第十二話 密かな願い
拓磨め、謹慎中にも関わらず妖怪討伐をしたものだから、謹慎期間が伸びたと聞く。
馬鹿な奴だ、僕を無下にした罰が当たったのだ!
……と腹を抱えて笑っていられたのは、昨日までだった。
元々討伐任務を請け負う陰陽師はそう多くない。妖怪と直接対峙する任務なのだ、それなりに力を持った陰陽師でなければ命を落とすのは明白。
この寮の陰陽師たちのほとんどが、祈祷か占術などの貴族や庶民のための任務に当たっている。それだけそっちの任務の方が需要もある訳だが。
兎に角、元より少数派で任務に当たっていた我々にとって、欠員は相当の打撃である。僕は丈夫な身体をしているし優秀だから大したことではないが、他の陰陽師は既に根を上げ始めていた。
初めは「拓磨の分まで手柄を立ててやる!」と張り切ったものの、流石の僕にも限界はある。
「あの阿呆、復帰したら死ぬほど働かせてやる!」
今は拓磨の分を任務遂行することよりも、拓磨に僕の分まで任務を押しつけることで頭が一杯だ。この数日で点はかなり稼いだはずだ、少しくらいなら休んでも問題はないであろう。
そんな悪い考えに胸を躍らせつつ、僕は心力の回復をすべく精神統一のために廂の外側で胡座をかいた。
心力を温存するために、もう何日も式神すら召喚していない。闇烏は誰かの式神と違って、それで拗ねるような柄ではないのが救いだ。
心力を回復するほどの気を集めるには時間を要するもの。一瞬で収集できればどんなに楽であろうと願ったところで、増えぬものは増えぬのだ。
しかし鵺と交えたあの日、あの男はその一瞬で大量の気を集め、心力を回復させたのだ。僕が鵺と砂爆塵の中で戦っている間、何が起きたというのか。
一つだけ覚えているのは、その一瞬、鵺のものではない別の妖気を感じた気がすることだ。
その妖気を持つ何者かが、拓磨に心力を与えたとでも言うのか?
……否。馬鹿馬鹿しい、妖気を持つ者など妖怪以外に有り得ぬではないか。妖怪が陰陽師に心力を与えるなど、お伽噺話もいいところだ。
疲労でこの僕の頭の中まで腐ってしまったのか? 冗談ではない。
「花見すら楽しむ余裕もないとは……惨い春だな」
例年、陰陽師たちと花見の宴を開くのが恒例の楽しみであったが、この調子ではそれも叶わないであろう。酒を煽る暇があるなら少しでも多くの心力を回復させねば。
陰陽寮の垣根の上から僅かに見える薄紅色に思いを馳せながら、僕はゆっくり目を閉じた。
◇
蒼士が寮で毒付いていた同じ頃、私も屋敷の中庭で気の収集に努めていた。あれから大して陰陽術の発動もしておらず、心力は順調に回復してきている。
式神を常駐させる程度の心力ならば造作もない。
その反面、精神の方はかなりすり減っていた。この三日、陰陽頭の命令通り祈祷任務に明け暮れているのだが……やはり改めて人の相手は嫌悪感しかない。
いい加減お世辞や宴の誘いを流すのには慣れたが、気に入らない奴を呪い殺せと頼んでくる輩が出始めたのだ。こちらは祈祷任務で来ていると断るが、終いには「そんなことも出来ぬ大したことのない奴」で収められる始末。
面倒だからそのまま黙って立ち去るのだが、気分の良いものではない。
大体、自分の手を汚さず人の手を借りようなど、虫の良すぎる話ではないか。
……駄目だ、考えだしたら集中出来なくなってきた。
精神統一を一旦中断し、私は目の前の大樹だったそれを見上げた。
あの日から変わらず真っ黒な桜の木。何度か回復を試みたが、無情にもこの桜からはもう一切の〝気〟を感じることは出来なかった。
生き物なら致命傷でなければ私の気を使って傷を癒やすことができるのだが、生を蘇らすことは不可能だ。
唯一、それができるのは。
「帝に認められた陰陽師……か」
昔、その陰陽師は都に一人だけ存在するのを認められていたらしい。訳あって今はその称号を与えられるのは休止されていると父上に聞いたことがある。その称号を手にすれば、膨大な心力を使うことが出来るらしい。
確かに今、我々が使う陰陽術には〝禁術〟がいくつか存在する。生命蘇生術も然り、五行全ての気を使った陰陽術も封じられている。
それは莫大な破壊力がある分、一度に消耗する心力も半端ない。恐らくは術者の命を守るという措置なのだろうが……何故、今その称号は封じられているのだろうか。
まぁ、どれだけ考えたところで、上の考えなど私には分かるまい。それこそ無駄な時間だ。
『拓磨様』
背後から声をかけてきたのは雫であった。花風に煽られた彼女の髪がふわりと靡く。
そろそろ都の花たちも散り始める頃だ。
『そろそろ次の任務のお時間ですわ』
「あぁ、そうか。気が重いな……」
このままこの茣蓙の上で風を感じていられれば、どんなに心地よく幸せなことであろう。
今から向かうのはその真逆の心労極まりない現場。気が向かないのも当然だ。
「あの妖怪の様子はどうだ」
渋々立ち上がり、雫と共に茣蓙や白湯の杯を片付けながら、私は彼女に尋ねた。
『はい、少しずつではありますが、口から発声するようになりましたわ。まるで赤子の相手をしているようで、不思議な気持ちになりますの』
嬉しそうに話す姿は、世話好きな彼女の性格が溢れていた。そこからはあの妖怪の娘に対する恐怖は一切感じられない。何かあった時の為に護符を預けてあるが、それを使用したことは一度もないようだ。
大人しい妖怪であるのは間違いなさそうだが、この先あの娘をどうしたら良いのか、私はまだ決めかねていた。
正体を知るためにこうして言葉を覚えさせているが、分かったところで私はどうしようと言うのか。どんなに危害がなかろうと彼女は〝妖怪〟なのだ。
『それで拓磨様、一つお伺いしたいのですが』
「何だ?」
巻き終わった茣蓙を整え、狩衣についた砂埃を払いながら聞き返すと、雫は少し言いづらそうに目を伏せた。
『あの子に……お名前を付けて下さいませんでしょうか』
それは確かに意外な申し出であった。都では有害とされる妖怪に、名を付けよというのだから。雫もそれが分かっているのだろう。
『いえ! おかしな事を言っているのは承知ですわ。でも……ものを教える以上、呼びかけるのも何と言ったら良いのか悩みますし。感情はあまり表に出さないですが、悪い子ではないと思いますわ』
ここまで雫が情を移すのも珍しい。彼女も私と同様、他人が苦手な方であるからだ。我々〝家族〟以外には心を許すことはあまりない。
しかし名を与えてしまえば、余計にあの妖怪に執着してしまうのではないだろうか。この先も危害がないという保証は何処にもない。この関係が崩れてしまえば、私はあの妖怪を退治する他ない。
その時果たして我々は、何の躊躇いもなく彼女を始末することが出来るだろうか?
残念だがその可能性だけは、まだ頭の片隅に置いておく必要はあるのだ。
私が陰陽師である以上は。
「気持ちは分かった……少し考えさせてくれ」
一先ず雫の気持ちを受け取ってそう答え、私は暁を呼びつけた。足取りはかなり重いが任務は任務、放棄するという選択肢はない。
雫はきちんと私の考えも理解しており、あまり良い結果も期待できないと思ったのか寂しそうに顔を伏せた。
幼子のようなその姿に何だか気の毒になり、すれ違い様に頭を軽く撫でてやると、彼女は驚いたように顔を上げ、そして少し顔を赤らめ静かに笑った。
それに返すように私も小さく微笑むと、その場を後にした。