第零話 桜を愛でる者 ※表紙あり(末筆)
其方、花見と言えば何の花を思い浮かべる?
……あぁ、言わなくても良い。花は四季折々で数えきれぬほどあろう。
好みの花も人それぞれ、聞いたところで十人十色だ。
だが恐らく〝花見〟と言うならば、多くの者が同じ花を思い浮かべるはずだ。
淡い紅の、小さくて可憐な花。
私が生きた平安時代はこの花を「花が咲く木」と呼び、「咲く」に複数形の「等」を語尾につけたものを転じて、呼び名をつけたそうだ。
もうお分かりだな? そう、その花は「サクラ」という。
この時代、〝花〟と言えば桜のことを示すほど、桜は花の代名詞であった。
多くの人は言う。「桜は散るからこそ美しい」と。
あぁ、確かにそうだ。
だが、忘れてくれるな? 花が舞い散った後も桜は生きているのだ。
青々とした葉を付け、陽の恵みを蓄える季節。
新芽を出し、紅葉が始まる静かな季節。
凍えるような寒さに耐え、次の陽を夢見る季節。
そんな途方もない時を待ち、やっと再び開いた花は五日ほどで散ってゆく。
だから人は彼らを「儚い」というのだ。
見よ、彼らの生命力を。何という力強さ。何という忍耐。
しかし、花の散った桜を注目する人が、どれほどいよう。
花のない桜を肴にするものが、どれほどいよう。
彼らは今だって、こんなにも懸命に生きているのに。
――私は知っている、〝彼〟はそんな桜をどんな時も愛でているのを。
その温かな目に見つめられ、優しい声をかけられ、大切に触れられて、桜はどんなに幸せであったろう。
桜もずっと〝彼〟を見守ってきた。
幼き頃に出会ってから、苦しい修行に励んだ時も、愛する母を亡くした時も、その後も必死に生きたことも、ずっと見守ってきた。
桜は、この男を好いていたのである。
……あぁ、何故私がこんな話をしているかって?
何故だろうな、不思議と桜を見ていると、いつもこのような話をしてしまうのだ。
さて、其方はもっと〝彼〟のことを知りたくはないか?
ならばそろそろ、私はこの辺りでお暇しよう。
しかしどうかな?
彼は家族と桜以外とんと興味のない、妖怪討伐ばかりの陰陽馬鹿ときた。
其方の相手もしてくれるかどうか。
……まぁ待て、彼は決して悪い人ではない。
ただ、ちょっとばかり心を閉ざしてしまっていてな。家族としか口を聞かぬのだ。
ほら、見ろ。彼がまた庭の桜を見上げているぞ。
もうすぐ咲く桜、楽しみであろうな。
私の話はここまでだ。
ではまた、会う時まで。ゆるりとしていくが良い。