懲らしてよく見ると、私は酷く衝撃を受けた。
あれは私を助けてくれた男だ。周りの女たちが「拓磨様」と呼んでいる。
そう、確か安曇拓磨と名の知れた陰陽師などという存在らしい。
あの男は私が妖怪であるにも関わらず自らの屋敷で匿い、正体の分からぬ私に言葉を覚えさせた。
実は人間の言葉を理解はしていたのだが、口にすることは出来なかった。
他にも思うところは多々あれど、今はそんな状況ではない。龍は莫大な妖気を溜め込んだ光の玉を安曇拓磨にぶつけようとしている。
しかし彼は逃げようとはしなかった。何故だ? あんなもの食らえば普通の人間など一溜まりもないだろう。だが彼は光玉が向かってきても微動だにしない。
逃げろ。私はお前を失いたくない。
「……げろ」
こんな時に声が出ない。雫という女が懸命に教えてくれているのに。
手足はまだ痺れているのか? 早く言うことを聞け!
「たく、まっ」
――守りなさい。私と、貴女の大切なあの人を。
脳裏に蘇るあの声。私を知っているらしい、あの声。
私も私が誰であるかは知らない。知らない、が。
あの人を守らねば、という強い衝動にいつも駆られるのだ。そんな時は決まって身体の奥底から強い力が沸いてきて、気づくと体が勝手に動き出している。
ほら、また、体が熱くなってくる。
力がみなぎる……!
「桜妖術、一の技。桜蕾妖受!」
動き出した体と共に、自然と口から出た言葉は、光の玉に無数の花の蕾を纏わせた。突然響いた声に驚いた安曇拓磨は私の方を振り返ったが、直ぐに自分に向かっていた光玉の方へ顔を戻した。
蕾の花が開くと光玉の妖気が吸収され、見る見る内に小さく萎んでいく。
これが私の妖術……? まだこんな力が私にあるのか?
私は一体何者なのだ。
『誰だ!?』
龍は突然の攻撃に虚を突かれ声を荒げた。奴の妖気は圧倒されるほど強いが、何故か私は負ける気がしない。寧ろどこか高揚すら感じる。
何が起こっているのか未だ分かってない彼らを尻目に、私は更に畳みかけた。
「桜妖術、二の技。桜開波動……!」
今度は開いた花から私の妖気を放出させ、辺り一面には春花の香りで満たされた。これには妖怪のみに効くらしい波動が含まれており、龍は徐々に錯乱し始めたのだ。
凄い、何だか無敵になった気分だ。
状況は分かっていないだろうが、安曇拓磨がこの機会を逃すはずがない。私は彼に後を託すべく周りの木々から気を拝借して彼へと送った。
この技もいつどのようにして覚えたのかは分からないが、陰陽師たちにはとても喜ばれた。彼らの役に立つのは確かなようだ。
そして私の狙い取り、彼は声高らかに叫んだ。
「安曇式陰陽術、鋼土波渦!」
金の気を纏った土の術が龍目がけて四方から襲いかかる。龍は光の編み目の防御を張るも間に合わず、彼の術を真っ正面から受けたのだ。
龍は雄叫びを上げ、煙を巻き姿を消し去った。
消えた……? あれは実像ではなかったのか。
いやそんなことより安曇拓磨は?
咄嗟に探した視線の先で、小さな影が力なくその場に座り込んだのが見えた。良かった、どうやら彼は無事らしい。
何よりそれに安堵した私は一呼吸置くと、ゆっくりと彼の元へ歩み寄った。
一体、何がどうなったと言うのだ。
張り詰めたいた糸が切れたように荒い呼吸をしながらへたれ込み、私は雷龍が消え去った空を見上げた。
奴が残した煙が見えなくなる頃には、東の空が薄明かりに包まれ夜明けが迫っていることを物語っていた。
一時はもう駄目かと打ちのめされるのを覚悟したが、突然聞き覚えのある声が響き見たこともない術が発動されたのだ。かと思うと、自分に迫っていた雷光玉に見事な花が咲き、更にその花から放たれた波動に雷龍は錯乱し始めた。
そして私の体に突如心力が沸き、不意に訪れた絶好の機会に咄嗟に術を繰り出して、何とか危機を脱したのだが……何もかもが一瞬の出来事だったのだ。
ただ一つだけ分かるのは、この者の存在なくして、この勝機を掴むことはできなかったということ。
私の側まで近づいてきた、この相変わらず無表情の妖怪の娘なくしては。
「……生きているな?」
人を見下ろしながらの第一声に気が抜けそうになったが、見ての通りお陰で私は生きている。
雷龍は私を殺すつもりはなかっただろうと言え、あの雷光玉を受けていればどうなっていたかは定かではない。
それより気になるのはこの娘はいつも突然で、後がなくなった時に必ず現れ、私を勝利へ導いていく。不思議な奴だが、一体何者なのか。
『貴女、いつの間にそんな流暢に言葉を……?』
「さぁな、雫の教えが上手いからではないか? 引き留める彼女を振り払って来てしまった。早く帰って謝らなければ」
ふぅと小さく溜め息を吐くと、彼女は明るくなってきた空を見上げた。
私と同じく、腰を抜かして立てないでいる暁の言う通りだ。つい数刻前までは言葉を覚えたての幼子のように、舌足らずで単語を並べる程度の話し方をしていて、それだけでも進歩が早いと思っていたところだと言うのに。
口調は良くないが、会話には支障がない程度にまで急激に成長していた。
雫の教えが上手いというのを否定するつもりはないが、これは恐らくこの娘自身が持つ力のせいだろう。あの妖術と言い、この娘はまだ底知れぬ力を秘めている。
味方であれば心強いが、もし敵であったすれば……どうする?
「あの龍は死んだのか?」
空の向こうを見つめ続ける娘がそう尋ねてきた。周りでは何人かが電撃の気絶から目を覚まし始めている。
何故こんなところで寝ているのか? などと呑気な奴らだ。お前たちが気を失っている間、こちらは色々大変だったと言うのに。
「奴に限ってあれくらいで死ぬことはないだろう。だがあれは幻影だったようだし、術返しでかなりの損傷は与えているはずだ。……其方のお陰だ、礼を言う」
そう答えると娘は「そうか」とだけ返事して再び静かになった。
褒められて照れているのだろうか? だがそれは事実だ。あの雷龍に一矢報いることができたが、悔しいが私一人の力ではどうにもならなかった。
私は、もっと強くならなければならない――。
それを認めたら、徹夜でクタクタにも関わらず、何だか朝焼けがいつもよりも清々しく見えた。何事もなかったかのように、新しい一日が始ろうとしている。
「帰って寝るぞ、雫が待っている」
帰宅しようとする私を、体を心配した暁が支え、その後ろを娘は黙ってついてきた。
だが私も、数刻前まであんなに彼女に妬いていた暁も、もうそれを咎めることはない。どうやら暁も今回ばかりは認める他ないようだ。
陰陽寮への報告もこの先のことを考えるのも後で良い、今はゆっくり休みたい。
この娘が何者だとか、味方なのか敵なのかは分からぬが、どうしたいのか。
この時答えは、私の中で既に出ていたのかも知れない。