落ち着いて下さいまし!
「うわあああああああああ!」
シンは叫ぶ。
「ひゃあああああああああ!」
少女も同じくらいの声量で叫ぶ。
「はぁ…はぁ…」
「はー…はー…」
その後二人は落ち着く。
「その、ごめんなさい。急に叫んでしまって。」
「いえいえ。慣れっこといえば慣れっこですので…」
少女の右手に、青白いオーラが纏わる。
オーラは一つの塊となって少女から離れ、シンの目の前に霊体の馬を形成する。
少女は馬の上にシンの獲物を乗せると、何処からか取り出した草の糸で括り付ける。
「その、もし宜しければ使って下さい…」
少女は霊体の馬に、草木で出来た鞍を乗せる。
「え、良いんですか?」
「はい。誰かと会話が成立するのが久し振りで、その、凄く楽しかったので。」
少女はシンを抱き上げると、そっと鞍の上に乗せる。
「ありがとうございます!何とお返しすれば良いか…」
「いえいえ、お気になさらずに。」
シンは、ついでで狩った熊をあげようと思ったが、振り返るとそこにはもう異形の少女は居なかった。
(あんな生き物見た事無い。精霊?でなければ、変異した魔物かな。何だろう…)
シンが帰ろうと思った瞬間、馬は城に向けて駆け出した。
〜〜〜
「…ん?」
キリエは、言い知れぬ違和感で眼を覚ます。
体の一部が何処か遠くにある様な、そんな感覚である。
「もしや…わたくし、またおね召しちゃったのかしら…」
キリエは顔を赤くしながら、神器を呼び出す。
【死銃メシェドラ】は現れたが、そこには【紅剣シャルロテ】の影も形も無かった。
「ああああまずいですわまずいですわまずいですわ!あれは素人が扱える代物じゃ…」
キリエの部屋のドアが開く。
微かに血の匂いを帯びたシンが帰ってきた。
「ただいま戻りました。少し、夕飯の用意を…」
シンの手には、シャルロテが輝いている。
「あと、私の名前はアムニーズじゃ無くてシンですよ。」
「遅かったですわ…」
キリエはベッドから飛び起き、シンの両肩に手を乗せる。
「何人ですの?」
「え?」
「それで何人斬ったんですの?」
「えっと、[ビッグベア]と[大猪]を一頭づつ…」
それを聞いたキリエは、シンに抱き着く。
「ああ良かった。殺戮衝動には駆られずに済んだのですわね。ああ、本当に良かった。」
「もしかして私、何かやっちゃいましたか?」
「良い、シン。とても危険ですので、わたくしが呼び出した物には極力触らないで下さいまし。良いですわね?」
「はい。その、ごめんなさい。」
「良いんですのよ。何事も起きなかった訳ですし。」
キリエは大切な召使いの頭を撫でながら、思慮に耽る。
(だとするならば、シンにこってりとこべりついた、この禍々しい魔力は一体…)
「シン。行きか帰りに、誰かと会いました?何か、呪詛系魔法を使う術者かモンスターに。」
「特に…あ、そう言えば森の奥で、見たことの無い生き物に出会いました。」
「見た事の無い生き物?」
「はい。一見すると女の人みたいなんですけど。ツノが生えてて、下半身が百足と蜘蛛みたいになってて、手は狼みたいで、でも凄く親切で優しい方でした。ああ、あとご主人様のよりも大きな翼が生えていました。」
「???」
キリエは、シンの話した情報を脳内で組み立てる。
出来上がったのは、にわかに存在するとは思えない、珍妙な姿をした何かだった。
(考えられる可能性としては[キマイラ]ですが…親切で優しい?あの年がら年中体の中で喧嘩し続けているだけの畜生が?)
「頭は何個ありましたの?」
「多分一つか二つありました。喋っていたのは人間型の頭です。」
「成る程…」
キリエの翼が、数度はためく。
「少し、わたくしも会いに行ってきますわ。」
その口調があまりにも冷たかったので、シンは思わず困惑する。
「え?」
「優しさでつけ入ろうとしているだけの魔物なのか、本物の良き者なのかを見定めたいですの。」
「本当に良い人なんですって!私が獲物が重くて困ってたら、馬まで貸してくれましたし!」
「その程度の善行なら、詐欺師でも盗賊でも出来ますわ。」
キリエは翼を広げ、窓の前まで移動する。
(あの魔力には、並々ならない悪意が混じっていましたの。絶対にまともな存在では無いですわ。)
「シン。貴女は少し純粋過ぎますの。誰かを本当に“良い人”と断言する時は、その誰かの本質を完璧に理解してからにしなさい。」
キリエは微かに振り返り、シンに流し目を投げ掛ける。
その瞳は、月光を反射し輝く血溜まりの様に、淡い光をたたえている。
「勿論、わたくしも含めてですわ。一度抱かれた程度で好意を抱く様な、安い女にはならないで下さいまし。」
キリエはそう言い残すと、窓から外界に躍り出る。
一人残されたシンは、去り際に自身に向けられた流し目を噛み締めていた。
その目はとても美しく、しかし何処か冷たく、そしてとても寂しそうだった。
〜〜〜
(確かに大きいですが、別に危険な環境と言う訳では無し。魔物の気配もしますが、恐らくわたくしの気配で逃げ出してしまっていますわね。)
キリエは見上げる。
森の至る所に、両手のひら大の大きさのオレンジ色の卵型の果実、【エメルの実】がたわわに実っていた。
名前の由来は古代語で“甘い卵”を意味する単語から来ており、食用果実の中ではメジャーな物だった。
(一個でもスキルを持っていれば、暮らせるくらいには平和な場所ですわね。)
キリエは尾を伸ばし、熟したエメルの実を一つ落とす。
「はむ。」
しっとりとした柔らかい果肉を噛む毎に、口の中に天然のジュースが広がる。
甘く、下の奥には僅かに酸味が乗り、鼻からは清涼感のある果実の香りが抜ける。
(【エメル酒】も良いですが、やっぱりそのまま食べても美味しいですわ。)
キリエは果実を完食すると、中にあったアーモンド型の種を適当に放り投げる。
1年もすればまた此処に新たな木が生まれ、10年後にはその木の木陰で、誰かが果実を食べている事だろう。
「…!」
不意にキリエは可能な限り尾を縮め、臨戦態勢に入る。
左手には銃、右手には剣も携えて。
「その剣…貴女があの子の主人ですか?」
百足型の下半身が、木々の間を縫っている。
少女が、キリエを睨んでいた。
「やっぱり、シンの言葉に誤りはなかった様ですわね。」
シンは少女の容姿をまじまじと見つめる。
その体は無数の魔物が縫合されて出来たかの様にも見えたが、違和感は無かった。
「あんな子供に狩りをさせるなんて…恥を知りなさい!魔族!」
少女は、大きな図体からは想像もつかない程の速度でキリエに這い寄る。
キリエはそれを見ると、武装を解除した。
「…?私を舐めないで!」
少女は、獣型の腕をキリエに振り下ろされる。
キリエはそれを、左手で受け止める。
「私は聖セトグラス共和国第七聖騎士団、神の鞭、副団長!チシャ・カダーラ!」
チシャのか細い左手が、キリエの首に伸びる。
キリエはその手首を右手で掴み、ついでにチシャの首に尾を巻き付ける。
「チシャですのね。覚えましたわ。」
チシャの蜘蛛足が、キリエの尾を掴む。
8本の足が別々の方向にキリエの尾を引っ張ったが、キリエの体で最も硬い部位の尾が千切れる事は無かった。
「少し話がしたいですので、少し、」
キリエは、チシャを背後に投げ飛ばす。
「…!」
「落ち着いて下さいまし!」




