レベル6 兄と妹
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目を覚ますと目の前に、ドアップでユズの顔があった。
まだ窓の外は暗いから夜だと思う。
俺は静かにベッドから出る。
「んっ、どうしたの?」
ユズは目を覚まし、目を擦りながら俺を見る。
「ごめん。起こしたみたいだね」
「ううん。大丈夫だよ」
「俺はソファで寝るよ」
「今日が私がここで過ごす最後だよ? 最後くらい、いいんじゃない?」
「なあ、最後なんて言わないでくれないかな?」
「どうして?」
「本当に最後になってしまいそうだからね」
「もしかして、私がいなくなると思ってるの?」
「怖いんだ。ユズが昔のように俺から離れていくのが」
「ねぇ、こっちに来てよ」
ユズに言われて俺はユズに近付く。
するとユズは起き上がり俺の腕を引っ張り、バランスを崩して倒れ込む俺を抱き締めた。
「私は昔の私じゃないわ。何も知らない私じゃないわ」
「うん」
「大丈夫。きっと大丈夫だから」
「うん」
ユズも自分に言い聞かせるように言っているんだ。
「俺、トイレに行きたくて起きたんだけど?」
「えっ、嘘、ごめんね。早く行ってきて」
そして俺はトイレに急いだ。
もっと長くユズに抱き締めてもらいたかった。
もっと長く温かいユズに包まれたかった。
俺の膀胱よもっと我慢しろよ、なんて思ったくらいに。
部屋へ戻るとユズは眠っていた。
ユズの寝顔は美しい。
頬に手を添える。
柔らかい肌が気持ち良い。
そしてユズの隣に寝る。
ユズを起こさないように、ゆっくりベッドへ入る。
そして朝、目を覚ますとユズはいなかった。
俺は不安になった。
急いでユズの家へ行こうとベッドから起き上がると、机の上に書き置きがしてあった。
書き置きには、部屋を掃除してエアコン修理の業者の人を呼びたいと書いてあった。
良かった。
ユズはちゃんといる。
それから夏休みも終わり、また学校が始まる。
ユズと同じ制服を着て、ユズと一緒に学校へ行く。
俺が卒業すればユズとはもう、一緒には行けない。
離れるのはもう嫌なのに。
「今年の体育祭は隣の男子校と合同でするみたいだよ」
ユズと一緒に下校途中にユズが汗をタオルで拭いながら言った。
まだ残暑で、涼しいとは程遠い。
「隣の男子校?」
「あまり良い噂は聞かない男子校よ。校長同士が仲が良いみたいで合同になったんだってよ」
「俺は体育祭よりユズだよ」
「レンは自分の人生を楽しむより、私の人生を一緒に楽しみたいの?」
「だってこれを最後の転生にしたいんだよ」
「それならレンは精一杯、今の人生を楽しみなさいよ」
「それは、そうしろって何かを感じ取ったってことなのか?」
「いいえ。レンの楽しんでいる所を見たいだけよ」
「えっ」
「レンの楽しんでいる所なんて一度も見たことないわ。中身は何百か何千歳のレンなのかもしれないけど、今のレンはまだ高校生よ。学生生活を楽しまなきゃね」
ユズはそう言って微笑んだ。
学生生活なんてほとんど楽しんでいない。
大人になって、ユズと結婚する為には当然のようにやってくる無駄な時間。
早く過ぎ去ってほしい時間だった。
「俺が楽しむとユズも楽しめるの?」
「うん。みんなで楽しむから思い出に残るのよ」
「学生時代の思い出なんて覚えていないよ」
「そうね。レンは他にたくさんの世界を生きてきたんだもの。新しい記憶を上書きしなきゃ入る場所がなくなっちゃうものね」
「違うよ。本当に覚えてないんだ。学生時代の記憶はユズとの結婚に必要ないからね」
俺がそう言うと悲しそうな顔をしてユズは俺を見た。
「こんなにたくさん転生して色んな世界を経験してもレンは私との記憶しかないの? 友達や家族との記憶はないの?」
「必要がないからね」
「必要がないかぁ。私には全てが必要なことだと思うわ。それがレンの人生なんだから」
「俺の人生はユズと幸せな暮らしをすること。ユズと結ばれることなんだよ」
「私に執着し過ぎね」
「ユズを愛し過ぎなんだよ」
「愛とは違う気がするわ」
ユズはそう言って考えだした。
何を考えているのだろう?
「分かったわ。体育祭までレンと会わないわ」
「えっ」
「レンが体育祭を楽しむ為にはそうしなきゃね」
「そんなの無理だよ」
「私は決めたの。レンも覚悟を決めなさいよ」
体育祭までなら一ヶ月くらいだろうか?
一ヶ月くらいだったら、俺の今までの我慢に比べたら短いくらいだ。
仕方ない。
「やってやろうじゃん」
「それなら決まりね。体育祭を楽しもうね」
「そうだな」
俺はユズに嘘をついた。
本当は学生生活を覚えていることがある。
あれは、俺と彼女が恋人にはなれない関係だった時の記憶だ。
◆◆◆
「兄様。起きて下さい」
「ん? もう朝なのか?」
「そうですよ。学校へ遅刻しますよ」
「学校なんて行かなくていいんだよ。俺の可愛い妹と一緒にいればね」
「ダメです。兄様は頭が良いのですからたくさんお勉強をして偉い方になるのですよ」
「俺が偉くなったら、ウタは俺の側から離れないのか?」
「そうですね。私をもらってくれる方はいないでしょうからね」
ウタは悲しそうな顔をして言った。
しかし俺は嬉しいことなんだ。
だってウタは誰とも結婚なんてしないんだ。
俺ともできないが。
彼女は俺の妹として生まれ変わった。
そして重い病が身体を蝕んでいる。
誰も治せない。
でも無理をしなければウタはちゃんと生きられる。
ウタと俺が一緒に生きていければ、それもハッピーエンドなんだと思う。
ウタが俺の側から離れなければいいんだ。
「兄様。お弁当を作ったので忘れないで下さいね」
「ウタの愛情たっぷりの弁当だよな?」
「妹の愛がたくさん入っております。ですので学校へお急ぎ下さい」
「分かったよ」
そして俺は学校へ向かう。
俺は何度も生まれ変わっているから頭は良い。
この世界の人達が知らないことも俺は知っているからね。
「あっ弁当を忘れた」
お昼休みに弁当を食べようとして弁当が鞄に入っていないことに気付いた。
今日は昼ごはんは無しだな。
「兄様」
ウタの声がした。
俺が教室のドアを見るとウタが立っていた。
「何で来たんだよ? 大丈夫か?」
俺はそう言いながらウタの元へ走った。
無理をしてはいけないウタに無理をさせたかもしれない。
「兄様がお弁当を忘れるからですよ」
「それは俺が悪いけど、ウタが持って来なくても良かったんだよ」
「私以外に誰が持って来るのですか?」
「弁当は無しで良かったんだよ」
「せっかく持って来たのに、兄様はありがとうも言ってくれないのですか?」
ウタはプンプンと怒っている。
そんなウタも可愛い。
「ごめん。ありがとう」
「いいのです。兄様の為に私ができるのは、母のように助けることなので」
「母って、ウタはまだ俺より若い女の子だろう?」
「でも、兄妹二人で生きていくには私が母のようにならなくてはなりません」
「それなら俺は君の旦那様だね」
「いいえ。兄様は兄様です」
それからウタを一人で帰らせるのは、何かあったら困るから、学校が終わるまで後ろで授業の様子を見学してもらった。
クラスメイト達はウタをチラチラと見ていた。
可愛いから見ているのは分かる。
だって鼻の下がみんな伸びているからだ。
俺は授業が終わるとすぐにウタの手を引き、家へ帰る。
ウタが無理をしない程度の速さで歩く。
「兄様。お友達とお話などしなくても良かったのですか?」
「いいよ。ウタはあの学校にいてはいけないからね」
「どうしてですか?」
「ウタは注目の的だったからね」
「私がですか?」
「うん。ウタは俺のモノだからね」
「私は兄様の妹です」
「だから俺のモノなんだ」
俺がそう言うとウタは違いますと言いながら、嬉しそうに笑っていた。
このウタの笑顔をこれからも、ずっと隣で見守り続けることができると思っていた。
ウタは学校の行事は何でも参加した。
ウタと色んな思い出ができた。
一度だけウタが学校の制服を着た時には、ウタが可愛くてずっと見ていた。
ある日、俺は学校の校長に呼ばれた。
そして国が俺に、国の為に働かないかと誘っていると校長が告げた。
校長は働くと決めれば、ウタが生きていくだけのお金は国が用意してくれると言った。
しかし、ウタとは離れて暮らすことになるとも言われた。
ウタと離れて暮らすなら国の為に働くことはしたくない。
俺はウタを優先したいんだ。
ウタにはこの話は言わないでおこう。
ウタなら必ず、国の為に働けるなんて幸せだと言うはずだ。
ウタは俺の頭脳を、もっと必要な所で使って欲しいと思っているからだ。
ウタは俺の扱いを良く分かっている。
俺が学校に入ったのもウタが言ったからだ。
「私を誰が生かしてくれるのですか?」
「俺だよ。ウタの身内は俺だけなんだからね」
「そうです。だから兄様は学校へ行って卒業したら、国の為に働くのです」
「俺は今のままでも大丈夫だよ。それに、学校に行ってる間、ウタはどうするの?」
「私は家でできる簡単なお仕事をします。兄様の為に私も何かをしたいのです」
「ウタは無理をしてはいけないんだよ?」
「自分の身体は自分が一番、知っております」
ウタのその時の顔には決意が表れているようだった。
ウタに何を言っても無駄なのがよく分かった。
そして俺は仕方なく学校へ通うことにしたんだ。
そんなウタに今回の仕事の話は絶対に知られてはいけない。
それなのに、家へ帰るとウタは嬉しそうに言ってきたんだ。
「兄様。どこで働くのですか?」
「えっ、何の話なのかな?」
「私は知っておりますよ。兄様は学校を卒業せずに国の為に働くのですよね?」
「それは、その、俺は、、、」
「兄様。もしかして働かないなんて言いませんよね?」
「それが、そうなんだ」
「兄様。私と兄様は血が繋がっているのですよ? いつまでも一緒にいることはできないのです」
「血が繋がっているから、いつまでも一緒にいられるだろう?」
「いいえ。兄様はいつか可愛いお嫁さんをもらって、幸せに暮らすのです」
「俺は結婚なんてしないよ」
「兄様。それはできないことはお分かりですよね?」
ウタは呆れた顔をして言った。
そうなんだ。
この世界では結婚しない人は見下される。
結婚できないということは、良い所がないと思われ、評価が落ちる。
他人の評価で自分の価値が決まるんだ。
誰もが大人になれば結婚をする。
誰もが他人の評価が高い相手を選ぶ。
誰もがそれを幸せだと思って。
「俺がいなくてウタはどう生きていくんだよ?」
「私は大丈夫です。それは兄様が一番、分かっておられるでしょう?」
「国がウタを一生、面倒をみると言っているがウタはそれでいいのか?」
「兄様が立派な方になられるのなら、私はここで一生を過ごしてもかまいませんよ」
「ウタはここで幸せに暮らせるのか?」
「ここには兄様との思い出がたくさんあります。私のことは気になさらず、どうか立派な方になられて下さい」
ウタの顔にはまた、決意が表れている。
俺が何を言っても決意は変わらないだろう。
ウタのことは心配だ。
でもウタが死ぬ訳でもない。
いつでもウタには会えるのだから大丈夫。
俺は国の為に働くことを決めた。
家を出ていく前に俺の同級生に、ウタの様子をたまに見てくれるように頼んだ。
俺は国の為に働いた。
俺には国の評価があり、結婚などしなくても十分に評価が高かった。
俺はどんどん高い地位を手に入れた。
仕事ばかりでウタに会うことはなかった。
手紙の一枚を書く余裕もなかった。
ある日、ウタから初めての手紙がきた。
その手紙にはウタが結婚をしたと書いてあった。
その相手は俺がウタのことを頼んだ友達だった。
ウタは遠くにいる俺よりも、近くにいる友達を選んだ。
ウタが困った時に手を差し伸べてくれた、俺の友達を選んだんだ。
俺はそんなウタを許せなかった。
俺には結婚なんてできないと言っていたのに、俺より先に結婚をするなんて。
俺は手紙の返事も、おめでとうの言葉もウタには贈らなかった。
その手紙から一年後、ウタは亡くなった。
俺がそれを知ったのはウタからの手紙だった。
ウタが妊娠をして不安や希望を手紙に書いていた。
そして一番、驚いたことは俺達は兄妹ではないということだ。
ウタは俺が家を出てから両親の手紙を見つけ、兄妹ではないことを知ったようだ。
俺には言わず、秘密を一人で抱えていた。
ウタは俺が知れば帰ってくると思ったのだろう。
そしてウタの隣から離れないことを分かっていたのだろう。
そして最後に、大事なことが書かれていた。
『これを読んでいるということは、私はこの世にいないのでしょう。
兄様。会いたかったです。
ずっと大好きです。』
俺はすごく後悔した。
ウタを置いて一人で働いたこと。
ウタの言うことを優先してしまったこと。
ウタの気持ちに気付いてあげられなかったこと。
全てをウタのせいにしたこと。
「ごめん。全て、俺が悪いんだ」
俺はウタの手紙を読んで子供のように泣いた。
謝りたいのに謝る相手はもういない。
◆◆◆
「ちょっとお兄ちゃん」
俺が自分の部屋で昔のことを思い出していると、妹のサラが俺を呼んだ。
この世界で俺には妹がいる。
妹は可愛いが、昔の妹に生まれ変わった彼女を想うような感情はない。
「お姉ちゃんって恋人がいるの? お兄ちゃんは捨てられたの?」
サラはユズをお姉ちゃんと呼ぶ。
昔からサラとユズは仲が良い。
俺よりも仲が良いかもしれない。
「何で恋人がいるなんて言うんだよ?」
「だって今日、男の人と一緒に歩いてたよ?」
「それ、何処で見たんだよ?」
「お兄ちゃん達が通ってる高校の前だよ」
「一緒に歩いているからって恋人とは限らないだろう?」
「そうだね。お兄ちゃん達も、いつも一緒にいるけど恋人じゃないものね」
「何だよ。その嫌味は」
「お姉ちゃんが誰かに取られちゃうよ?」
「サラに言われなくても分かってるよ。でもユズには時間が必要なんだ。俺は待つことしかできないんだ」
「お兄ちゃんはどれだけ待てばいいの?」
「それはユズが決めることだからね」
サラはお兄ちゃんはいつもお姉ちゃん優先なのねと言って部屋を出ていった。
ユズ優先なのは当たり前だ。
何も知らないユズに押し付けることはできない。
しかし、ユズと歩いていた男が気になる。
俺と会わない間にユズを狙うやつが現れたのか?
もしかして、ユズがその男と一緒にいたいから、俺と会わないと言ったのか?
ユズのことを優先すると、俺はどんどんユズから離れていく気がする。
でもユズの気持ちを無視して、俺が決めてもユズは幸せにはならないんだ。
どうすればいいんだ?
何度考えても答えは出ない。
何度転生しても答えは見つからない。
読んでいただき、誠にありがとうございます。