三分遅れ
僕がバス停に着いた時、ベージュのコートを着た女がすでに立っていた。僕は雨に濡れない位置に立って、差していた傘を畳んだ。
「雨、止みそうにありませんね」と声がしたので、僕は横を向いた。女は僕の方を見ていた。
「そうですね、止みそうにない雨って、なんとなくわかりますよね」と僕は言った。手が少し濡れていて、これは傘を畳む時に濡れたのだと思った。女が雨を見ていたので、僕も雨を見た。
「雨ってよく見ると粒が見えますね」と僕は言った。女とは初めて会ったが、歳は近そうだった。
「今気付いたの?」
「いえ、ずっと前から気付いてました」
僕は冗談を言ったつもりだったが、それは伝わっただろうか? 雨が少し強くなった気がする。僕は顔をほんのちょっと女の方に向けて、話をした。
「昔、小学生の頃、図工の授業で絵を描くことがあって、僕は線で雨を表現したんです。切れ切れの線を書いて。そしたら、僕の絵を覗きに来た先生に、雨はこんな風に降ってこない、って怒られて。で、僕はそこから雨を丸で書いて、たくさんの丸で書いて、大きな雲を落っことしたんです」
「雨はくっついてた?」
「そう、たくさんの雨をくっつけて書いたんです。そしたら、雲は落ちてこない! ってまた怒られて」
「怒られてばかり」
「僕は聞いたんです。どうして雲は落ちてこないんですか、って」
「そしたら?」
「殴られました。ゲンコツってやつです」
「痛かった?」
「ものすごく。画用紙に涙が落ちて、それがシミになりました」
遠くの信号で、バスが止まっているのが見える。もうすぐここにやってくる。
「僕はよく人に嫌われるんです」と、ふいに言ってから、なぜか、ずっとこれが言いたかったのかもしれない、と思った。
「もうすぐバスが来ますよ」と僕は言った。見れば分かることだ。
「ええ、三分遅れ」と女が言って、僕に一歩近付いた。