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妖かし桜が散るまでに  ~人嫌いの陰陽師と、人を愛した妖怪  作者: 貴良 一葉
第一幕 花芽 ~薄紅の花が開く時~
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第七話 懐かしき母の教え

 ふわふわとした感覚で、私は自身の屋敷の中庭にいた。

 灰となったはずの桜の木には青々とした葉が広がっており、気持ちよさそうに揺れている。


「そうですか、〝気〟が上手く掴めませんか。それは困りましたね」


 そんな声がして顔を上げると、困った顔をして首を傾げる母上がそこにいた。

 有り得るはずのない姿に驚いたが、私は自由に動くことも声を発することも叶わなかった。


「はい、これが出来ないと心力(しんりょく)も使えません。ですが……もう僕はどうすれば良いのか分かりませぬ」


 意識とは裏腹に、勝手にそんな言葉を話していた。目元には涙が浮かび、必死に母上に訴えているのだ。出来ないことに葛藤し、狩衣の前裾を強く握りしめている。


 状況を理解するのにそう時間はかからなかった。

 これは夢だ、幼き頃の私の夢を見ている。


 陰陽師の修行で誰もがぶつかる〝気〟の壁。当然私も始めから出来た訳ではない。師である父上の教えはただ「感じろ」というもので、正体が見えない相手に幼子は苦悩するばかりだ。

 そしてそれを母上に訴えても仕方ないと分かっていても、潰れそうな胸の内を吐露せずにはいられなかったのだ。


 そんな息子の姿に母上は叱ることなく、真っ直ぐに見据えた。


「焦っても仕方ありません、出来ることから成すのです。まずは〝声〟に耳を傾けなさい」

「こえ……?」


 母上は陰陽師ではないが、その妻として心得は理解していたに違いない。才色兼備であった彼女は幼い私に助言をくれた。


「そうです。陰陽師の基礎は五感を磨くことと聞きます。その第一歩として、目を閉じあらゆる声を感じるのです。水の声、炎の声、木々の声、風の声、鳥の声、勿論人々の声も……世の中は様々な〝声〟で溢れています」


 母上がまるで手本を見せるように、目を閉じ耳に集中し始めたので、私もそれを真似て目を閉じた。確かに視界の刺激がなくなることで、耳に集まる音により集中することができた。

 そして母上はこう続けた。


 声を感じることができたら深く息を吸って、匂いを胸いっぱいに取り込みなさい。

 鼻が利いてきたらそっと目を開いて、光や色、足下から空の果てまで広く見渡しなさい。

 更にそこから歩を進め、多くのものに触れ、そこから生ける物の〝生〟を感じなさい。


 より多くの感覚を磨くことが出来れば、小さな変化に気づくやも知れません。


 ――母上の教えは、日常の中の感覚を取り入れるための示唆には十分であった。難しく考えず、自然の存在を感じることで〝気〟の存在に近づくことができたのだ。


「どうです、出来そうですか? 拓磨(たくま)



 優しい母上の声が心地よく耳に残る中、私は静かに目を覚ました。


 平癒殿(へいゆでん)に流れてくる風の中に、春の香りを感じる。この暖かさだ、街中の桜並木たちは蕾を開いたのだろう。

 嬉しさの反面、五感を研ぎ澄ませる楽しみを教えてくれた母上も、その母上の形見である桜さえもうこの世にない事実を噛みしめ、改めて悔やんだ。


 眠ったことで動けるだけの体力は回復していた。体を起こし、御簾(みす)を開いて(ひさし)の上で座禅を組む。落ち込んでいる暇などない、一刻も早く雷龍(らいりゅう)に対峙する力をつけなければならない。

 先ほどの夢を思い出しながら、私はその場で再び静かに目を閉じ、深く息を吸い込んで感覚を研ぎ澄ませた。水の滴る音、肌を滑る風、土の匂い、太陽の光……五感を通じて五行と陰陽の存在を感じ、気の力へと変える。これが心力となるのだ。

 しかしそれは劇的に増大するものではないく、根気よく続けることが必要不可欠。毎日の積み重ねで大きな力とするものであり、恐らく元に戻るまでには三日ほどは必要だろう。それまで任務が祈祷とは……かなり気が重いのだが。


 ここでは最低限の心力を付けるに留め、私は早急に寮を後にした。

 寝所の上に乱雑に書いた置き手紙を見つけた雅章(まさあき)殿が、寂しそうにその手紙を抱きしめたことなど知りたくもない。



 陰陽師の本拠地・陰陽寮は帝が住む平安宮の内部にある。私の屋敷はそこより西側、平安京全体の北側寄りにある。桜並木が美しいのは平安宮の前に広がる大通り・朱雀大路(すざくおおじ)が有名であるが、平安の民に親しまれている桜は、比較的どこの通りでも目にすることができた。

 ようやく花開いた桜……折角ならそれを眺めていきたいのは山々だが、名が付いている通りを歩くと流石に目立つ。よってあまり整備のなされていない地味な通路を歩く他なく、自然と小さな溜め息を吐いた。


 道すがら庶民とすれ違うことはあるが、陰陽師がこうして街中を歩くことは別段珍しいことではない。彼らも昨日の雷龍を目撃しているのだろう、どことなくその目の奥には突然現れた強靱な妖怪の存在に、不安と恐れが見えていた。

 何かを訴えようとしてくる者もいたが、残念ながら私は彼らに寄り添う優しさなど持ち合わせていない。自然と足取りは駆け足気味になり、気づかぬ振りしてその場を颯爽と抜けた。



 息の詰まる思いをしながらも、ようやく屋敷へ辿り着いた。一人岐路に就くだけでこの様だ、何と無様なことか。更に屋敷に自分以外の陰陽師が張った結界があることに気づくと、心力を使い果たした自分に嫌気すら差した。

 この結界は決して私に対する嫌みではないのは分かっている。心力が切れたことで結界が消失したため、妖怪の襲撃に遭わぬよう誰かが張ってくれたのだ。……まぁ、蒼士そうしではないということだけは容易に見当が付く。


 その結界を解除し、改めて()()結界を張り直す。既にそれくらいの心力なら取り戻していた。しかし私はそこで妙な気配に気がついた。雷龍の時と同じく、それは屋敷の内部からだった。


 まさか早くも奴が? それにしたって、やけに緩やかな波長だ。


 念のため警戒心を張り、恐る恐る屋敷の中へと侵入する。中庭に進むにつれ焦げた臭いが鼻を付き、胸が痛んだ。出来ればあの姿はまだ目にしたくもなかったが、無情にもその気配はその桜があった場所からであった。

 護符を準備し、中庭へと飛び出す。……のだが。


「……は?」


 思わず抜けた声を上げてしまった。

 そこに居たのは雷龍とはほど遠い、見知らぬ娘の姿だった。歳は私よりも若く見え、栗色の長い髪に、薄紅色の単衣を身につけていた。どうゆう訳かその娘が、中庭の真ん中で気を失って倒れているのだ。


 何より気になるのは、この娘から感じる気だ。これは人のものではなく明らかに妖怪のものだった。陰陽師の結界を拭って、妖怪がどうやってここまで来たというのか。雷龍は父上を装って侵入したのだが、この娘はその類いの違和感もない。

 寧ろ本当に妖怪なのか? と疑う風貌だ。どう見ても何処かの姫君だ。いやしかし私が気を取り間違えるはずがない。


 ならば退治すべきか? ……どうする。


「はぁー……」


 ここ最近で一番盛大な溜め息を吐き、結局私はこの娘を屋敷で休ませることにした。目を覚まし襲われたところで、この娘から感じる妖気は微量で大した力でもないであろう。しかし念のため、この娘の周りにも小さな結界を張った。

 昨日から次々と異例なことが起こり、思考は既に限界だった。いつもであればすぐ隣に明るく笑う家族がいるというのに。


 祈祷の任務は明日からの約束で、今日は完全なる非番であった。ここは早く暁たちを呼び戻すためにも、心力回復に専念するとしよう。

 そうして私は深く眠る穏やかな顔つきの娘を一見し、再度精神を研ぎ澄ませるのであった。

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