表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/25

レベル17 黒い瞳と黒い瞳

「ねえ、ユズ。文化祭の日のように、コーヒーを作ってよ」


 俺は、前世の思い出を話す時の空気を和らげたくて、ユズにコーヒーを頼んだ。


「でも、こんなに暗かったら作れないわ」

「携帯電話のライトで作れるだろう?」

「そうね。携帯電話のライトがあるのを忘れていたわ。こんな暗闇にいる必要はないわよね」

「俺は暗闇がいいんだ。話をする時はね」

「分かったわ。コーヒーを作る時だけ携帯電話のライトを使うわ」


 それからユズはコーヒーを作ってくれる。

 インスタントコーヒーの粉をカップに入れて、お湯を注ぐ音がする。


 俺は目を閉じて耳や鼻で感じる。

 コーヒーの良い香りが部屋中に広がる。

 そしてユズの、心地良い鼻歌が聞こえる。


 この時間がとても幸せに感じる。

 時が止まったようだ。

 この時間がずっと続けばいいと思ってしまう。


 ユズと俺の二人だけの世界。

 俺がずっと望んできた世界。

 叶わない世界。


「できたよ。どうぞ」

「ありがとう」


 ユズが携帯電話のライトを消して、俺の手にカップを渡してくれる。

 俺の手を握り、カップの元へ誘導してくれる。


「温かい。でもユズの手は少し冷たいね」

「それは心が温かいからよ」

「高校生になっても、そんな子供っぽいことを言うのか?」

「それなら、冷え性だからよって言えばいいの?」


 ユズは拗ねたように言っている。


「いいや。ユズはそのままでいいよ。今の気分に合った言葉を言えばいいんだ」

「だったら、からかわないでよね」

「だってユズが可愛いからね」

「見えないくせに」

「見えないけど感じるよ。ユズの息遣いや、ユズの心臓の音。ユズの手の温もりも」

「もう! 私の話はいいわ。早くお話の続きを聞きたいわ」

「そうだな。彼女が目を閉じて俺の手を握った所からだったよな?」

「うん」


◆◆◆


 彼女は僕に全てを預けるように、強く手を握った。

 彼女が僕を信頼している。

 その信頼が嬉しかった。


 いつもは僕が人を信頼して歩くしかないのに、今は彼女が僕を信頼して、一緒に暗闇を歩いてくれるんだ。

 僕の世界を彼女が一緒に。


「見えないって怖いわね」

「そうだね。今まで見えていた世界が暗闇なんだからね」

「そうじゃないわ。私は孤独に感じるわ」

「えっ」

「私しかいない世界にいるみたいよ。寂しくて、怖くて、それでも逃げられないの」


 彼女の不安そうな声は僕も不安になる。

 だって僕と彼女は同じ世界にいるから。


「僕がいるから。見えなくても僕がいるよ」


 僕は彼女の手をギュッと握った。

 彼女はギュッと握り返してくれた。


「このまま僕の家の周りを一周するよ」

「うん。ゆっくり歩いてね」

「分かってるよ」

「今、気付いたけど、あなたって歩くのが速かったのね?」

「だってこの道を何回、歩いていると思っているの?」

「そうだね。これからは私と一緒にゆっくりと歩こうよ」

「うん。君と歩くのは楽しいからね」

「私もよ」


 彼女が笑っているのは分かった。

 彼女の笑顔が見たいと思った。

 絶対に見ることはできないのに。



 彼女とは毎日のように会った。

 いつも彼女は油の匂いがして、彼女自身の香りはしない。


「君ってどうして油の匂いがするの?」

「私のお仕事のせいよ」

「君は仕事をしているの? でもまだ若いよね?」

「学校に行くお金なんてないもの。仕事をしなきゃ生きていけないし」

「仕事をしているなら君は忙しいよね?」

「大丈夫よ。あなたとの時間は大事なの」


 彼女の優しさがとても嬉しかった。

 彼女も僕と同じ気持ちなんだと思った。

 ずっと一緒にいたいんだと。


「明日から少し会えなくなっちゃうの」

「どうして?」

「お仕事が忙しくなるの」

「そうなんだね。僕は毎日ここで散歩をしているから、いつでも声をかけてよ」

「うん。名前を呼ぶわ」

「そういえば、君の名前を聞いていなかったね」

「私はカーラよ」

「カーラ。必ず僕の名前を呼んでくれよ」

「うん」


 それからカーラが現れない日が続いた。

 カーラの声が聞きたい。

 カーラの楽しそうに笑う声を聞きたい。



 そんなある日、事件が起きた。

 それは僕の目の前で起きた。


 僕は大きな音がして、動きを止めた。

 色んな人が叫んでいる。

 色んな音が僕を混乱させる。


 大きな音に気付いて、家から使用人が出てきて、僕に近寄る。

 僕はその使用人に何が起きたのかを聞く。

 使用人は自分の目で見える全てを、僕に細かく教えてくれた。


 その話を聞いて、目が見えないことに少しホッとしている僕がいた。

 それほど、悲惨なことが起きていた。


 車と車の正面衝突事故みたいだ。

 どちらの車にも運転手がいるが、二人とも車の中で動かないようだ。


 その車の事故に巻き込まれた通行人がいるみたいで、その通行人はピクリとも動かないようだ。

 それからもっと状況は悪くなり、車から火があがり、戦場のようになったみたいだ。


 その中から僕はあの匂いを見つけた。

 そう。

 カーラの匂い。


 油の匂いだから、車から漏れた油の匂いかもしれないとも思った。

 でも、この匂いはカーラだと思う。


 その匂いの元へ行く。

 確かめたいんだ。

 カーラなのか。


「そちらには行かないで下さい」


 使用人に止められた。


「どうして?」

「あなたの数歩先に、事故に巻き込まれた方がいますので」

「えっ、その人は女の子?」

「それは分かりません」


 目が見える使用人でも分からないと言うことは、その事故に巻き込まれた人の状況は悪いということ。

 カーラだったらどうしよう?


 数歩でその人の所に行ける。

 まだ、あの油の匂いはする。

 僕は重い足を動かす。


 何歩くらいか進んだ時、何かを踏んだ。

 水のようで、でも何か靴にまとわりついてくる。

 粘り気のあるモノ。


「それ以上はおやめ下さい」


 使用人に腕を引っ張られた。

 僕はバランスを崩し、倒れた。

 手に、さっき踏んだモノがつく。


 これはカーラが教えてくれた、何にでも一生懸命で強い意思を持つ色のモノだ。

 これがこんなに道端にあったら、その持ち主は生きていけない。


「カー、、、ラ」


 カーラの名前を呼んだ。

 本当は彼女が僕を呼ぶはずなのに。


「カーラ!」


 呼んでも返事はない。

 見えない僕には目の前にいる人を確認できない。

 こんなに目で見たいと思ったのは、生まれて初めてだ。


 見えない僕の目から涙が流れた。

 何色かさえ知らない僕の涙。

 油の匂いは僕の目の前からしていた。


 でもカーラだとは認めたくない。

 カーラがいなくなるなんて考えられない。

 カーラの見えている世界を知る術を失いたくない。



 それから僕はどうやって家に帰ったのか、覚えていない。

 あの油の匂いがカーラだという確信はないから、僕はカーラを待ち続けた。


 雨の日も、風の日も、寒い日も、暑い日も。

 それでもカーラは僕の名前を呼んではくれない。

 あの油の匂いもしない。


 そんな毎日を過ごしていると、僕の目になってくれる人が現れた。

 その人はこの世にはもういない人。


 手術でその人の目が僕の目になった。

 初めて見る世界は眩しくて真っ白だった。

 その光に慣れると見えてくる。


 初めて見るこの世界の人達の顔。

 みんな僕を見て笑っている。

 僕は優しい人達に囲まれて生きてきていたことに、初めて気付いた。


 そして鏡を見て僕の顔を見る。

 すると僕の目から、透明でキラキラ光る涙が溢れてきた。


「僕と同じ黒い瞳。なんだろう? とても懐かしい気持ちになるよ」



 初めて家の周りを、目で見て一周した。


「あっ、これがカーラが言っていたピンクの花なんだね。おっ、あの黒猫はやっぱり尻尾が曲がっている」


 カーラと一緒に歩いているようで楽しかった。

 カーラが見ていた世界に僕もいるんだと思えた。

 すると、どこからか油の匂いがした。


 僕は振り返り確認しても急いで歩く人、機嫌が悪いのかブツブツ文句を言いながら歩く人、恋人とケンカをしている人。


 どこから油の匂いがするのか分からない。

 そして微かに落ち着く香りもした。

 僕の欲しくてたまらない、大切な人の香り。


 通り過ぎる人達を見ても、僕はカーラだと確認はできない。

 だってカーラの顔を見たことがないから。


 せっかく見えるのに、カーラの顔を知らない。

 油の匂いと共に愛しい彼女の香りがするのに。

 カーラは僕を見つけたら呼んでくれるはず。

 

「カーラ」


 一向に僕の名前を呼んでくれないから、痺れを切らして僕が、カーラの名前を呼んだ。

 でも返事はなかった。


 そして油の匂いと愛しい彼女の香りは薄くなり、消えていった。


◆◆◆


「ユズはやっぱり泣き虫だな?」

「これでも我慢はしたの」


 ユズは俺の話を聞いて号泣している。

 ユズはやっぱり泣いた。

 俺だって泣きそうになる。

 暗闇で良かった。


「カーラは生きていたの?」

「分からないよ。俺には確かめる術がなかったからね。それに俺は、周りの人達に恩返しをしなくてはならなくて、忙しかったんだ」

「良かったわね。レンの周りには優しい人達がたくさんいて」

「そうだけど、それは目が見えないし、お金持ちの息子だったからだよ」

「そんなこと言わないでよ。目をくれた人に失礼よ」

「あっ、ごめん」


 ユズは謝る俺に携帯電話のライトを向けた。


「なっ、何すんだよ」

「どうせ、覚えていないんでしょう?」

「はあ? 何をだよ?」

「レンを助けてくれた、家族や使用人のことをよ」

「うん」

「忘れないで。今度は絶対に忘れないで」

「今度って?」

「おじさんやおばさん。サラちゃんにコウ君。学校の先生やクラスメイト。みんなを忘れないで」


 ユズは俺にお願いをするように言う。

 お願いされても、今は覚えていたいと思っても、ユズを失ったりしてしまえば、忘れてしまうかもしれない。


「その中にユズは入らないのか?」

「私は入らないわ。私が入ってしまえば、またレンは忘れるもの」

「でもユズは必ず入るんだよ」

「そうね。私がどんなにレンの記憶から消えたいと思っても、レンが忘れない限り、無理なのよね」

「俺は忘れない。何度でも転生するからね」

「転生しなければいいのよ」

「それを俺は決められないんだよ」

「そうよね」


 ユズは何か考えているのか、一言だけ言うと黙った。

 暗闇でユズの声が聞こえなくなると、不安になる。


「ユズ?」

「何? どうしたの?」


 ユズは不安になる俺の背中を撫でる。

 ユズは分かっている。

 俺がどれほどの数、ユズを失ってきたのか。


 その時の悲しみ、寂しさ、孤独感や絶望感。

 ユズも一緒に感じてくれたから。

 これまでの聞かせた前世の話から。



 それから次の日の朝には灯りがついた。

 灯りがついたと思ったら家へ帰る支度をして、急いで旅館を出た。


「また来年もみんなで来れるといいわね」


 ユズは車の窓越しに見える、雪しか見えない真っ白の世界を惜しみながら言った。


「そうだな」

「レンも電波のない生活が好きになったの?」

「いいや。ユズが隣にいる生活が好きなだけだよ」

「もう!」


 ユズは呆れ顔で言った。

 どれだけユズに呆れられても、どれだけユズに嫌われても、俺はユズとの幸せを諦めない。



「レン、おはよう。今日から学校だね」

「ユズ、おはよう。寒い」

「レン、また沢山の思い出を作るよ」

「そうだな」

「だから忘れないで」

「うん」


 忘れない。

 今度は絶対に忘れない。

 前世のユズが報われる、ハッピーエンドを今のユズと作るよ。


「あ~いたわ。私の可愛い二人目の妹が」


 どこからか、甲高い声がして、一瞬でユズに何かが抱き付いた。

 俺のユズに抱き付くな。


 俺はその何かをユズから剥がそうとして近寄ろうとしたところで、俺もユズのように何かが抱き付いてきた。


 俺に抱き付いた何かの声は、低音ボイスなのに、無理して高い声を出そうとしている。


「こっちには、ワタシの可愛い二人目の弟がいるわ」


 どう聞いても男の声だ。

 その男が俺に抱き付いている。


「やめろよ。男に抱き付かれたくないんだよ」


 俺は暴れてその男から離れる。

 ユズを見ると、変な女の人に顔や腕など触られている。


 俺はユズを抱き寄せ、変な女の人を睨み付ける。

 するとその女の人の隣に俺に抱き付いた、変な男の人が並ぶ。


 二人のオーラに負けそうになるくらい、二人は威圧感があり美しかった。

 二人はそっくりな顔をしていて、女の人は長いピンク色の髪で、男の人は青色の短髪。

 違いは髪型と服装だけだ。


 二人とも高身長でスラッと長い手足。

 整った顔。

 ハイレベルなファッションセンス。

 まるでモデルみたいだ。


「二人はモデルさんだよ」

「えっ、何で?」

「レンったら顔に書いてあるわ。モデルみたいだってね」


 ユズには何でもお見通しなのか?


「ユズは二人を知っているのか?」

「当たり前よ。海外でも二人は有名なのよ?」

「へぇ~」

「二人は双子モデルのアオさんとモモさんだよ」

「男がアオで女がモモってことか?」

「違うわ。私がアオで」

「ワタシがモモよ」


 ピンク色の頭で女性のアオさんと、アオ色の頭で男性のモモさんが、俺の間違いを訂正して、自己紹介をしてくれた。

 どう見ても名前は逆だと思う。


「ところで、どうしてモデルのお二人が、俺達のことを知っているんですか?」

「そんなのワタシ達が兄弟だからよ」

「俺には妹しかいません」


 モモさんが変なことを言うから、俺ははっきりと真実を伝えた。


「そうよね。サラちゃんとは血が繋がっているだろうけど、ワタシ達とは心で繋がっているのよ」

「サラを知っているんですか? でも今日、初めて会ったのに心が繋がる訳がないですよね?」

「細かいことはいいの。さあ、ワタシの可愛い弟のほっぺにチュウをしなきゃね」


 そう言ってモモさんが近づいてくる。

 綺麗な顔だけど、声はどう聞いても男で、体が勝手に逃げろと信号を出す。


「レンが困ってる。面白い」

「ユズ、笑うな。助けろよ」

「これも良い思い出ね」


 ユズはニコニコと笑って、助けようとはしない。


「おいっ、何やってんだよ。二人共」


 アオさんとモモさんの後ろから声がした。

 俺はこの声を知っている。


「あら? 私達の一番大好きな弟が来たみたいね」


 アオさんがニコニコしながらモモさんに言う。

 モモさんもニコニコしながら、俺を追い掛けるのをやめる。


「姉貴も兄貴も少しは自覚しろよな。迷惑だろう?」

「えっ、ワタシ達って迷惑なの?」


 モモさんが悲しそうに、無理して高い声を出しながら言う。


「学校の前で人だかりを作って、プチパニックを起こしているだろう? 学校に迷惑だ」

「学校? まずは俺とユズに迷惑だ」


 俺はそう言ってユズを見ると、ユズはそんなことはないよと、言って首を横に振っている。

 俺は迷惑だ。


 ユズとの二人の時間を邪魔されたんだからな。

 許さない。

 アオさんとモモさんとその弟のコウにはな!

読んでいただき、誠にありがとうございます。

楽しくお読みいただけましたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ