レベル10 狩人と狼少女
「お兄ちゃんただいま」
サラが男子校から帰ってきたようだ。
凄く嬉しそうにニコニコしながら俺の部屋へ入ってきた。
「好きな人には会えたのか?」
「うん」
「サラを男だと思っていたか?」
「ううん」
「それなら告白したのか?」
「ううん。でも約束したの」
「約束?」
「また次も会うんだ」
「そうか。良かったな」
「お兄ちゃん。ありがとう」
「俺、何かしたか?」
「お兄ちゃんよりお姉ちゃんの方が協力してくれたかもね」
「ユズが?」
「うん。彼と二人にしてくれたの。お姉ちゃんは先に帰るって言ってたけど帰ったかな?」
俺はサラの言葉に不安を感じた。
ユズが先に帰った?
俺の所には来ていないし、ユズの部屋のカーテンは開いたままで、人の気配はない。
不安が恐怖に変わる。
どうしよう。
ユズがこのままいなくなったら、、、。
怖い。
こんな感情は経験したことがない。
ユズはやはり、転生したどの彼女達とも違う。
本当に失いたくない。
「お兄ちゃん。大丈夫?」
「あっ、うん。ちょっとユズを探してくるよ」
「うん。お姉ちゃんの男装はとても可愛かったから、男子にバレたのかな?」
「ユズはまだ男子校にいるのか?」
「どうだろう? 電話してみたら?」
「あっ、そうだな」
ユズに電話をしても出ない。
ユズに何かあったのは確かだ。
ただ何処にいるのか分からない。
まずは男子校に行こう。
俺は急いで男子校へ向かう。
男子校の前に人がいた。
それはユズとコウだった。
ユズが心配そうにコウを見ている。
「ユズ!」
「レン。どうしてここに?」
「心配して来たんだよ」
「私は大丈夫よ。でもコウ君がケガをしちゃって」
ユズはそう言って下を向いているコウの顎を持ち、上を向かせるようにクイッと上げた。
コウの顔には傷と痣がある。
「コウ君が私を助けてくれたの。コウ君はボクシング部だから手が出せなくて、ただ相手に殴られてたの」
ユズは泣きそうになりながら言った。
「コウ。大丈夫か?」
俺は校門の壁に寄りかかり、ユズを心配そうに見ているコウに聞いた。
「このくらい大丈夫だ。ユズにも言ってるけど、ユズは僕から離れないんだ。早く帰らないとレンが心配するって、言ってもダメだったんだ」
コウは痛そうな顔もせず、少し困った顔で俺に言った。
「そうか。ユズ、帰ろう」
「嫌よ。私はコウ君が心配なの。私を守る為に我慢していたのよ。痛くてもね」
「コウなら大丈夫だ。もう、昔のコウとは違うんだよ」
「でも怖いの。コウ君が血を流していたのも、痛そうに顔を歪めたのも、殴る音も聞こえて、それなのに私には何もできなくて」
「ユズ大丈夫だよ。もう、終わったんだから」
ユズは全部を見ていたんだ。
そんなの俺だって怖いはず。
怖がるユズの背中を優しく撫でる。
「サラちゃんに連絡してくれる?」
「なんでサラ?」
「コウ君はサラちゃんがいてくれた方がいいと思うから」
「ん? 意味が分からないんだけど」
「後で話すから、まずはサラちゃんに来てもらって」
俺はユズに言われてサラに電話をすると、サラは急いで行くと言って電話を切った。
凄く心配しているようだったけど何でだ?
まあ、他人じゃないから心配はするけど、学校まで来るのか?
「コウちゃん大丈夫?」
サラが走って来て、息を整えながらコウに聞く。
「僕は大丈夫だよ。部活で殴られるのはよくあるからね」
「もう、心配したよ。犬にちょっと噛まれたくらいですぐ泣くコウちゃんが、今は平気な顔でいるなんて驚きよ」
「サラ嬢は昔と何も変わらないね」
「私はちゃんと成長したわよ。いい女になったでしょう?」
「うん。そうだね」
「えっ」
サラは顔を真っ赤にして照れている。
「レン。帰ろうか?」
「ユズ? いいのか?」
「うん。コウ君のあんな顔を見たら私は必要ないのかなぁって思っちゃった」
「ユズは必要だよ」
「レンにはでしょう?」
「俺だけじゃないよ。サラにもコウにも、どの世界でもユズは必要だよ」
「レン。ありがとう」
ユズはそう言って俺に笑いかけてくれた。
ユズが可愛い。
抱き締めたくなる。
「ユズ。手を繋いで帰ろうか?」
「ダメ。人に見られるでしょう?」
「それって、人が見ていなければいいってこと?」
「そうよ。だからダメなの」
「それなら家に帰って二人になればいいってこと?」
「何を言ってるの? 人の目があるでしょう?」
「えっ」
「私とレンの目があるでしょう?」
「俺達は関係ないだろう?」
「関係あるわ。前世のレンと前世の私が見てるのと一緒でしょう?」
「そんなに俺と手を繋ぎたくないのかよ?」
「そんなことないわよ。まだ早いだけよ」
「でもこの前、繋いだよね?」
「この前はあなたが不安に押し潰されそうだったからよ」
「それなら今のユズは大丈夫なのか?」
「大丈夫よ」
ユズの言葉を信じていいのだろうか?
いつも通りのユズに見える。
ニコニコして大丈夫そうには見えるのに、何処か心配になるのは昔の彼女のせいなのかもしれない。
「また思い出したの?」
「えっ」
「顔色が変わったわ。私を信じていないようね」
「ユズは信じてるけど、過去の記憶が俺を不安にさせるんだ」
「その記憶を教えてよ」
「うん。俺は狩人で前世のユズは狼少女」
「私って嘘つきだったの?」
「それは話を聞いたら分かることだよ」
「そうね。聞かせて」
俺達は近くの公園のベンチに座った。
◆◆◆
俺は村では一番の狩人だ。
狙った獲物は逃さない。
鹿だって、兎だって、猪だって。
そして村で一番の美しい女性も。
「昨日は何をしていたの?」
「昨日? そんなの酒場で酒を飲んでいたんだよ」
村一番の美しい女性は俺を束縛する。
俺が昨日、何をしていたかなんて彼女には関係はない。
俺が欲しいのは、村一番の美しい女性ではない。
俺が欲しいのは、彼女だけ。
あの落ち着く香りを放つ彼女だけ。
俺は彼女を探す為に一番になって一番を手に入れる。
一番になれば何でも手に入る。
「狩りに行ってくる」
「ちょっと待ってよ。話は終わってないわよ」
町一番の美しい女性を置いて、森へと足を踏み入れた。
いつも通りの道。
いつも通りの木々や草花。
少し歩くと小川が見えてきた。
その小川に近付くと、何かが倒れていた。
それは俺がよく見る生き物。
「狼? 死んでいるのか?」
俺はそっと近付くと、その狼は背中に刃物でできたような、大きな傷があり血が出ていた。
狼は苦しそうに鳴いている。
俺は狩人。
今こそ狼の命を奪うチャンスだ。
俺は小刀を持ち、狼の首元に刃を当てる。
ただなんとなく狼の目を見てしまった。
狼の目は右が水色で左が緑色でオッドアイだ。
その目に俺は吸い込まれそうになる。
そして優しい風が吹いて俺達を包んだ。
「この香りは!」
俺は狼に鼻を近付ける。
確かに狼から香る。
落ち着く香り。
「君は俺が探していた彼女だ。でもどうして狼なんだよ? 君が狼だと俺達は結ばれることはないって決まってしまうじゃないか」
狼の彼女に言っても無駄だ。
彼女は俺を覚えていないだろうし、人間の言葉を理解することも、話すこともできないだろう。
どうして俺達には困難しか訪れないんだ?
俺は彼女と幸せになる最後を迎える為に、何度目かも分からないくらい生まれ変わっている。
その彼女が今、目の前で苦しんでいる。
彼女とは結ばれることはない。
それなら今、彼女と一緒に死んで、また最初からやり直すこともできる。
彼女の首元に刃は当たっている。
彼女は怯えている。
彼女は死にたくないんだ。
彼女は生きたいと言っているようだ。
俺は小刀を彼女から離し、彼女を抱えた。
フサフサで、もふもふの毛と彼女の落ち着く香りは、俺を癒してくれる。
近くの洞窟に入り、俺は傷に効く薬草を探し、彼女の傷口に塗る。
俺は彼女の手当てをした。
水を飲ませ、近くで捕まえた兎を焼いて一緒に食べた。
彼女の頭を撫でると彼女は目を閉じる。
俺に心を許しているようだ。
そして俺は彼女に寄り添いながら眠った。
彼女のもふもふの毛と香りはすぐに、俺を夢の世界へとつれていく。
何か温かい物に包まれている感覚になり、その温かい物が何なのか気になり、目を開けた。
俺の目の前には女の子が眠っていて、俺を抱き締めている。
女の子をよく見ると服なんて着ていないし、頭に狼の耳があり、長い尻尾が俺の太ももをくすぐるように動いている。
どう考えても、狼だった彼女が少女になったようだ。
彼女に俺の上着をかけて、俺は急いで家へ戻り、小さくなって着れなくなった服を探す。
その服を持って、また彼女の元へ戻る。
彼女はまだ眠っている。
俺は彼女を起こす。
「ねえ、起きて!」
「ん?」
「君が裸だから服を持ってきたよ。早くこれに着替えてくれるかな?」
「裸? えっ、嘘。なんで?」
彼女は焦りながら俺が渡した服を受け取る。
俺は彼女が着替えやすいように洞窟から出る。
彼女はそれを確認すると着替えだす。
「君には大きいだろうけど、これしかないから我慢してね」
「ありがとう。狩人さん」
「君は狼だよね?」
「私の名前はライラです。狼と人間の血が入っています」
「ライラは狼なの? それとも人間なの?」
「私はまだどちらとも言えません。私は次の満月の日にどちらかを選びます」
「ライラはどっちを選ぶの?」
「分かりません。ずっと狼として生きてきましたが、人間を見ていると羨ましくもなるのです」
「そうなんだね。まあ、傷が治るまではここでゆっくりしながら考えればいいよ」
ライラには人間になってほしい。
でもライラにとっては一生が決まることなのだから、俺が口を出すことはできない。
「傷薬を塗るから背中を見せてくれる?」
「はい」
ライラは上の服を脱ぎ、俺に背中を見せた。
白くて小さな背中に、痛々しい大きな傷がある。
俺はなるべく優しく薬を塗る。
それでもライラは痛いのだろう。
少し震えている。
変わってあげたい。
そう思わずにはいられない。
ライラを医者に見せようと思ったが、ライラには狼の耳や尻尾がある。
ライラが狼だと知られたら、ライラがどうなるのか心配だ。
だから毎日、ライラがいる洞窟へ通った。
夜にライラを一人にするのは心配だったが、ライラは狼の姿になるから大丈夫だと言った。
ライラが狼になるなら大丈夫だと思い、ライラを信じて俺は家へ帰る。
ライラが狼の姿になれば俺のことを忘れ、襲ってくるかもしれないからと、ライラは俺の前では狼にはならない。
そんな毎日を過ごしていたある日。
いつものようにライラの背中に薬を塗っていた。
「あれ? 傷が治るのが早くなった気がするけど、気のせいかな?」
「それは満月が近いからだと思います」
「満月が近いと回復するのも早くなるの?」
「はい。私は満月から力を貰うのです」
「ライラの痛みが早くなくなるなら、満月になってほしいよ」
「そう、、ですね」
ライラはなんだか困ったように言った。
「もしかしてまだ狼になるか、人間になるかで迷っているの?」
「はい。私は最後の生き残りなんです」
「最後?」
「私の傷は人間につけられたものです」
「俺と同じ人間がライラを傷つけたの?」
「そうです。私達が住んでいる村に人間がやってきて、狼は危険だと言って村に火をつけました。そして逃げようとする狼達を切りつけました。私はなんとか逃げたのです」
「そんな酷いことを人間がするなんて、ごめん」
「あなたが悪い訳じゃありません。恐怖が人の心を変えるのです」
「だからライラは狼と人間のどちらを選ぶか迷っているんだね」
「あなたのように、人間は優しい人ばかりです」
ライラはそう言って笑った。
人間に仲間を殺されてもライラは恨んだりしていない。
やはりそんなライラに、人間になってほしいとは言えない。
「ライラが人間になると決めたらどうなるの?」
「狼だった記憶はなくなって、人間の普通の女の子になります」
「それなら狼になると決めたらどうなるの?」
「狼として生きます。記憶はなくならないのですが、言葉を話すことも、理解することもできません」
「それってどちらが苦しいんだろうね?」
「苦しい?」
「そうだよ。狼になることと、人間になることには、どちらもデメリットがあるんだよ」
「デメリットを考えるよりも、メリットを考える方が選んだ後に、後悔なんてしない気がします」
ライラが言うことはまるで、自分自身に言っているように感じた。
後悔なんてしたくないと言っているように。
「そうだね。ライラなら後悔するような選択はしないと思うよ」
「もし、私があなたと同じ人間になりたいって言ったらどうしますか?」
「反対はしないし、賛成もしないよ」
「あなたは私に人間になって一緒に生きてほしいとは言わないのですね?」
「俺は狼の君を助けた狩人だよ?」
「あなたは命の恩人ですね」
ライラは苦笑いをした。
ライラ、ごめん。
一緒に生きてほしいよ。
でも怖いんだ。
ライラとのバッドエンドを迎えるのが。
もう、ライラの悲しむ顔も、ライラの血も見たくはないんだ。
本当は怖くて今すぐにでも、ライラから離れたいんだ。
でも怪我をしているライラを一人にはできない。
だから満月の前の日までは一緒にいさせてほしい。
「ライラ。明日にはどちらを選ぶか決めなければいけないけど、心は決まったのか?」
「はい」
「そっか」
「どちらを選んだのか聞かないのですか?」
「満月の夜になれば分かるからね」
「そうですね」
ライラは可愛い笑顔を見せてくれた。
こんな臆病な俺に。
本当は聞くのが怖い俺に。
俺はライラの選択を受け入れることができないかもしれないから。
俺はどちらを選択しても受け入れる自信がない。
それならライラが一生その姿になる満月の夜の、次の日になったら会おう。
それならライラが選んだことだから、俺は後悔なんてしないと思う。
だってそれがライラの一番の幸せだと思うから。
「火事だ。山火事だ」
満月の夜にそんな村人の声が響いた。
俺は急いで火事の場所へ向かう。
そこはライラが寝泊まりをしていた洞窟の前だ。
山火事というよりは、誰かが火をつけたように、洞窟の前だけに火がある。
ライラは大丈夫なのだろうか?
「ライラ」
「、、さん」
微かに声が聞こえた。
ライラは中にいる。
「ライラ、今すぐそっちに行くから。助けるから待ってろよ」
そして俺は近くの小川で全身を濡らし、火の中へ入ろうとした。
「ダメです」
ライラの声に俺は動きを止めた。
「私は大丈夫です。満月の夜ならここから出られます」
「それなら早く出ておいで」
「人間のままではこの火から出られないのです」
「それなら早く狼になって出ておいで」
「今日は満月です。私が狼になればずっと狼です。あなたとはもう、、、」
「ライラが助かるなら俺はそれでいいよ」
「私はどうしても人間になりたかったのです。でもあなたが私に生きていてほしいと言うなら、私は狼にだってなってもいい」
◆◆◆
「お話は終わりなの? 二人はどうなったの?」
俺が話を途中でやめたから、ユズは不安そうに俺を見て言った。
「ライラは狼少女だって最初に言ったよね?」
「うん。彼女は本物の狼になったってことなの?」
「違うよ。ライラは狼少女。嘘つき少女だったんだ」
「えっ、どうして?」
「ライラは狼になって洞窟から出てきたけど、俺を襲おうとしたんだ。ライラのオッドアイを見つめてもライラから何も感じなかったんだ。あの落ち着く香りもしなかった」
「狼になっても人間だった記憶は残るって言ってたわよね?」
「嘘だったんだ。ライラは狼になればいなくなってしまう。生きているなんて嘘なんだ」
「生きてるわ」
ユズはしっかりと俺を見て言った。
「だってライラは俺を置いて、森へ入っていって会うことはなかったんだ。満月の夜が最後だったんだ」
「彼女の気持ちも考えたの? レンは何回目なの?」
「何回目?」
「転生して何回目なの? どうして自分のことばかりなの?」
「今、言われても、、、」
「そうね。今、言っても遅いわね」
ユズは怒っているようだ。
「そんなに怒らなくてもいいじゃん」
「レンにじゃなくて、私によ」
「ユズに?」
「私っていうよりも狼少女によ」
「ユズも前世の彼女を自分だと認めたね」
「認めてないわよ。だって私はそんな嘘は言わないもの」
「ユズは嘘は言わない。知ってるよ」
「それなら私だって言わないで。レンに何度も嫌な思いをさせて、何度も、何度も、、」
ユズは自分のせいで俺を苦しめていると思うと嫌なんだ。
俺が苦しいと、ユズも苦しいんだ。
「ユズ」
「何?」
「ユズと出会えたことが一番、幸せだよ」
「何よ、いきなり」
「色んな世界でユズと出会えたことが俺の生きる糧になっているんだ」
「色んな世界の私と?」
「うん。だからユズ、君は何も悪くないんだ。ユズは俺の希望なんだ」
「レンの希望? それならレンの望みは?」
「そんなの決まってるよ」
「まさか、、、」
「そのまさかだよ。ユズが俺の婚約者になること!」
「もう、レンのバカ」
ユズはそう言って呆れながら笑った。
今はこの答えがユズを苦しみから救えるんだ。
こんな風にいつものように笑い合うことが。
「そうだ。コウ君とサラちゃんはどうなったかなぁ?」
「コウとサラ?」
「うん。なんか、執事とお姫様みたいだったよね?」
「昔と変わらないだろう? サラの子分って感じだ」
「レンは何も分かってないわね」
ユズはそう言ってベンチから立ち上がり、俺に背中を見せて歩く。
俺はユズを追いかけて、ユズの顔を覗き見た。
ユズは嬉しそうにニコニコと笑っていた。
そんなユズを見ていると俺も嬉しくなった。
読んでいただき、誠にありがとうございます。