第十五話 灼熱の戦い
私たちを取り囲む炎の熱を頬に感じる。まるでそれは温暖な春ではなく、太陽の照りつける夏に足を踏み入れたようだ。燃え上がる火に反射して山犬の白い毛並みも赤く染まっていた。
あれからしばし両者睨み合いが続いていた。取りあえず周りとの接触は絶ったが、ここからは一対一の殺し合いになる。それも自ら逃げ場のない状況を作り上げてしまっているのだ。一瞬の判断違いが命取りとなる。
月光の御柱……一瞬にして肉体を滅ぼす恐ろしい妖術だが、奴にとって優位であるはずのこの状況で発動しないということは、発動には条件があるのだろう。それが分かればこちらにも勝機はあるかも知れぬ。
無論、あの術以外にも奴に手の内がある可能性は忘れてはならないが。
『安曇……あぁ、其方のことを知っているぞ。安曇拓磨だな?』
お互いの間合いの内側に入らないよう、炎の壁に沿って少しずつ移動しながら相手の動きを探り合う。鋭い眼光に恐怖を感じているのは確かだが、同時に久しぶりの妖怪との対峙にどこか高揚している自分もいた。やはり私には人間相手に退屈な祭祀を行うより、こちらの方が性に合っている。
「ほぉ。妖怪の界隈では、私はすっかり有名人のようだな」
『安曇尊の息子であろう、雷龍様が甚く気に入っているようだな。しかし殺すなとは言われておらぬ故、遠慮なく血祭りに上げてやる』
そう言って山犬は口周りをひと舐めした。名が知られるのは大いに結構だが、安曇尊の息子と言われるのは面白くない。当然この関係は一生変わることはないが、私は私なのだ。
そんな気に障った感情が伝わったのか、山犬はニヤリと笑って前傾姿勢を取った。完全に遊ばれている、益々気に食わない奴だ。山犬の動きに合わせて私も懐の護符に手を掛ける。緊迫した空気の中に炎が上がる轟音だけが響く。
そして山犬の前足が地に着くと同時に戦いの火蓋は切られた。もの凄い速さでこちらへ駆けてくる山犬から逃れるように走り回る。
生憎、陰陽師というのは接近戦や肉弾戦は得意ではない。多少剣術は心得ているが、基本的には中遠距離から陰陽術で攻撃を計るのだ。しかしこの山犬は先ほど見た亡骸からするに、主に牙と爪での打撃技で殺傷している。道理で他の陰陽師たちが苦戦を強いられている訳だ。
しかし奴は図体が大きい分、駆け足は早くとも俊敏な方向転換は苦手のようで、打開策を探しながら私は奴の攻撃を寸で何とかかわしていた。勿論逃げているだけでは埒が明かず、僅かな隙を見て陰陽術を仕掛ける。
「安曇式陰陽術、根楼白槍!」
私の左右の地面から木の根が勢いよく飛び出すが、奴は余裕の表情で高く飛び越し術をかわした。やはりこれ位の速さでは奴には当たらぬか。
動きを止めようにも今ここで流水呪縛を使うわけにはいかない。誤って炎の壁に当たれば術が消え去り、更に再び奴を同じ技に嵌めるなど不可能だろう。
別の方法で動きを止めるしか……。
「おーい! 拓磨殿、大丈夫ですかぁー!?」
そんな時、壁の外側からあの陰陽師の男の声がした。先ほど飛び上がった山犬の姿を目にし、中の様子が気になって仕方ないのだろう。他にも火壁の周りで何人か待機しているのか、数人の私を鼓舞するような声が聞こえた。
喜ぶべきなのか……いや、自分たちは野外だから気が楽なのだろうが。こちらは色々考えながら動いているのだから、あまり声を掛けて欲しくはない。心なしか肩を落とすと、何故か山犬は鼻を鳴らしてほくそ笑んだ。
『外野が邪魔か? 安曇拓磨よ』
「……何?」
その言葉の意味を理解した頃には遅かった。軽く跳躍した奴は、鼻先で空に大きく円を描いた。
『妖術、月光の円環……!』
奴が術を口にすると、壁の外側を囲うように白い光がぐるりと一周した。そして直後に陰陽師の男を含めた数人の悲鳴が闇夜に響き渡ったのだ。
当然こちらからも外の様子は伺えない。心臓が大きき脈を打った。
「どうした!?」
『妖術がこの方の右肩を貫通して……出血が酷いです!』
外から暁の声が聞こえた。どうやら彼女は無事のようだが、私の不注意で更に妖術の犠牲者を増やしてしまった。やはりまだ手の内はあったか……、助けに向かおうにも決着を付けない限り、この壁の中から出ることは出来ない。
同じように外の様子を伺っていた山犬は得意げに笑い声を上げた。
『やはり人間の悲鳴は心躍るな。そう思わないか』
そんな悪趣味はない、と返す代わりに小さく舌打ちをした。こいつは場外で油断している人間を痛めつけ楽しんでいる。まるでこんな火壁など意味がないとあざ笑うように。
……落ち着け焦るな、挑発に乗れば奴の思う壺だ。
再び突進してくる山犬から逃げ惑いながら思考を必死に巡らせた。先ほどの術は月光の御柱と違い、男の肩を貫くに留めている。実際に目には出来なかったが、一点集中ではない分、光線があまり大きくないものと思われる。
見せしめにするなら、何故御柱で一気に外の人間を殺さなかったのであろうか。それ以前に、何故未だ私には妖術を使ってこない。
「根楼白槍!」
『無駄だ!』
攻撃を仕掛ける根の本数を増やしてみたが、軽快にかわしていく山犬。駄目だ、やはり動きを封じねば。この灼熱の中で動き回り、こちらの体力もそんなには持たない。
……動きを封じる?
そうか、それだ! 恐らく月光の御柱は、一点に決めたら標的場所を変えることは出来ないのだ。結界に囲まれれば普通は〝攻撃を受けることはない〟とその場から動く者はいない。それが仇となり御柱を正面から受けてしまうのだ。
先ほどの術が御柱ではなかったのは、外の人間の動きが見えぬ故。しかし炎周りに標的を広げれば、そこにいる人間には確実に当たり、私の動揺を誘うことができる。
私も奴を仕留めれないのと同じように、奴も私の動きを封じない限りは御柱を使うことは出来ない。奴はあわよくば私を裂き殺すが、最終的に私が疲れて動きが遅くなるのを待っている。
そしてあの月光妖術は攻撃力が高い分、奴の妖気を大きく消耗させている。そう数は打てないはずだ。
つまり私に使う一回が奴の最後の狙い。ならば危険は伴うが、その一回をそのまま奴にくれてやる。
神経を使うが……一か八か、やるしかない。
私は再び奴の攻撃から逃れるよう、今までと同じように縦横無尽に走り始めた。当然奴は私の後を執拗に追いかけ回す。それで良い、私に付いて来い。お前の望み通り月光の御柱を使わせてやる。
『まだ逃げるか陰陽師よ。……さて、何処まで体力が持つかな?』
(一の点、青木……)
逃げ惑う振りをして、私は右足で地面に印を刻んだ。
私とて機会は一度きり。失敗は許されない。
残り四点、火壁の中の最後の挑戦が始った。